掠れ書き (2010.6-2014.3) 高橋悠治
2010年6月1日
掠れ書きは飛白体。飛び散る余白。
音楽は現場のもの。すぎさるもの。即興といってもいい。しかし即興は自己主張ではない。内側にある自己を取り出して押し付けるのとは逆に、世界の なか、歴史のなかで、自分の置かれた位置から逸れて、うごきだすために、自分の外側にあって、問いかけ、対話するもの。カフカのように、自分の側 でなく、世界の側に立つ人間には、帰る場所がない。
即興する身体を他人のように見ること。危険な水路で舵を切るように身体をあやつって、微かな風のうごきに沿って、見えない道を辿ること。過ぎてゆ く時間を読みなおして、未来へと後退すること。
身体をテクストとして読みなおし、テクストを身体として組み直すことの両方によって、その場限りの消費でもなく、テクストの死化粧でもない、生き た劇場が生まれるだろうか。
1950年代以来の音楽が通ってきた道の意味はすでに失われた。ブーレーズもシュトックハウゼンも自らをシステム化し制度化してきた。ケージやク セナキスもいまや楽譜や音響だけが分析され、説明されている。どこにもなかった新しい音をもとめた冒険も、技術化され、プログラミングされ、だれ にでも売りつけられるソフトウェアになってしまったが、さまざまに曲がりくねった探求のプロセスはかえって見えにくくなった。分析や説明からはな にも生まれない。
クセナキスの例をとれば、1950年代の『メタスタシス』や『ピソプラクタ』のように、いままでの拍節や半音の合理主義的な枠組みから解放された 音の運動は新鮮でもあり、そしてギリシャの岩山や荒れる海、政治的暴力の記録でもあった。確率計算や群論は、自由なうごきを創りだすためのてがか りにすぎなかった。だが、方法が理論化され精緻になるとともに、音響組織そのものが一つの暴力に変っていく。技術としてとらえれば、それに挑戦す る演奏家もいるし、複雑な音楽語法を制御する作曲家も現れる。だが、それは音符と方法への隷属で、音の解放ではないし、それを通じての音楽家の自 己変革でもない。技術は上がり、創造性は下がる。
正弦波の組合せによる初期のセリエル的な電子音楽を、有限を積み重ねて無限に達しようとするピュタゴラス主義だと非難したクセナキスの音階理論 も、アリストクセノスの不均等で変動する単位による音階論を、均等な単位に固定してしまったし、リズムの細分化や微分音による複雑な楽譜は、か えって演奏者を束縛するものでしかない。その結果、作曲家の見かけの優位とその背後にある音楽の社会的制度は変ることがない。西洋近代の数の呪い がいまだはたらいているかのようだ。
クセナキスの音楽を救うのは、理論や方法ではなく、かれの音響の暴力性ではないだろうか。夕霧のように翳り、昆虫のように軋り、地震のように震動 する音の複雑な絡まり、またギリシャ悲劇の、心理や情感のかげりのない無情な声、それらは偽りの平和が覆うことのできない、この世界の現実であり つづける。
いまになって、19世紀以来の構成されシステム化された音楽がやっと終わり、自由な個人と組織の多様性にもとづく演奏が復権してきた。作られた音 楽史とは逆に、流動する世界では、まず聴き手が変化する。現場にいる演奏者が新しい聴き手に応えて、ちがう音楽のつくりかたを考える。それとして ほとんど意識されないかもしれないが、それは演奏者の身体をつくりなおすところからはじまる変化の兆し、散乱する予感のきらめきとして現れる。取 り残されているのは、かたまってしまった思想と制度によりかかっている、公認された演奏家や作曲家たち、その権威にぶらさがっている選ばれた若者 たち。スポーツのように技術をきそい、あるいは個性的な装いだけを考えている若い音楽家は、その先に何かがあると思っているのだろうか。
2010年7月1日
音楽が 通りすぎた痕跡を紙の上で見通せるように、構造に還元し、それを生み出す方法を推測し、理論やシステムにまとめる。こんな分析には足りないものがある。
聞こえる音のなかから、いくつかの音のかたちをききとる。それらの音を指先でなぞりながら、音のうごきを身体運動と内部感覚に移し替える。そのよ うな経験からはじめて、そこからちがう軌道に踏み出してみる。停まりそうになったら、どこかにもどってやりなおす。このプロセスは即興でもあり、 作曲でもある。即興はその場の聴き手の共感が感じられるあいだはつづく。聴いているひとたちの自発性が、じっさいはその即興に干渉し、その道筋を つけている。失速しないうちに、完結しないように、音を中断して、想像力だけがまだしばらくはうごきつづけて、どこともなく消えていくように誘う のはむつかしい。
作曲は、計画された即興とも言える。楽譜に書かれた音のかたちは、一定の意味や情報と言うよりは、さまざまに見えるインクのしみのようだ。演奏は 一つの見かたにはちがいないが、それがまたさまざまな聞こえかたや聴きかたにひらかれている。聴き手の主体性をスペクタクルで惑わしたり、反復パ ターンで麻痺させれば、演奏は支配の道具になってしまう。聴くよりどころになる回帰するパターンは、筋感覚的運動イメージと同時に起こる。それは 個人の内側のもの、一人称的表象と言われているらしいが、むしろ無人称の視覚像にならない感覚ではないだろうか。回帰はただの反復ではなく、もと もと隠れていた逸脱の芽、わずかな歪みが、回帰のたびにちがう回路をひらくように仕組まれている、それはベンヤミンが書いていたカーペットの模様 のほころび、あるいは ラドクリフ=ブラウンの注目した籠の編み残した目、「魂の出入り口」。
楽譜は、何世紀もかけて洗練されてきた表記法だから、図形楽譜のような発明はなかなか共有されなかったし、すべてを最初から定義しなおす試みはわ ずらわしく、演奏者の自発的なうごきをさまたげる。だが、それらの記号の集まりは、5線記譜法の場合は18世紀的な合理主義を背景にしているし、 日本の伝統的記譜法のようなものは、流派の排他的な符牒だったりする。精密に書こうとすれば、思わぬところで過去の音楽の構造に囚われるだろう。 まったく新しい発明もできないし、そのまま受け入れることもできず、部分的につけたすのも有効でないならば、逆に、記号の有機的関連を断ち切り、 粗いが繊細に使える表記法をくふうしてみる。粗さは要素の数がすくなく、まばらだが記号の適用範囲が一定でなく、領域があいまいで、配置によって ちがって見えるような状態、繊細さは思うままにうごくのではなく、うごいている波の合間に現れる足掛りを伝って、落ちないように渡っていく、細 く、いまにも切れそうな蜘蛛の糸、夢にあらわれる小径のように、どことなく見覚えがあるが、ここには二度ともどれない予感を手放さずに、一歩ごと に辿る足元から崩れていく、一歩ごとに前の一歩を忘れていく石庭の風景。見られているのを意識しながら回しつづけるネズミ車。
2010年8月1日
ディドロは完成された絵画よりスケッチのなかに、反省に足を取られない、自由な思いと熱を感じた。スタイルや形式をととのえる以前に、うごきだす 心と、そのうごきを拡大して外に投影する身体の尖端の軌跡。というよりは、ものに感じてうごく身体が、心というはたらきだとするならば、心は実体 のないうごきの影にすぎない。身体のうごきは、心という記録印画紙上の霧箱写真から推定する放射曲線。その曲りは、三次元空間のなかである角度か ら見た方程式では解けない。ひとつの空間のなかでいくつかの線が交錯するというよりは、それぞれの空間、それぞれの場が自律してうごきながらも、 決して交わることがない、これがコミュニケーションといわれるものだろう。すれちがうバスのなかで、知っている顔を一瞬見たように思う、それとお なじで、一瞬の理解の錯覚のなかで、つきあいの広場がある。それもまた、もっと大きな都市の一部にすぎないから、出会いは方向や展望をえらぶ自由 のなかに浮かんでいる。
エピクロス派のクリナメン。ミシェル・ビュトールははじめてナイアガラの滝を見たとき、このことばは思い出したと言った。落ちてくる水が水にぶつ かり、はじきはじかれ飛び散りながら、激しい音を立てる。落ちていく粒子がわずかに曲り、ぶつかりはじきあって飛び散り、さまざまなかたちをもっ た世界を創る。生きている世界には純粋なものはない。人間もひとりひとり不純な混ざり物の一時的で偶然の結びつきとして生きてうごいている。そこ にはわかりにくさ、予測できない行動がついてまわる。古代ギリシャ人にとって、死とはこの偶然の結合体が解体して、個々の原子に還る場面だった。 それで終わりではない。原子の運動は停まることなくつづいていく。
エピクロス派にとって世界は一つではない。原子の結びつきは同時にたくさんの宇宙(multiverse)を創る。普遍主義 (universalism)の思い上がり、自然支配の欲望はここにはない。それは戦乱の時代だった。時代は変わっても、平和が来ることはない が、閉ざされた庭で世界をやり過ごすのとはちがう知恵もいくらかは生まれたようだ、希望の断片を痕跡のなかにみつけながら。
人間は風であり、影にすぎない(ソフォクレス 断片13)。 影は無にひとしく、風はさまようもの、だが影も風もとらえがたい。さまようもの、無 にひとしいものだからこそ、自由なのかもしれない。世界は実験室。自由は、ためらわず行動に踏み出していく。未知の発見はまさに、知らないところ から、判断の誤りから、失敗からひらかれる。
わからないというわかりかた。道得也未(道元)。転換(あるいはメタフォア)の可能性。知る限界を超えて彼方へ飛び翔るのではない。メタフォアは こちら側にひきおろす。歴史のよみなおし、喜劇としての、パロディーとしての、本歌取り、コラージュ、神秘や権威を批判する歩み。
すでに起こったことを状況や文脈から切り離して固定し、一般化し、抽象化し、一つの原理で閉じられた構成を作る。それは内部から外部に向う表現で あり、express の文字通り、外へ向って圧力を加え、意味を伝え、支配しようとする。 これが制度のゲームだとすると、それを受け取る側には impressed 内側へ押し込まれる理解と感動の美学しか残らない。それが音楽の権力。それと一体となった社会制度、本質論の哲学のなかで、音楽は非日常のもの、無用の用 となって現状維持に奉仕する。
