クセナキスに最後に会ったとき 1997年京都と東京での数日間 かれはすでに病気のために記憶は欠落し 持続す る思考は不可能だったにもかかわらず それだからこそ その断片的なことばからうけとったなにかが いまでも心にかかっている 正確なことばは復元できな いが それはこんなことだった
1950年代のあるとき ひとつの音の状態が頭に浮かんだ それはそれまでだれもきいたことのない音 だった それから40年間のしごとはそれをさまざまな角度から理解するこころみだった だがそれはもう終わった いまは なにかちがうものが顕れようとし ている それを感じている
絶対的に新しい音の出現は 1961年クセナキスにはじめて会うことになる直前に偶然ラジオで「メタスタ シス」をきいたとき 感じたことだった それからの10年間かれのかたわらにいて その頃はただ一人の弟子であり ピアニストであり協力者のひとりであっ たあいだは いまふりかえると その音の顕れをとらえる手段である数学や構造的な思考に逆にとらわれていたのではなかったか とも思える
かれの「ジョンシェ(葦の茂みだろうか)」(1977)以後のオーケストラ作品をきくと 顕れ出るはずのものがなんだったのか ぼんやり見えてくる それ はヨーロッパ音楽が何世紀もかけて獲得した秩序の外にあるもの 光の粒子のみなぎる空間 嵐をはらんだ大気 かたちのない気配のうごめき メロディもリズ ムも色彩さえもない輝きが点滅する音響空間 それを大オーケストラという最もヨーロッパ的な音楽組織をつかって実現しようとすること そこには無重力的解 放感をもとめながらも 物質と論理の重い枠にはばまれる意志の葛藤がある
ここにあらわれる暴力の問題 これは現代が直面し 解決できない問い
ちいさな異邦人(これがクセナキスという名の意味するもの)のまなざしが この文明の時間の外側 文化のない異次元空間からこちらをじっと見ている(クセナキス追悼コンサート2001年11月7日トッパンホール)
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