起源のない世界          高橋悠治


起源を語ってはいけない と言われている
           なぜなら
  東アジアには それぞれの民族の起源を語る神話があり
    どの民族の祖先も あるとき天から降りてくる
       あるいは天の精を受けて たまごから生まれる
           天のこどもは 悪い土地の霊とたたかい
  かれらを征服し 奴隷にする
            征服した土地を見て歩くうちに
         その土地の外側に 別な土地があるのに気づく
    まだ征服されていない悪い霊が あそこにいる
かれらから この土地をまもらなくちゃいけない
           そこで戦争になる
  いまでも こどもたちは起源を教えられてそだつ
           よい戦士となるために

         さて この世界は息づいている
ゆっくりとひきこまれ ちいさくなった世界には
      だれもいなくなる
       そのまま何億年がすぎて
           やがて どこからともなくそよ風が吹き
  世界はふくらみはじめる
      存在が この世界に顕れる
       心のつくりだす存在 よろこびにやしなわれ
        それ自体の光に照らされ 風に乗ってうごく かがやくものたちが

 世界は水に覆われ 暗く
月も太陽もなく 星座も 離れ星もなく
       夜も昼もなく 季節もなく どんな時間もなかった
           存在には男も女もなく どんなちがいもなかった
そのまま何億年がすぎ

            でも これはおかしい
        時間がないのに なぜ何億年がすぎるのだろう

  ともかく ゆったりと時ならぬ時をすごして
        やがて 水の面にさざ波が起こり
  そよ風に吹かれて 香る土地があらわれた
       冷えたミルクの表面に張る薄皮のような色と
     野生の蜜の味があった
なんだろう これは
         香に誘われて 欲深いある存在が
  香る土を指に付け そっとなめてみた
    その香に囚われ みたされることのない渇きが起こる
       その様子を見て 他の存在もつぎつぎに
      指に付けた土をなめ 香に囚われ 渇きに耐えかね
            手で土を掻き取って 食べはじめる

         こうして 存在の光は消えた
     月と太陽 星座と離れ星があらわれ
            夜と昼 季節がめぐりはじめた
 存在はきめ粗く 不透明になり
     美しいものと 美しくないもののちがいがあらわれた
    美しいものは 美しくないものをさげすみ
差別に囚われ ごうまんな心が起こる
  すると 香る土地は消え失せた

    つぎにあらわれたのは きのこ
       そのつぎに 蔓草
    それらが つぎつぎに食べ尽くされ
            最後に ひらけた土地に稲が生えてきた
      その稲は 穂もなく籾もなく 香りたち かがやく粒だった
        夕方採って食べれば 朝にはまた実っていた
 存在の不透明ときめの粗さは増し
         ちがいも大きく ついに男と女の性があらわれた
    ちがいにこだわるものたちには 情熱が起こり 欲望が起こる
            性の戯れにふけるものたちには 石や灰が投げられ
        村から追われたものたちは 隠れておこなうために 家を建てた

 家に住むものたちに なまけ心が起こる
         夕べと朝に稲粒を採るかわりに
    いっぺんに採れるだけ採って たくわえよう
           家にたくわえた稲粒を食べるようになると
稲もまた 籾を付け 採られたものはふたたび実らず
  あちこちに分かれ 群をなして生えるようになった

   すると 他人の田にはいり 実りを奪うものたちがあらわれた
         他人の田にはいってはいけない
            すすめられないものを 取ってはいけない
         そう言われると 二度としないと言いながら
          また 他人の田に入り 稲を取っているところをみつかって
  石をなげられ 杖で打たれるものたちがいた
こうして ぬすみ うそ 非難と罰が起こった

       そこで人びとは いちばん美しいもの 力あるものをえらび
  ぬすびと うそつきに怒りを見せて
           非難し 追放することをまかせ
 そのかわりに 稲の分け前を約束する

   このように ヴァーセッタという若者にブッダが語った と
          アッガンニャ・スッタという経典に書かれている
      世界はふくらみつづけ 存在は内なる光をうしなうとともに
           ちがいが大きくなり 関係は複雑になる

   つぎにヘ こうして選ばれ 田の主人となったものが
もっと多くの分け前を要求し
        したがわないものを杖で打つようになるだろう
           力あるものは ますます力をたくわえ
      持てるものは もっと持つために奪い
     力のないものを狩り立て 殺すようになるだろう

            それでもそよ風は吹いている
      世界は息づいている
     やがて 選ばれず また選ばなかったものたちがめざめ
        森をめざして 流れをさかのぼり 川を渡る
       結び目を解いて しずまった心に映る世界は
 ふくらみながらも ちぢんでいく
     中心にひきよせられながら ちらばっていく
           世界は天秤の上で揺れている
        起源はなく 終わりもない
  疲れ切ったものが 自分を越えた力を出せるように
      荒れ狂う帝国は すでに力尽きている

(批評空間第III期第4号)



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