現状維持は押しつけられた眼に見える部分だけでなく、内面化されて作用している影の力でもある。全体を一度に変えようとする革命理論ではなく、疑 いや細部の逸脱からはじまる複雑な身体ゲームが、偶発的に心理的な拘束を崩していく。それは圧力ではなく、力がぬけていくような不安定なプロセス となってあらわれる。例外のない規則はない、というよりは、規則は例外を排除することでなりたつのだから、例外を作りながら、別な規則にすりかえ るのではなく、境界のあいまいな領域のかさなりを、力のはたらかない空白を不均等に生み出す速度、ここで意識はまた飛白にもどってくる。
2010年9月1日
皮膚の内側と外側の関係。内側と外側を同時に感じながらうごいていく。入口と出口をもつ一本の管。外側と内側を結ぶ狭い空間。身体を裏返すと世界 全体が皮膚の内側に包まれる。内側も外部のように感じ、自分の外側にいるかのように、背中から見る、あるいは上から見下ろしている感覚が、うごく ひとの内と外のバランスのとりかたかもしれない。カフカのように世界の側に立つ、世阿弥の言う「離見の見」も、そのように醒めた感覚だろうか。
断食すると身体は敏感になる。だが、内部の貯えを使いながら生きるのには限界があり、一度は鋭くなった感覚は、やがて萎縮し衰弱する。洗練と退廃 は紙一重。完全なシステムや方法があると思うのは錯覚で、それらはその時の障害をのりこえるための梯子や舟のように、使い終わったらそこに残し て、先にすすむための手段。残すとしたら、隠されたシステムや秘法ではなく、だれの手にもなじむ程度にはみがかれている道具がいい。
高い音は早く消え、低い音はゆっくり消える。それは自然のように思えるが、ほんとうにそうだろうか。1960年に弾いたボ・ニルソンのピアノ曲 「クヴァンティテーテン(量)」は、それをテンポに置き換えて、高い音ほど楽譜上の長さより短くするという、歪んだよみかたを演奏者に強いるもの だった。シュトックハウゼンの「ツァイトマーセ(時間測定)」の方法を使ったもの。自然と思える感じを誇張すれば、安定感が強調される結果にな る。
楽器の音に含まれる倍音をとりだして、もう一つの音として組み合わせれば、色彩的ではあるが、どこか平面化した音の空間になるような気がする。ス クリャービンの神秘和音といわれる響き、ロスラヴェッツの合成和音といわれる響き。スペクトル樂派はどうだろう。伝統楽器の一音の多彩な音色(ね いろ)のかわりに、均等化された近代楽器の音を重ねて、音程関係の緊張度のちがいで多様性を創りだそうとする音楽は、和音の厚塗りで重くなる。音 を重ねて複雑になればなるほど音楽は身動きできない狭い空間に入っていく。金魚鉢のなかの金魚のようにひらひらと浮き沈みはするけれど。
和声が複雑になり、転調が折り重なって、中心音が定まらない無調になり、そこにあらわれるすべての音を、バランスよく配分しようとする傾向は、 12音や音列技法にたどりつく。配分の図式は安定指向と言えるだろう。和音が低音から組み上げられていく、その安定感が、めまぐるしく変わる表面 の下で、見え隠れしながら、凧糸のように秩序に繋ぎ止めている。不協和音も対位法も、ドローンやビザンティンのイソクラティマ技法、カトリックの オルガヌムの昔から、神や王に奉仕する音楽のありかたそのままに、上に根をもつ逆さの樹の、地を掃く小枝となっている。
漂う水草や、呼吸根のからみあった複雑で隙間だらけの表面をつくるマングローブは、これとはちがって、中心をもたず、流れのままに散らばってい く。
2010年10月1日
音楽はなぜか心をかきみだす。音のうごきは音を追って、ふたたび起こり、音のなかに消えてゆく。どうしてこの無償の、それ自身の軌道の上でそれ自 身を追いかけるにすぎない音の戯れ、響きつづけることしか望んでいない音の世界にこちらを向かせようとか、ある意味をもたせ、ある情報を入れこ み、あるいは抽き出し、ある目的のためにそれを使うことができるのだろう。象徴や指標として使われる音のかたちは、文化や時代によってさまざま だったし、社会がもたせた機能が、ことばのように明確に伝わるわけではない。その社会のなかでも、音楽は社会的機能に収まらないあいまいなところ があり、それだからちがう時代やちがう地域でも受け入れられる場合もあり、それがすべて誤解であるとも言えず、音の美しさというものが、音響学的 あるいは美学的、哲学的に定義できるような超越的な価値をもつようにもあつかわれてきたが、そのような論議はすでにある音楽についてのものであれ ば、決定的な根拠をもたないままに、論議が論議をよび、研究の上に研究の研究があるような、音楽学の歴史ができただけだった。
物理学が実験によって証明できるようには、音楽から生まれた音楽論は、そこからふたたび音楽を創る力をもたな い。音楽家が音楽をするときに感じていることと、その結果が論じられるときのことば、たとえば楽譜を書きはじめ、書きつづけたときに作曲家をうごかしてい た見えない力、神秘的なものを想定しているのではなく、この音の次にこの音を書いていくという決断と選択の連続がどのようにはたらいたかというこ とは、音楽理論や、実際的な条件や制限だけでは語れない、なにか別な作用で、後からの分析ではない、音とそれを音符として書く人間の連携作業のよ うな側面があり、それはできあがった楽譜の分析からは追体験できないのではないか、それを書いた人間でさえ、それを説明することができない、意識 にのぼらなかった部分があるのではないか。そうしてみると、作曲という行為は、作曲家だけのものではなく、よびさまされた音の運動との恊働作業と 言ったほうがいいのではないか。
おなじことが演奏にも言えるかもしれない。楽譜になった作品の演奏は、演奏者と楽器、その出会いから起こる音の運動、楽譜を書いた過去の作曲家と その時の音、さらにまさにいま、そこにいて演奏をきいているひとたちの存在、それらすべてを含む音楽空間のなかで進行している。
音の自律的な運動はイメージあるいはたとえにすぎない。音がうごいてメロディーになり、メロディーが次々に音を生んでいくということは結果からさ かのぼるイメージで、人間の身体運動が自分の声帯を含む楽器から音を引き出すという状況での、技術に還元できない部分をイメージの連続性で覆って いるとも言えるだろう。個の身体が音に共感するのは、歴史的な身体と身体の共振、文化的空間のなかでの情感による間接的な撹乱とも言えるし、音を どのように受け取るかは、受け取る側の自律的な認知行為で、ある音に対して一定の行為を誘導する保証も根拠もない。さらに音は全体的な振動現象 で、それがはじまり、一つのまとまりをつくるまでが、聞く行為の対象になり、一つ一つの音や、主題や動機と呼ばれる作曲理論上の構成要素が一対一 の対応をつくることはありえない。
18世紀から20世紀にいたる近代音楽史は、オーストリア・ドイツ的な構成的音楽観に囚われていた。その上での進歩主義が崩壊したのは、せいぜい 1968年の社会的撹乱をうけて、価値の多様性が再登場した後のことではないだろうか。ミニマリズムは、破片となった構成的統一を最少限すくいあ げようとする西洋音楽のあがきとも言える側面をもっていたと同時に、アフリカやアジアの音楽文化の継承してきた身体性を見直すきっかけともなった とも考えられる。経済主義・商業主義に汚染された他文化の私有と知的財産化が問題であるにしても、コロニアリズム的オリエンタリズムとはちがう、 ネオコロニアリズム的グローバリゼーションの時代が来た。
身体の復権にともなって、即興性、身振りの引用と転用、コラージュとパロディー、知的論理や認知主義にかわって、内在行動や情感の優位と、分節さ れた構成ではなく、輪郭の循環性による、差異の戯れのなかに姿をあらわす組織の特異性が、すこしずつ音楽のなかに認められるようになった。ゆるや かに変化するもの、軽やかさ、多彩な音色、微妙にゆれうごくリズム、微かな音に耳をすます能力、これらが、まだアカデミックな垢となって新しい音 楽の表面に付着している前世紀の技術主義的・構成主義的遺物のなかから、まだほとんど意識されない兆しとなって芽生えているようだ。
2010年11月1日
小倉朗のこと2
小倉朗の初期「ピアノ・ソナチネ」は1937年で、フランスの同時代、新古典主義の音楽の感覚に近かった。瞬間の知覚が古典的な形式の枠のなかに 入れられている。これが音楽の同時代様式だったのだろうか。新しい響きと古い枠組みは、シェーンベルクでもバルトークでも共存していた。モダニズ ムは、自発的な響きのあそびという散乱に耐えられず、統合された構造の家に収容された。
1940年代、戦時下での孤立と戦後数年の交通の回復のあいだは、排他的な民族主義に加担したくなければ、残されていたのは古典への逃避だった。 小倉朗の場合、それはドイツ・オーストリア古典音楽の模写になる。粋な響きだけでなく、持続への意志をささえる論理をみつけようとする試みだった とも言える。反時代的な方向が、その時代をやりすごす道となった。
作曲の技術なしには音楽は作れないが、音楽を作らなければ、技術はまなべない。模写をくりかえして身につける技術は他人のもの、ちがう時代、ちが う文化のもので、それを身につけた後に捨てなければ、いま心のなかで響いている音楽をかたちにはできないだろう。
作曲は分析でもなく、ことばによる解釈や批判ともちがう、音をうごかし、定着し、またうごかしていく作業で、その作用は外からは見えないが、そう だからと言って「達人の技」と神秘化するまでもない。一つの音に他の音が組み合わされ、一つの響きが別の響きに変化する、そういう流れが続いてい くように心を配り、そのことに集中している時間が作曲と呼ばれるだけだ。音楽はただ時間のそって流れ去るのではない。流れのどこかに循環する回路 がひらき、創るとは、すでに作られたものを作り直し、作り変える、つまりそれ自身のパロディーでもあるような関係の網がその内部にはりめぐらされ たとき、音楽としての意味をもちはじめる。それらの関係が更新されている限り、音楽は停まらない。音楽はそれをその場で創りつづけている行為のあ らわれである響きとなってきこえるが、行為の軌跡が作品として残されても、その分析から見える姿から、それを創った心のはたらきはこぼれ落ちてい く。
小倉朗の世代の音楽家たちは、戦後ふたたびひらかれた世界のなかで、やっと同時代の音楽的課題にもどることができた。古典は記憶のなかの面影とな り、はじめて現代史と対話する音楽が生まれるはずだった。加藤周一は「音楽の思想」(1972)のなかで、小倉朗の音楽を「形になった感情」と呼 ぶ。戦時下の非合理な情念にさからって古典的な論理を構築した同世代の共感があったのだろう。だが、次の世代がすでに迫っていた。音楽をはじめた ばかりで戦争によって中断された世代は、戦後出発した世代との感性の落差を埋めることができなかった。
加藤周一が「形になった感情」に対して「身体になった感情」と呼ぶのは武満の音楽だが、後から来た世代の音楽的感情は、これほど理解 しがたいものだったのか。戦時下を耐えた古典的な論理は、もうその役割を終えて、共感をさまたげる壁となったのだろうか。
だが、戦後の解放された感覚にふさわしい音楽のかたち、断片をその散乱と逸脱のままつなぎとめる音楽的行為のネットワークは、まだ意識にはのぼっ て来なかった。前衛的な試みも、考えだされた規則に従って、切り離された構成要素を記号のように操作することに尽きる。音は音符であり、独立して 空間のどこかに浮かんでいるオブジェのようにあつかわれていた。これはかたちを変えた古典主義ではないだろうか。「形になる」のでもなく「身体に なる」のでもない、視線によって変貌するかたち、知的操作ではなく、身体的共鳴によって循環する変化を創る作曲の方法はすでにあるのだろうか。ま だないとするなら、その徴を、書きとめた断片の集積のなかにさがしあてられるだろうか。未完成の建物、あるいは崩れかけている廃墟、進行中のノー ト、音の身振り、どこかに向けられるまなざし、一瞬の翳りが見え隠れする、隙間だらけの空間。
演奏によって死んだかたちをふたたび生かすのは、まだやさしい。再現や解釈ではなく、と言って、まったくの即興でもなく、反復でもなく、循環しな がら即興的に変化し、伝承されたかたちを崩しながら、卵の殻からちがう運動を呼び覚ます、そんな演奏のありかたを思い描くことはできなくはない。 響きが消えるまでの短い時間のなかに生きる音楽にとっては、演奏こそが本来のありかたで、作曲は補足的なもの、演奏への指示と結果の記録が、その 分を越えて、それだけが創造であるようにふるまっているのだとも言える。
音楽の変化が現場からはじまるとすれば、それは歴史的身体の必要に応じて変化するだろうし、指示や記録方法の不適切は、後になって気づくこと、つ まり作曲法の変化は、演奏の場の変化にいつも遅れて起こることになる。20世紀音楽史は、そうしてみれば転倒しているのではないか。それなら、そ こに登場する作曲家や作品をエリート主義としてかたづけられるのか。ポップミュージックまで視野をひろげてみれば、実験とそのデザイン的な応用と の相互作用は、コマーシャリズムや音楽ビジネスというだけではなく、表層文化の両輪が噛み合いながら回っていく。この音楽装置のなかで、相対的に 自律できる場があるのか、そんな可能性は思い込みでしかないのか。
1950年代の小倉朗は、後になって「なぜモーツァルトを書かないか」(1984)のなかで「音の流れが進みながら、句読の和音(ドミナント)に 向って盛り上がり切り立っていくその波頭や、砕けて散るしぶきの中に、あたかも夜光虫の光のように光を放つ感情」と要約されているような古典主義 にたどりついた。それから日本語のリズムと抑揚に注目し、それも研究というよりは、じっさいにわずかな音をうごかしながらメロディーを作曲し、そ のなかで発見していくプロセスだった。「日本の耳」(1977)は、その経験を書いている。
音楽的感情は、音楽の輪郭となるもの、それ(ら)は、分析の結果あらわれる構成要素や、計算された配列のように、分離され、定義され、操作される というよりは、うごく音の全体として共有される。音楽が響くとき、さまざまな感じかたのちがいを包みこみながら、だれのものでもない空間がひら く。ちがうことを感じながら自由に歩き回れる場で、音そのもののあらわれから位相を移しながら、ちがいをそのままに人びとの心を通わせる通気口に なる。それが音楽のもつ強さとしなやかさと言えないだろうか。
小倉朗が作曲から離れていこうとしていた頃に書いた「竹」(1977)という文章の一節、「だが、そうして竹の枝がほとんど露わになったある朝、 竹全体が不思議なうす緑の光につつまれているのを見る」、竹の葉が枯れて飛び離れていった後に萌え出た若葉が逆光を浴びている瞬間、そこにそれぞ れの意志と方向をもって飛び交う音を包む場の予感が感じられたのだろうか。
2010年12月1日
太陽の光があたって反射する表面には、輝きしか見えない。雲が通り過ぎ、翳ると、細かい凹凸が浮き出す。曇った日には、物の輪郭はくっきり見え る。日が傾くと、影が長くなり、重なり合って、色は複雑になる。求心力・重力がありながら弱まった状態で、観察する眼の運動は、自由になり、深く なる。
このように、中心の光や物がすでにあることを前提とした立場とは逆に、物のあいだ、隙間から考えることもできる。物の輪郭を見定めるとき、物の表 面の終わるところではなく、何もない空間が物で区切られる、空間の側から見ると、そこに輪郭線が、物の占める場所からすこし離れて、切り取り線の ようにはっきりしてくる。物はそのとき、影のように正体不明の障害物、空間にせり出して、眼を遮る不透明なスクリーンとなる。輪郭線が物の側では なく、空間の側にある、しかも物とは接触しない、わずかな距離をおいて、輝きを持たない、そこだけ脱色されたような薄い線となって、物の侵入から 空間の自由な交通を防衛している、そのこちら側でだけ、眼だけでなく、身体となった意識がうごいていることを、どう考えればいいだろう。
物に接触している身体は安定しているが、停まっている。いつまでもそうしてはいられない。外側だけでなく、身体の内側もうごいている。うごいてい るかぎり、はじまりも終わりもない。起源も目標もないと言っておこうか。誕生や死を見ているのは、その身体ではなく、その外側からの観察でしかな いから。
アルチュセールがヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の最初のセンテンス Die Welt ist alles was der Fall ist について Fall を事柄とかケースとかではなく、文字通り「落下」と訳すことによって、エピクロスと結びつけている対話を読んだ(ルイ・アルチュセール「哲学につい て」)。まっすぐに落ちていく原子の雨の、粒子の軌道のわずかな偏り(クリナメン)のつくりだす結合や反発の関係のすべてが世界である、それも一 つの世界 Universe ではなく、無数の世界 Multiverse であるという考えかたを、起源も目標もない、つまり無神論で非権力の庭に女も奴隷も迎え入れたエピクロスの哲学、というより、生活共同体を説明することば だと思えば、うごいていく身体である意識の活動が、この社会で、この制度のもとで、すこしでも自由になっていく方向で、どんな音楽になって響く か、についてのひとつのヒントがそこにあるだろう。アルチュセールは、材料としての物質や化学物質とはちがう、実験装置としての物質、身振りの痕 跡としての物質について語っている。音楽のなかで、音は身振りの痕跡であり、記憶を刻む装置ではないだろうか。音楽は、かつてあった音楽によって 条件づけられ、ちがう時、ちがう空間に何回も呼び出され、あらためて問われる。
音楽的記憶を刻み、ふたたび刻む演奏のなかで、その瞬間に突然何の理由もなく起こるクリナメン、それは自由意志のたとえでもあるだろう。偶然のな かにおかれて、決められた意志からは予想できない決断をしつづける、という意味では、自由意志は意志ではなく、意志をもたないことでもない。抵抗 する意志の持続とでも言えばいいだろうか。知らない海域で暗礁を避けながら舵を切る航海は、速いように見えても、舟はゆっくりうごいていく。直線 に見えても、稲妻形に折れ曲がっている試行の連続。
創造は計画とはちがう方向に傾いていく。そうでなければ、何も起こるはずがない。それが一回限りではなく、何回でも起こる、可能なかぎり創造しつ づけることは、時間を瞬間にまで圧縮することによって、うごきまわれる空間を無限大に近づけること。水のように浸透し、蔓草のようにひろがってい く。
たとえをつみかさね、慎重に書きすすめていると、いつかたとえが定着して、それとしての意味をもちはじめるのではないか。本を読みながら、手がか りになることばを拾いながら考えることもできるが、書かれたことばや思想の引用は、それらへの同化ではなく、そこから離れるための足場とも言える だろう。一般化していく傾向、抽象化する観察。どこかで見切りをつけて、個別のケースにもどる時期が来る。たとえは必要以上のものを呼び込む傾向 があり、そのあいまいさが逆に必要な場面もあるにしても、たとえは別なたとえと矛盾することでみがかれる。付け加えることも、削ることも、プロセ スのなかで起こることで、そこにたちどまらないで、つづけていくこと、そしてここでは、ことばは音ではないことを、しかし音を考えるにはことばし かないことを、時々思い出しながら。
2011年1月1日
『カフカノート』の準備
1964年秋、分断されて3年たったベルリンの西、森の小径を歩きながらクセナキスからエピクロス哲学の話を聞いた。その後『ソクラテス以前の哲 学者たち』をギリシャ語とドイツ語の対訳で読み、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の最終巻『エピクロス伝』をギリシャ語と英語の対 訳で読んだ。
ミシェル・ビュトールにその後パリで会った時、アメリカでナイアガラの滝を見てクリナメン(偶然のわずかな偏り)を理解したと言っていた。さらに その数年後バッファローで、雪の日にクセナキスの運転する小さな車で、ナイアガラを見に行ったことがあった。滝の一部は凍っていたが、流れて激し く落下する水の飛び散る先には、小さな虹が立っていた。それはクリナメンの創造する多重宇宙を映す鏡のようだった。水の粒子はぶつかり、まず反発 する。出会いは結びつきではなく、ちがう方向に離れるほうが先になる。目に映る水は、落ちる時、一つの流れからはぐれた粒子の軌跡を一瞬見せる。
1965年パリで、新刊のアルチュセール『資本論を読む』と『マルクスのために』を読み、「重層的決定」や「認識論的切断」のようなことばのナイ フで、論理を切り裂いてひらかれた隙間で、ちがう問題意識に移るプロセスがいくらか見えた。1968年5月はもうそこまで来ていた。その頃はヴィ トゲンシュタインやクワインを読み、唯名論に興味をもっていた。問いのなかにすでに答えが含まれているなら、問いかたを変えるよりない。
だが、構造は変化しても、構造という枠のなかにいる限り、保護されはしても、いずれ脱ぎ捨てる殻とならなければ、うごきはじめたものも繭のなかで ひからびてしまう。1968年はやがて制度に回収され、1990年の崩壊を待たなければならなかった。たとえ殻をやぶって新鮮な空気に触れたとし ても、身体は、やがて新しいうごきかたをまなび、それに慣れていく。永続するクリナメンともいうべき一時的結合と離反のプロセスを手放さないよう に、それぞれのエピクロスの庭を内側にもつことを時々たしかめるのがいいかもしれない。カフカのように、「速く歩いてから耳をすますと、夜であた りが静かなら、しっかり留めてない壁の鏡や日除けがかたかたいうのが聞こえる」(八つ折ノートB)。それでも共生関係にまつわりつかれないで、創 造したままの世界全体を見渡すこと、しかもそれが核心からの視点であると同時に、いつでも移動できるようにして故郷に留まっている(八つ折ノート H)、立っているのは二本の脚で立つのがやっとのところ(同じくG)。
こうして『カフカノート』のプランにもどってきた。1986年の『カフカ断片』、1987年の『可不可』、1989年『カフカ・プロツェス』、 1990年の『可不可2』の試行と失敗をふりかえり、あらためてテクストを集めはじめる。以前の作品のように演劇でもなく、室内オペラでもなく、 ノートブックそのもの。そう思ってはじめたが失敗した試みにまたもどる。もう進歩主義的歴史感もなく、唯一の正しい方向などありようもない、だが 並列的に多様化したとは言えないし、多様化の見かけのなかで変化をきらい、現状維持されている世界とそこで創られる音楽について、一般論としての 抽象的音楽論であるより、個別のケースにもどる。目立たないが、それをぬきとると全体の組み替えが起こるような小さなネジ、だれのものとは言えな いが、だれともちがっている無名で非人称的変化、気づかれずに浸透していく、性格を持たない、偶然の痕跡。
カフカ自身が生前出版した作品からではなく、ノートブックに残した未発表の短編の一部、それよりも、書きかけて数行も続かず、時にはセンテンスの 途中で停まってしまったことば。断片をさらに断片化し、脈絡を断ち切りながら並べる作業はコンピュータ上でスティッキーズという紙片を並べ替えな がら、前回使ったマックス・ブロート編集の「標準版」(Fischer Taschenbuch)とその訳書である新潮社版全集ではなく、1992年に出版された手稿版(いまはオンラインThe Kafka Projectで見ることができる)から、それによる池内紀訳の白水社版『カフカ小説全集』よりも逐語訳に近い日本語を考える。読まれる文章の調子を変え ないように、句読点を原文のままにする。歌にする場合は、ドイツ語の音節数に近づくように日本語の音節を削る。白紙の上に残された痕跡である文字 を手がかりに、それを書いたペンの見えない作動プロセスに似たことを、別なかたちではじめられるだろうか。
パフォーマーは、ことばを空中にきざみこむペンとなって、よみ、うたい、舞う。どこでもない場所、いつでもない時。薄明かりとわずかな音。書くこ と、書き続けること、細部にこだわりながら途切れることば、響き、動き。意味を持つ前の書く身体の身振りであり、意味や解釈ではなく、理解できな くても、あるいは、理解しようとするかわりに、ただ、限界線を引いて切り取ることば。とくにアフォリズムは、語源の通り、地平を限ることで、一般 論や哲学や、まして教訓ではないだろう。それを書いた手の、そのときの状況に即して、行為の地平を限定すること。ことばは意味や解釈で言い換える のではなく、そこから浮かび上がる音と影のような姿、夢見るような自分の声でない声、音階からはずれていく歌、遠くからきこえてくるような響き、 唐突だが抑制された身振り、反復されながらずれていく動作、眼の前で夢を払いのける手を感じながら、はこばれていくだけ。夢見る人のいない夢、突 然の転換と停止。断片を断片として、始まりもなく終わりもなく、はじまったものは途中で中断され、流れの方向が変わる。
だが、これもまだぼんやりした期待、それと気づかずに失望がしのびこんでいるような。以前の2回の試みがそれぞれ一度限りのイベントに終わったよ うに、今度も思ったようにはいかないだろう。もともとがカフカのノートブックのように、失敗の痕跡の集積を意図して創るのだから、予見をたえず裏 切る展開、角を曲がると、どこかで見たようでもなじめない風景がひろがっているような、そんな幸運を望めないにしても、それだからいっそう。
2011年2月1日
カフカのことばを歌う
36の断片のうち11片はうたわれるので、メロディーだけを先に書く。原文のドイツ語と日本語訳文をみながら、まずドイツ語を歌にして、それを日 本語によって修正する、ドイツ語でも日本語でもない歌の姿があらわれてくるように。単語のリズムや抑揚をメロディーにするよりは、フレーズ全体が 指し示す方向と、一つのフレーズから次のものへすこしずつ移り変わっていくような音の運動をつくりだす、ことばの身振りが声の身振りになるよう に。だれが歌ってもいいように、オクターブよりすこし広い地声の音域の範囲内で、3種類の音の長さ、短い(16分音符)、長い(2分音符)、その 中間(8分音符)、3種類の中断、コンマ、フェルマータ(停止)、中間休止の記譜に限定する。歌われるシラブルと語られるシラブルを混ぜようと 思ったが、それを指定すると複雑になり、指示されたことにしたがうだけで、指示にはとどかない、したがう時間の遅れがだんだん大きくなる、軌道か ら外れて取り残されるのではないか、そう考えると、指示が指示それ自体に先立つ瞬間へと、時間の縫い目のほころびからさまよい出して、方向のない 空間をうごきまわれるような示唆としてはたらくようにならなければ、「そこへ行け」「あれをやれ」というような指示を、いくらか遅れて不器用に反 復するだけで、たとえば階段をのぼっていて、あるべき距離に次の段がなかったり、予期しない凹凸や敷石の継ぎ目のずれでつまずきそうになる、そう いった細部に注意を向けるような指示でもないかぎり、だれのものでもない、どこから来るのかわからない声という、自動的行為の出現をさまたげるの ではないか、と思ってもいた。メロディーを歌うのでもなく、節をつけて語るのでもなく、自分を歌いあげない、相手に直接語りかけない、陶酔や説得 の熱気を離れて、何もない空間に眼をそらしながら、夢を見ている時のように、自分の喉から自分でないだれかの声がきこえてくるのを聞いていて、そ れをどうすることもできない感じ、自由間接話法、隠された意図を持たない引用、思いつきが止める間もなくそのまま口を衝いて出て、しかも抑制され た調子で、壁の向こうで話されていることを繰り返しているような。
歌のメロディーを書いてしまった後で、最初の断片にもどり、楽器のパートを書きはじめる。思いついた音から書きはじめ、その音についていく。こん なふうに音楽を作るようになったのはいつからだろう。以前はシステムがあった。材料をそろえ、可能な組み合わせを書き出し、全体の構成や、そのな かでの要素の配分や変化を決める方法があった。20世紀後半の音楽は、音列技法はもちろん、さまざまな技法を使い、どんなに前衛的にみえようと、 全体の統一をめざす限り、ドイツ・オーストリア的な一元論や普遍主義から離れられなかった。偶然性でさえも管理され、全体の構図の枠のなかに収 まっていた。調性音楽の文法はなくても、メロディーと伴奏、低音の支えがあれば、和声的構造が機能しつづけている。音程が自由になっても、リズム の規則性がはたらいて、そういう音楽を古典のカリカチュアかパロディーのように思わせる。
思いついた音からはじめても、そこから思うままにうごかしていくのではなく、思うままにならない音を追って曲がり、先の見えないままにすすむの は、即興とどこがちがうだろうか。作品のもつ完結性やスタイルが排除しているのはなんだろう。書かれた作品は「この音を弾き、次にこの音が続く」 という指示でも、それを書いているときには指示ではなく、流れに追いついていくなかで起こることを見ているだけ。発見があるのは、予期しないこと が起こる時だから。
『もしインディアンだったら、すぐしたくして、走る馬の上、空中斜めに、震える大地の上でさらに細かく震えながら、拍車を捨て、拍車はないから、 手綱を投げ捨て、手綱もなかった、目の前のひらたく刈り取った荒地も見えず、馬の首も頭もなくなって。』(カフカ『インディアンになる望み』)
ことばを書けば、それが存在しはじめる、ただしこの世界のなかではなく、どこともしれない文学空間のひろがりのなかで。書きすすめるにつれて、人 の姿が現れてくる、走っている馬に飛び乗って、身をのりだしている、だがもう走りだしてしまった後だから、拍車や手綱は着けられない、震える大地 は感じられても、目の前の風景はあとから作れない、首も頭もない馬の走りだけがある。
einfallen は「起こる」こと、字義通りなら、落ちてくること。落ちてくることばに突き飛ばされて、思ってもいない方向に走りだす。そこで別なことばにぶつかり、方向 が変わる。さらにその跡をなぞる (nachziehen) と、「生活の輪郭がはっきりして」道が見えてくるのだろう、降りかかってくる障害を避けて曲がる角が濃くなぞられて。
2011年3月1日
『カフカノート』の作曲
ある夜帰ってきてコンピュータの電源を入れるが立ち上がらない。奇妙な音がして内部で空転している。デジタル機器は思いがけなく突然壊れる。アナ ログのようにしだいに動きがわるくなり停まったりうごいたりをくりかえし最後にまったく停止する前に取り替えたり何らかの手を打つ余裕があるのと はちがって、1か0かというふうに、何の前触れもなく完全に使用不可能になる。こんなことがこの器械では以前にもあったが、今度はハードディスク が壊れてデータが取り出せなくなった。作曲しかけていた『カフカノート』はバックアップを取っていなかったので最初からやり直しになる。
こんな事故をきっかけにちょっと休んで頭を切り替えるあいだにちがうことを思いつくかもしれない、というほうに賭けることにすると、まずテクスト の訳は、メールでひとに送ってあったものを返送してもらい、最初と最後の断片をちがうものに変える。それからその訳文からさかのぼって原文を読み 込み、ドイツ語と日本語のテクストをそろえたところで、また作曲をはじめる。歌のメロディーだけはプリントアウトしてあったが、ピアノのパートは 失われたものを記憶に頼って再現すると自分のコピーになるので自然な流れではなくなってしまう。最初の断片を取り替えたので、作曲は失われたもの とはちがうところからはじめることになる。ちがう始まりかたをした音楽の流れは、以前の音楽とおなじものにはならないだろう。
1970年代までは作品全体の構造をまず考え、要素や構成を決めてから細部を書き出すという手順で作曲していた。その時代の音楽の作りかたでも あったし、それが古典的な作曲法でもあった。全体の設計図にしたがって家を建てるようなもので、物語の最後を想定してそこに運んでいくための出来 事の流れをくふうすることもできるし、いつも全体の構図が見えているなかで作業をしている、いわば視覚化されたやりかただった。カフカのノートは それとはちがう、暗いトンネルを掘り進むようなもので書く勢いにしたがって物語がどこへいくのかは作者も知らない。アルチュセールのたとえで言う と「すでに走っている列車に飛び乗る西部劇のヒーローのように目標もシステムもない出会いの唯物論」ということになり、マトゥラーナのたとえでは 「設計図もなしにそれぞれの場所で作業をすすめる舟大工がそれとは知らずに造りあげる一艘の舟」となり、さらに別なたとえでは、廻りながら軸がず れていく独楽、または刑務所の塀の上を追手のいる内側にも通報を受けた警察の待ち構える外側にも落ちないで走り続ける脱獄囚でもいいが、音の流れ が停止するまでの音楽の時間を手探りですすんでいく触覚的なプロセスにだんだんと移ってきた近年のやりかたでは、手近にある音楽を、それは聞こえ てきたものでもいいし、すでにある音楽の一部でもいいが、その場で変形され引用され埋め込まれたパロディーとなって、道を歩むのと同じ速度で作曲 もすすんでいく、作者が上から全体を俯瞰するような特権的な位置にはいないから、一つのフレーズから次のフレーズに移る差異以上の全体の地図は存 在しない。音を編む作業が最終的に停止したときに地図はできるかもしれないが、聞き手のなかに記憶されるような全体像ではなく点在する瞬間の束の 記憶、それも一つとしておなじものではない記憶だけとして残ることを願っている、そのようなものとしてはっきり像を結ばないが「気がかり」 Sorgeであるような何か。ベケットの最後のテクスト『何と言うか」Comment direに書かれているような失語症的言語、思い出せないが循環し、遠くにかすかに見える「あれ」、ただどのような意味でも目標や救いにはならず、透視画 法の無限遠点それも複数の点として散乱する道をひらくための。
ただ一方向に直線的にすすんでいるわけでもなく、立ち止まり振り返り曲がるだけでなく、以前のどこかの地点に戻ってやりなおすこともあるだろう が、さかのぼってそこからまたすすむ場合は、同じ道をおなじようにすすむのではなく、今まで見えなかった脇道に曲がってそこからちがう方向にすす むこともあり、循環するのは同じ水ではないばかりか、おなじ水路でもないかもしれない。何回も曲がっていくうちにどこへ行くのかもわからなくな り、すすんでいるのかもどっているのかもわからない。古典的な主題も動機の展開も変奏もなく、偶然の出会いから逸脱をかさねて主体も対象もないう ごきそのものになっていく。これがエピクロス的クリナメンとオートポイエーシス的自己創出を重ねあわせた運動、カフカ的に言えば落ちながら跡を曳 くうごきということになるだろう。階段を転げ落ちていくオドラーデック。
脈絡のないように選んだ断片からさらに抜き書き:「何もない、ことばを横切ってくる光の名残。」「だんなさま、どちらへお出かけで?」「知らな い、ただ行く、出ていく。どこまでも行く、そうすれば目的地に着く。」「目的がおありで?」「ある、「言ったはずだ、”出ていく”、のが目的。」 「食糧ももたないで」「いらない、長い旅だ、途中で何もなければ飢え死にだ。もっていても助からない。幸いこれこそ果てしない旅だ。」「長い、長 い未完成のものの列。」「ひとことだけ。願いだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きて、待っているしるしだけ。願いはいらない、呼吸だけ、呼吸 はいらない身振りだけ、身振りはいらない思うだけ、思いもなく静かに眠るだけ。」こうしてまた書いている。
2011年4月1日
テクストと音楽・・・遅延装置
『カフカノート』の作曲を終わって、いったいこんなことでいいのだろうかと思いつつ、しかしリハーサルのコラボレーションから見えるものもあるだ ろう。机の上にあるノートを読み上げる声は夢のなかで聞こえてきたことばのように続いて思いがけず途切れる、ピアノの音は途切れながらそのまわり に漂っている、ピアノは片手で弾けなければ両手で、または両手が別な時間、別な線でテクストをなぞっていく、声と楽器の線にうごかされてはじま り、中断されては再開される身体のしぐさが第3の線になる。計算された効果や構成ではなく、ゲームの規則のように、3本の色鉛筆をにぎって描く線 の束のように、消えていく残像をひきずりながら、どこへいくかわからないまま進んでいく。
カフカの文章は、入眠幻覚のように、書こうとする意志を鎮めて、心身が脱力したときにあらわれるイメージやことばを捉えて、芭蕉がいうように「も ののひかり消えぬうちに書き留める」作業が俳句に完結するのではなく、うごきだしたことばが停まるまでひきのばされ、停まりそうになる時には、う ごきがそれ自体をコマの緒のように鞭打っても先へ先へと逃げていく。落ちかかってくるものに対しては、まず避ける、それからすこしずつ近づいてい く、触れてたしかめる、最後に受け入れる、という複雑な経路、まがりくねった慎重な対応の軌跡が生まれるだろう。
だが、カフカはかなりの速度で書いている。1991年の手稿版でも見られるように、段落は長いし、普通は分割するようなセンテンスも、コンマを打 つだけで先を急ぐ。話す速度で書こうとしているようだ。最近の史的批判版では手稿そのもが写真版になっているようだが、その筆跡を見ていると、も しかするとこれは近代の速度なのか、飛行機、未来派、戦争、ファシズム、ダダ、ロボット、ロケット、大虐殺、加速度で転げ落ちる文明に巻き込まれ ながら、エッシャーのメビウス的階段を這い回る虫のように登れば登るほどじつは落ちている、息を切らしたバスター・キートンの石の顔がヨーゼフ・ Kの顔と二重写しになって、ではこれは不条理な運命に巻き込まれた人間の悲劇なのか、またはちょっとしたことにありもしない兆しを読み取る自縛自 縄の喜劇なのか、それともほとんど書かれた人物と密着しながらその側ではなく「世界の側に」立つことばで追いつめていく判決文なのか、おそらくそ のどれでもありうるし、だがどれとも言い切れない、ことばを紙に書いている、文字通りペンで紙の表面をひっかきながら、ペンはひっかからずに流れ るインクの跡を残しながらうごいていく、それについていく手と、そのことばで書かれた限りで姿を見せ、紙から手が離れた後は失踪する主体は、一人 称で書かれていても書いている手とおなじではない。書かれた人物が経験するできごと、物語も、書いている手のうごきの影にすぎないとするならば、 書く手の感じていることばの手触り、手が書くことばを通して聞こえてくるだれのでもない声の途切れない響きの変化が、鏡のこちら側にある作者の存 在で、といっても、それは作者の生活や経験や知識というより、それらの堆積が環境となってある時あるリズムと抑揚のあいまいな輪郭がうごきだし、 それをことばとして聞き出し、聞き出したことばがことばを呼ぶうちにそれらの関係がつくられ、その網目の中でうごきまわるエネルギーがめぐりなが ら関係を複雑にしていき、共鳴によってことばの揺らぎが大きくなり、拡散して、こんどはその拡散するエネルギーそのものが、ある境界のなかでそれ 自体を抑制する方向に向かい、やがてそれ以上の推進力を失って収束に向かう、このプロセスは一回性のもので、二度とおなじようには起こらない。書 かれたことばやそこに見え隠れする人物や物語は、創造プロセスの痕跡、外側から観察され、さまざまに解釈されるてがかりにすぎないが、そのプロセ スは、意味や解釈、分析などではなくて、別な身体がなぞる声の線によってずれをもった別な振動となった共振が読む側に波及する。
書く手が残した文字を日本語という別な言語に移し替えること、ちがう歴史のなかで造られてきた言語のなかから、一対一で対応する単語からはじめて センテンスを組み立てていくならば、翻訳以前に解釈があり、翻訳の文体があり、解釈された意味に沿ってあらわれてくる別な風景がある。途切れなが ら続く声からはじめれば、単語は後回しで、まず呼吸の長さであるパラグラフ、呼吸をさまざまな響きで彩る声のリズムと、抑揚の輪郭のメロディー を、別な言語の響きを使ってなぞっていく作業がある。知的に理解しようとするか、生理的に同調しようとするかのちがいだが、どちらも外側からの観 察の結果であることはかわらない。後のアプローチをとる理由は、これが眼で読む文字ではなくて、声のパフォーマンスのための台本であることによ る。聞こえてくる声の速度とそれを書く手の速度、書かれたノートを読みあげる速度はみんなちがうし、読みあげる場合はその空間によってさまざまに なるが、内部の声から文字、ふたたび声になって劇場空間へと移るにつれて速度は遅くなっていく。そこに音楽がからみつき、別な身体のしぐさを見る 時間が加われば、もっと遅くなるだろう。しかも紙の上の文字とちがって読み返すことはできない。声も音もしぐさも知覚された時にはもう過ぎ去り、 消えている。「ことばを横切る光の名残」があるだけ。劇場という遅延装置 delay のなかで夢のなかの声は過去へと飛び去っていく。
2011年5月1日
『カフカノート』の後に
シアターイワトで4月16日と17日の2日間、3回公演した後で、それについて考えてみる。
客席を4隅に配置したのでステージは十字型になり、ピアノが中央奥にあり、反対側に白い机、その上にノートが1冊。中央に低い白い台、これはベッ ドにもベンチにもなる、ピアノの傍には白い梯子。これらはすべて平野甲賀の構想と制作。
練習はまず歌を一節ずつ全員でうたうことからはじまった。次に全員でテクストを朗読する。それから各断片を分担して読み、あるいは歌い、ノートの ページをめくって交代する。読み手以外の3人は、自分で考えた動きをためす。それらの動きをその場にいあわせた全員が見ながら、すこしずつ修正し ていくが、細部まで決め固定することは避けて、その場で変える余地を残す。こうして二日目には全体の通し稽古ができるまでになった。演出家はいな いから、一つの視点ではなく、様々な視点を組み合わせて、ゆるい約束ごとができていく。それでも、全体を構成し、台本を書き、作曲をした時の予想 がまずためされることになる。
朗読は一節ごとにイメージを作っていく。それは意味や感情を通した解釈ではなく、ことばのリズムと、呼び起こすイメージの変化をたどっていく。そ こに動きと音楽の層がかさなり、ずれと相互作用を起こす。読むのは自分ではなく、遠くから聞こえてくる声を伝えるだけ。動きは自分の表現ではな く、操り人形のように全身が連動して、突然始まり、突然終わる。楽器の音は最小限の音の身振り。これらはスタイルではなく、身体技法から入り、そ の場の状況に対応して、内側から声を含む自分の身体の動きを観察し、空間のなかで他の動きを関連づけながら位置や動きの方向が決まる。というのは 外側からみた結果論だが、じっさいには意識の遅れをできるだけなくして、予備動作なしに瞬発する動きを想定している。カフカのアフォリズム「目標 はあるが道はない、道と言うのはためらいだ」とはちがって、目標も道もない、偶発的なできごとに対して、ためらいもなく、別な偶然で応えること、 と言っても、これこそすぐにはできない、訓練がいる。それは強制はできないし、それに方法や技法を統一する必要も意義もない。なにかに意味をもと めるのは、人間的なまちがいかもしれない。偶然に現れ、また消えていくさまざまな現象が衝突し、思いがけない一時的な関係が生まれては変化し消滅 する空間と時間の場を設定して、そのなかでひとつではなく、多くの重なりあい、矛盾する動きが見られるようにする。
以前の二回の試みの後で、第3の版を考えたとき、最初と最後に置く断片だけは決まっていた。その時は、最初の断片で災害から逃げる翼を使わず、死 者たちや神々とともに町にとどまる老人の話は、偶然地震の後になったが、もともとアフガニスタンやイラクでの無意味な戦争から思いついたことだっ た。最後の断片のオドラーデックは、ヨーゼフKの処刑の後に生き残るかのように思われた「恥」のように、ちいさくささやかであることで、この無意 味な世界に無意味な死をこえても残る「無」すれすれの不安と気がかり。
白い木彫りのオドラーデックがステージの上方から見下ろしている。平野甲賀が余震のあいだ彫り続け、それはジャコメッティの彫刻のようにやせ細っ ていった。最後の断片になると、それがゆるやかに回転する。観客はほとんど気づかない。
このテクストと音楽と行為によりながら、演劇でもオペラでもない、作品でさえないこころみは、練習に近い。逆に、その練習は練習ではなく、毎回少 しずつちがう上演とも言える。いつまでも未完成で、いつでもやりなおせるあそび。
それはクラシックや現代音楽コンサートの聴衆や、ジャーナリズムや音楽批評をあてにしてはいない。1960年代の草月アートセンターや、1980 年代の水牛通信のように、まずシアターイワトという場があり、そこにかかわる人びとのネットワークを創りながら、そのまわりにすこしずつひろがっ ていく、Ustream中継やYouTube などインターネットは記録として残るが、人びとの集まる場は、ばらばらの個人的電子空間で代替はできない。一時的な相対的自律空間は永続はしないで、制度 に取り込まれる前に消滅し、不意に別な場所に現れる。カフカのノートになるこころみは、オドラーデック的存在様式を発見することになった。
最後に当日のプログラムノートの引用:
『カフカノート』はカフカのノートブックから集めた36の断片の束であり、カフカについてのノートでもある。
1990年の批判版全集のテクストにより、ドイツ語原文と日本語のどちらでも上演可能。日本語訳は、パラグラフ、句読点、歌の場合は音節数もでき るだけ原文に近づけた。
ノートブックの白紙の空間は、心のなかの小部屋であり、行く手の見えない道であり、小動物の走りと囚人の処刑場、日常の闇の時間でもある。
そこににうごめく夢魔の人文字の活人画。
だれとも知れぬ声が語り、時には歌声がきこえる。
楽器が声の線をなぞっていく。
全体はささやかな生命に落ちかかってくる災いにはじまり、生き残っていく不安に終わる。
2011年6月1日
音楽という幻
音がきこえる時 それはその瞬間に振動している空気ではなく 記憶のなかにあるその振動の結果にすぎない、と言ってみると、それは論理というより は、確認も証明もできないが作曲の口実にはなるかもしれない、根拠のない一つの主張であり、つかわれている単語の定義やそれらの関係をあいまいに しておくから、もっともらしく見えるだけだと考えることもできる。根拠や定義や真実性を追求しないで、この口実からはじめて、音楽を作っていく過 程も、論理の展開ではなく、躓きながら飛躍する飛び石のようなものだろう。
石像のように、空間のなかに確実に存在するものとしてあるように見えても、そこにある石の塊の表面近くに浮かんでいる存在しない幻が、それを像と して機能させていると言えるだろうが、音のように固定できない変化そのものであり、それらの変化をさらに変化で置き換えながら続く音楽は、実体の ない記憶、存在していなかったものの記憶、思い込みだけに依存する空華となって、根拠も論理もなく、何もない空間からきこえてくる。楽譜や録音さ れた波形図から、音のかたちが眼に見えるように錯覚するばかりか、作曲や、楽譜をもつ音楽の演奏は、錯覚が持続するための装置としか言えないだろ う。そうやって提示される音のかたちが聞き取れるというのは、くりかえされる変化、とは矛盾した表現だが、そういう部分が記憶のなかから際立って 浮かんで、メロディーやリズムが記憶にきざまれ、響きや音色が背景にまわるような音楽が自然に感じられ、そういうものが個人の幻聴ではなく、集団 的幻覚によって音楽と認知される。これは、均一化された集団を対象にしている、近代音楽の場合とも言えるだろう。だが、どんな安定も一時的なも の、はじめに設定すればいつまでもそのままでいいというわけにはいかず、瞬間ごとに問い直し、つくり直しているのに、そのことには注意が向かず、 持続する印象がたもたれているのは、なぜだろう。
同一性を基準にして、変化を二次的な要因とするかわりに、まず断続する瞬間があり、そのなかに点滅する音響が、記憶のなかでは同一性までつきつめ られず、せいぜい家族的類似性以上には固定できない状態を考えてみると、境界のさだまらない流動が継続するなかで、響きや音色のように定義しにく い複雑な要素がおもてに立って、メロディーやリズムは、不安定なうごき、とらえられない儚い印象に後退する。そういう音楽は退廃的な傾向、文化の 崩壊期の兆候と考えられるかもしれない。安定した構造がゆらぐとき、別な考えかた・感じかたが未知の表現をさぐっている、というのは音楽にも社会 にもありうる状況だが、別な表現はかならずしも新しさではなく、要素の置き換えと位置の変化がいくつかの層にわかれて循環している結果かもしれな い。限られた要素の置き換えでも、それぞれの層で独立に起こり、それらの関連が表面から見えないときは、おなじ状態は二度と起こらないから、複雑 で不規則な変化が続くように感じられるだろう。均等な時間のなかで変化のずれが発生するのではなく、状態変化の発生順序を時間として認識するのだ とも言える。
音楽の場合の時間や空間はたとえにすぎないかもしれないが、日常生活の時間や空間も、軸や枠や箱のような実体ではなく、偶然のできごとの連鎖を関 係付け、整理するため、世界の瞬きに意味付けするための、仮の補助線と言ったほうがいいだろう。意味は論理から導かれるのではなく、まず意味を仮 定すれば、そこから論理を導くことができる、といっても、意味自体が仮の足場にすぎないから、
その上に組み立てられる論理も一時的なもので、一度使えばそれ以上保存する必要はない、そうだからといって、それなしでは済まされないだろう。変 化は同一の見かけの下で継続するが、この場合の同一性は本質ではなく、皮膚のように、不安定で傷つきやすい変化の過程を保護する膜の作用をしてい る。
2011年7月1日
わらの犬
ジョン・グレイの『わらの犬』(Straw Dogs)」(2002)という本を読んで 老子の天地不仁、以万物為芻狗ということばを知る。そこで老子を読み、最近発見された馬王堆漢墓の『老子帛 書』や郭店楚簡まで目を通してみた。
このことばはいちばん古い郭店楚簡(紀元前3世紀)にはない。馬王堆の二種類の帛書(前168年)にはある。『老子』は戦国時代に言い伝えられた ことばのコラージュだから、どこかからまぎれこんできたのだろう。「世界に慈悲はない、すべてはわらの犬のように捨てられる」というのは一般的だ が、そうでない訳もあり、英訳老子は123種、その他の言語でも無数の訳がある。解釈の数はさらに多い。
これらのことばの集まりである『老子』を統一された思想と考えるよりは、それぞれの断片が読む人の思いを映す鏡としてはたらくと思いたい。すべて は揺れ動いて停まらない。不安定な大地と戦乱の世界には、信じられるような原理もなければ、それを信じる自分もいない。落ちかかってくる偶然を切 り抜けながら生きていくのは身体の知恵で、意識や心、まして思想や信条ではないだろう。科学は仮説にすぎないし、現実にあわなければ、「わらの 犬」のように捨てられる。それでも受身ではいられない。とりあえずの仮説を次々に脱ぎ捨てながら、身体というシステムを維持していく
普遍的な人間のありかたや、人間であることの特別な意義が感じられない時代に、さまざまな生きかたがあり、それらのあいだで折り合いをつけながら やっていくよりないとすれば、グレイのいうホッブス的 modus vivendi(とりあえずの共存協定)は、老子のいう「道」、弱くしなやかに受け流すやりかた、またはエピクロスの「庭」、一時的な自律領域(ハキム・ ベイの TAZ )かもしれない、決まった方向も目標もなく、意味や論理で差別することのない、ゆるやかな結びつきのなかで、ちがう位置から世界を観て、一歩ごとにたしか めながら、すこしずつうごいていくことになるのだろうか。
書いていると聞こえてくる、音にならない音楽。微かに白く、遠い空間、前後との差しかなく、切れながらつながる時間。ほとんど連句のような。
2011年8月1日
棘ある響き
アルチュセールの出会いの唯物論からエピクロスを思い出し、クリナメンから明滅するオドラーデックにたどりつき、カフカのノートやヴィトゲンシュ タインの綴じてないページの束、マトゥラーナの循環するオートポイエーシス、と、むかし一度は触れた飛び石に、別な回路でもう一度出会う。
棒ではじき出された磨かれた金属球が釘にぶつかりながら、逸れて思いがけない囲いに転げ込むコリント・ゲームは、子どものころにはあった。わずか な盤の傾きが、最初の一撃だけで見捨てられた球のうごきを惰性で決めていくとしても、釘に触れるか触れないか、ほんのわずかなちがいで、球の行末 を思うままに決められる技術もなく、軌道を予測することには意味もなく、パチンコとは、新幹線と牛車ほどもちがう。天地不仁とはこのことか。
巡礼は離れて、遠く逝き、遠く離れればまた還る。還りは往きとおなじ道は通らない。また往くときも前とおなじ道は行かない。これは全体から見下ろ す確率論ではなく、一回の試みはいつも偶然。天気予報では30%でも、いま降っている雨は、100%の雨。どんなにまちがったり失敗しても、歴史 は確率ではなく、過去はたしかにそこにあった。でも、いまは日常の闇があるばかり、他には何もない。
使う音がすくなくなれば、メロディーは無限に伸びてゆく。まばらで、微かで、おぼろげで、形がない音楽は尽きない。それでも、どこかにとげがあ る。
ジョン・グレイの政治哲学から老子に曲がり、西脇順三郎の草を摘みながら歩く詩と、サパティスタの問いかけながら歩く政治運動と、池をめぐる風景 の変化、反遠近法、みんなむかし一度は思ったことでも、時を隔てて思い出すときにはちがっている。一つのものでなく、あるいは、一つのことからは じまるとしても、一は純粋の一ではなく、すべての色を含んだ一。二は対立する二ではなく、連続する線の両端、温度計の水銀柱の範囲、三は3つのも のではなく、組み合わせ{1, 2, 3, 12, 13, 23, 123}の七でもなく、三角形は囲まれた平面のすべての点を含む。
夜明け近く、暗い空間に光の粒子が漂いはじめると、閉じていた眼がふと開く。バス通りの騒音と混じって、神経の高周波の持続音が聞こえる。身体は まだうごかず、考えだけがしばらく彷徨っている。そんな時に、むかしの記憶や読んだ本の一節が結びついて、ゆっくり回りだす。
行列を組んで高みにのぼり、領土を見下ろしていたむかしの天皇が、反対側からやってきた神の行列とにらみあい、先に名乗りを上げた神は負けて追い 払われた神話、神の怨念を祭る山。雄同士の小競り合いと、縄張りを見まわり、マーキングを残し、高いところに上って雄叫びをあげる習性は、人間に なっても変わらない。バリ島の司祭たちは、頭上に天以外をいただいてはならないので、橋やトンネルの下をくぐるわけにはいかない。回り道して山に のぼり、道なき道を反対側へと進む。山登りして、尾根を縦走し、降りる道で崖から転げ落ちるのは、背を向けた谷の女神の引力か。
構造主義の20世紀は、作曲家が全体を計画し、要素を配分しながら、地図の上で、それらの組み合わせやうごきを監視していた。目的地も出発点もな く、軌道がずれていく水の循環、谷の音楽は、弱く、柔らかい響きは、耳に残る。
2011年9月1日
漂う舟のように
記憶は、崩れていく廃墟か、過去は偶然の出会いの堆積か。予想しなかった状況に出会い、切り抜けてきた経験が個人の歴史と行動様式をつくる。それ は一時的な安定だが、仮の足場として、隠れ家として、夢みるための繭として使えるだろう。
道は世界より前にうごきはじめていた。時間も空間もうごいていくものに追いすがる尺度にすぎない。この世界には構造も要素もあらかじめあたえられ ていないから、うごきの軌跡が場をつくる、それを構造と呼ぼうか、要素はうごきを跡づけるとき、ところどころに打たれる目印、構造に先立って選ば れ、構造を組み上げる素材となる実体というよりは、うごきの名残りとして燠火のように見え隠れする幻影ということになる。楽譜の上では、まだ鳴っ ていない音もページの上で見えているから、空間配置のようにして音楽の構成を考えることもできる。音楽家のあいだで作曲家の地位が上がるにつれ て、紙の上の設計図にしたがって音楽の細部までが決められるようになった。だが音は記号ではないし、音楽は記号操作とはちがう。いま聞こえている メロディーは5分前に聞こえたものとおなじではない。いま聞こえているメロディーと言っても、じつは記憶がむすびつけている音の残像から立ち上が るイメージでしかないが、楽譜を離れて音を聞く体験とはこんなにも頼りないもので、それだからこそ心を惹きつけ、説明できない出会いの印象が い つか思いがけなく遠い過去のように水中花となって立上ってくることもあるのかもしれない。
偶然は向こうから落ちかかるもの、それを避けようとして曲がり、あるいはそれに添ってめぐり、方向を変えて、行先のない旅になる。先が見えなくて も「一瞬先は闇」の不安ではなく、日常はそこにいるだけなのがあたりまえで、いまここはどこかとあたりを見回す余裕もなく、次々に無意識のトンネ ルに落ち込んで忘れられる瞬間があり、現在とはそういうこととするならば、地図の上でここからそこへと設定された目標と道筋をひたすら先へと辿る のではなく、歩くにつれて見知らぬ風景がすこしずつ現れてくるなりゆきのなかで、流れる水のように過ぎて帰らぬ線ではなく、記憶のなかを探り、浮 かび上がる断片をそのつどの手がかりに迷い逸れて、追いついてくる時間や空間がさしだす線や枠からはずれる。
17世紀の日本には構造や全体から俯瞰されるのではない、プロセスの芸術があった。書院造、回遊式庭園、蕉風連句など、要素の配分や位置ではな く、まず歩き出しうごきだすものが通りすぎる部屋の空間のちがい、視線をさえぎり方向を変えて回りこむと見えてくるものと隠れるものが、全体を予 感させないで、移ること、前の空間と次の空間のあいだに起こる連続と転換が、それぞれの空間を独立したものとしながらも、前の場の見えてない部分 をきっかけとして次の場にひらき、次の場によって前の場をちがう文脈で見せる、これは庭や家ではなく、机の上の白紙に書き込まれる瞬間に現れる連 句の集団即興の場合、書きつづけて書き終わるまで全体は姿を現さないあそびには、ただ書きつづけるという以外に何の根拠も保証もない。式目や句法 は場の限界を消極的に監視する規則だとしても、規則にはいつも例外があり、プロセスの推進力のほうが優先して、そのたびに伝統を組み直していく。
ここに西洋的な構成主義と日本的な感性の対立を見るのは意味のないナショナリズムで、老子の道もエピクロス派のクリナメンも、オートポイエーシス もラディカル構成主義も、アルチュセールの偶然の唯物論も、世界のなかにあり、不安定な大地と戦乱の時代に微かに見える隠れた小道の表現かもしれ ない。それらは徴であり、兆しであり、それを指すことばのなかにではなく、そのことばの消えた余白に漂うなにか、だから言われたことばを信じるこ とや示された方法に従うのではなく、文脈を転換しながら、その場で対応する以外にないプロセスを照らす闇の光のようなものだろうか。
それはそれとして、世界を見るみかたはそのなかでどうふるまうかとかかわっている。全体から部分へ、構造から要素へと分類するのは、全体を管理し 操作するための方法で、そういうシステムは細かくなればなるほど制御できない混乱のなかに解体していくだろう。現実世界に統一原理や目標をもとめ れば、いつも予期しない事態に足をすくわれる。原子のような孤立した静的な単位の関連のネットワークから全体を組み上げていく方法も、部分をすべ て合わせたものよりも全体は複雑だというだけで、対象と外側からの操作をあきらめようとはしない。人間の思い上がりから生まれる論理は、理論とし て整っていても、現実とは遠い。
2012年4月1日
ホイジンハ『ホモ・ルーデンス』で、プラトンの『法律』の一節が引用されていた。「人間は、前に言ったように、神の遊び道具として作られ、一番良 い部分はまさにそこだから、そのあるままに、男も女もみなこのうえなく美しくあそびながらすごすがよい、いま思っていることとは反対に。」(7巻 803d)『法律』1巻644d では人間は神々の操り人形で、内部の情動の紐が引くままに、わけもわからずぶつかったり離れたりする、とも書かれている。
クセナキスの論文集を訳しなおしている。1975年に『音楽・建築」として出したが、一語ずつ辞書を引きなおし、複文を解体し、長い修飾節を並べ 替え、接続詞や代名詞のように外側から操作することば、形容詞や副詞のように判断しながら時をかせぐことばをできるだけ取り除いて、考えすすむプ ロセスを見ると、旧訳がまちがっていた箇所や、クセナキスと別れてから忘れていたことが浮かび上がって、なかなか作業がすすまない。
1月にマラン・マレの『膀胱結石手術図』を演奏してから、朗読と楽器の音楽に興味をもった。6月には辻まことの『すぎゆくアダモ』を朗読とピアノ と原画の映写で上演する予定。その次はフランスの妖精物語『緑のヘビ』によるピアノ曲のために、17世紀末の原作と19世紀の英訳から、できるだ けすくないことばを抜き出してテクストにする。朗読はあってもなくてもよいだろう。ラヴェル『マ・メール・ロワ』の第3曲にその一場面『パゴード の女王レドロネット」があるので思いついたが、原作は長く複雑なので、要約するのはとてもむずかしい。お決まりの幸せな結末まで行かないで、不幸 のどん底で打ち切ることにする。
フローベルガーやマレのようなバロック描写音楽は、静止した瞬間の並列「活人画」(tableau vivant) で、 フレーズごとに何かが起こる。サティの『星たちの息子』では何も起こらない。舞台の木が登場人物に共感してふるえたりしないように、音楽はドラマから距離 をとって動かない。
Phew といっしょにベケットの『なんと言うか』をやってみた。クルターグの作曲があるが、それではなく、いくつかの響きやフレーズのスケッチを見ながら、即興で ピアノを弾く。声も時々歌になったりする。どこへすすんでいくのか、どうなるかわからない。音をできるだけ削ろうと思うが、声が聞こえると反射的 に弾いてしまうことがある。聞きながら次の響きを見つけるのは、ゆっくり慎重にすすめる声と楽器のあそび、小さな場所で、限られた聞き手の前でし かできないだろう。
モートン・フェルドマンが言っているように、フレーズをそのまま反復しないで、音を足したり引いたりし、ゆっくり変化していくことと、少しずつま とめて染めた糸を使う色斑(abrash) のある織物のように余韻のなかで次の響きに移ること、テリ・ジェニングスやモンポウのように、安定した響きに異質な音程を添えて、揺らぎをあたえ、対称性 を破る。
スタジオイワトではじめた50人のためのコンサートシリーズは、作曲と演奏の実験室にしようと思う。店先の仕事場で職人がやっている作業のよう に、見通しよく、閉じていないが、じゃまもされない場がいい。
2012年5月1日
理論もなく。そう言うがかつてはそんなことはなかった、まず理論それから方法だった。いまはまず始めて行けるところまで行く。システムがないとモ デルもなく。それでも手に触れるものを読み通しながら、目に留まるなにかを書き留める。書き留めたことのうごきを追い、聞こえない音を聞いて弾 き、弾きながら聞こえるイメージのなかの音を聞いて書き、書きながら聞き、どこへ行くとも決めずに続け、手のうごきとかすかな声が呼び起こす何 を。
一つの音は1つではなく、内側にそれでないものを併せた一瞬の残像、森の奥にはだれもいない、木の実が落葉に向かって降る前にその余韻が飛び散る 綿毛。重さがなく見えない音さわれない音の長さや高さや強さで決められたうごかない点ではなく数字に変えられ測れる量をもった物体ではなくもう過 ぎてしまった記憶あいまいな記憶のなかで方向と関係でしかなくそれもこの方向や定義できる関係でなくてうごいたあとで推測される。それも誤解かも しれない。動詞のない副詞の束、名詞のない接続詞の鎖、崩れ裂ける寸前の揺らぎの陽炎に。
クセナキスの本を訳しながら浮かぶ40年以上いっしょに、そう思っていたが。勉強したのか。したつもり。確率論、唯名論、ベルリンの本屋からソク ラテス以前の断片、パリでアルチュセール、クワイン、フーコー、迷宮。ディオニュソスが山から降りてくる。古代ギリシャ音楽理論、交代する色のテ トラコルド、ビザンチン聖歌の記譜法。ピッチでなく音程だ。コンピュータ・プログラミング、電子音響の60年間も変わらない新しさの古さ、ピアノ 演奏技術。ありもしないのに。速い大きいたくさんの音ではなく。指揮。操作と管理の悦びにひきずられないように。ヨーロッパから離れアメリカから 離れ忘れていたことを偶然の出会いを、安定した足場がどこにもない生活。
ことばにならないものをことばに、音にならないものを音に。手にした貧しい音のこだわりに音にならないものを映し、ことばをのせ、ことばにならな いなにかがあるようにほのめかし。
音を微粒子の集まりに分解してからつなぎあわせても元に戻らない。アキレスと亀の溝を限りなく細くしても隙間を埋められないそれが。構造主義や認 知主義への信仰がまだ。
もどる場所がない。ストックホルムのはずれキタキツネの佇む白夜かデルフィの山頂の茂みから遙かに海を見下ろす。もう時間もなく、数学や論理はう ごき続けるものに向きあえず、伝統は今の時にあわせて作り変えられ作り上げられそれらしく振舞い。
聞こえる音は聞こえない音の皮膚、聞こえない音は聞き分けられない関係の束か。こだわりの移り変わるアクセントの。
いる場所がなく、音楽の話のできる仲間もいないところ。そうだろうか、知らないところでだれかが。そんな可能性も40年同じところに暮らしていれ ば気づかないうちに消えて、いつか状況に妥協していたのか。すぎてしまったことをあらためて求められてももう感覚はよみがえらない。だが現れてな いものは外から見えない評価もできないなかで、ためらいと躓きをかさねて、だが確信には何の根拠もないからこんなものかもしれないと思いつつ。そ れが妥協でなく限界を認めるかたちですでにその外側を歩いていると言えるのはなぜか。
離れて生きる。それができるか。離れてもそれほど遠くには行かない、声が聞こえるところにいてもたがいに行き来することもない、人はすくなく場所 は小さい。隠れて生きる。そのための庭は。エピクロスの仲間たちは。
耳は微細なちがいを聞き分けるが、微細なちがいを含んだかたちと、いつもちがう現われがあり、この両方がなければ続けられない。
2012年6月1日
システムや方法論や構造主義を捨てて暗い時代と手にしたわずかな音で行く先の見えない音楽を書き続ける。全体の構図からではなく断片から断片へす こしずつ書き継いでいくと連続した流れがおもいがけないところで消えてまた他の場所に現れる。即興の速さや背後に蓄積された技術ではなくゆっくり 一滴一滴と虚空に滴る中空の雫。
音楽ではなく絵でもなくことばで書かれた脳内風景の観察プロセスたとえばベケットとウィトゲンシュタインのパラグラフを辿り直して語り続ける声の 変化を手のうごきに映す。うごく手は音の残像を後に曳きながら関係の網を織り次のうごきと音が揺りうごかし関係を組み換え対称性を破る。
本を読みメモを書きメモからノートに移しまたメモに書き加えノートからことばを削る。一つの声それを中断する第二の声それに応える最初の声と続く 古代ギリシャ劇で stichomythia (隔行対話)と言われたかけあい技法。相手のことばを取り入れながら反論しそれぞれの言い分をくりかえしながら逸れていく。もどってはやりなおし言いまち がえる声とおなじことをおなじには言わないことばが重心を移しながら流れの速度を調節する。対話する二つの声を聞く第三の声があればプロットを複 雑にしパターンの組合せが機械的な対照におちこむかわりに距離を変えながら浮遊して見過ごす眼と聞きとれないことばを追う耳が行き来する。空間が 対話とその断片を包んであいまいにひろがる。
anaphora(首句反復)はおなじにはじまりちがう終りに行き着く枝の束。おなじ始まりを強調すればまとまりと構成の方へ、終りのちがいが際 立てば止められない解体と分岐で言い直し言い損ないに近づく。
allusion (引喩)は昔あったなにかを思い出させるようなうごき。引用の重みはなく直接でもなくパロディーの悪意や意図はなくパスティッシュの軽みもなくはっきり見 えない影がまとわりついている。
2012年7月1日
意識が薄れると自意識はなく感覚だけがある。視野が暗く遠くなり耳は聞こえているが音は現実のものではないかもしれない。雪のなかで転んで気がつ くと知らない店先に座っていた。次の瞬間にはだれかの家で寝かされている。白い天井が回り薄暗い空間に透明な壁が立ち上がり膨らんだり縮んだりす る。
昼間窓から吹き込む風が紙を床にばらまく。拾おうとして足が滑り気がつくと椅子に座っている。だれかが話しかけているが声が聞こえにくい。近所の 医者に手をひかれていく。家に帰って寝かされ次の朝は熱もなかった。
熱が下がらないときは医者に行ったが階段から降りられない。タクシーに乗せられ眼をあけると病室で2週間経っているようだ。点滴を6時間おきに換 えられて天井を見ていると夜が来て朝になりまた夜になる。たらいの湯で足の裏をこすられているとき身体があるという感覚が起こり昼がありまた夜が あった。
指が何本かしびれている。触るものの表面が膜に包まれている。
病気は周期的に来ると感じる根拠はあるのか。予想外の偶然を説明しようとしているだけか。身体に弱い部分があるのは強い部分がありバランスをとる からだろう。変化するアンバランスと言ったほうがいいかもしれない。健康が安定した状態という幻想がある。健康も病気も変化するバランスの静止画 像だとすれば自分の力で維持しさらに身体を鍛えればバランスの変動を妨げてやがて全体の崩壊速度が加速することもありえないことではない。
バラバラな要素を組み合わせて全体を構成する分析と統合の方法はその全体を一つの原理で説明し操作できるという世界支配の信仰だったのか。全体は 幻想でこの樹はあの樹と似ているがすこしちがう。樹ということばは樹ではなく似ているという感じを言い表しているだけだとはだれも言わないがそれ を知らなければこの樹からあの樹に歩いては行かれないだろう。
あの樹がこの樹のクローンではなくちがいがあり間には距離がありそれが森という空間になるのではなくこの樹がある前に森はそこにあったと感じるこ ともなく言うこともなく森が見えそのなかを歩くこともできるのはなぜかとだれも言わない。
同じものが二つとない世界のなかにいてふしぎとは思わず毎日がすぎていく。この樹を見てあの樹を見るから空間があり時間もあり朝が来て夜になりま た朝が来る。
日常の音楽は音楽をする日常ではなく日常の音をもちこんだ音楽でもないだろう。この朝があの朝とはちがいそれでも朝であるように連続と断絶の間の 薄い膜のなかにすべての音が星座であり偶然の飛沫であるような音樂。
2012年8月1日
エリサベス・ル=グインの Boccherini's Body という本がある。演奏する身体的感覚からボッケリーニの音楽を作る姿勢を観察している。チェロの名人で北イタリアの音楽一家に生まれウィーンからパリに行 きスペイン宮廷に雇われた。その頃の音楽は声と劇場が中心で、楽器の音楽も感情の型通りの表現と場面の交代でできていた。語りかけるような調子を もち軽やかで洗練され技術を見せつけないのがよい趣味とされたが、それを際だたせるためにそれに続く部分ではわざと異様な音色や弱音のなかでも表 情の微妙なちがいを指示すること……ベートーヴェン的な普遍主義的構成が支配した1960年代までの2世紀のあいだ忘れられていたボッケリーニの ギャラント・スタイルにも二項対立の図式が隠れているのか。
「ソナタよ、どうしろというのだ」(ルソーが執筆した百科全書の最後に引用されたベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネルのことばらしいが) そう言われてもソナタやシンフォニーはしのびよってきた。はじめは歌の前奏や間奏や音楽家を訓練するための教育音楽だったものが周辺から音楽活動 の中心へ浸透して19世紀以後ソナタ形式は統一・対立・競争を組み込んだ啓蒙主義の音楽原理になっていた。
原理や理論はすでにある音楽から作られる。音楽が先にありそれらをまとめて共通するやりかたや習慣を一般に適用できるかのように単純化し抽象化し て作曲法の規則がつくられる。と言っても解剖図から人間を組み立てることができないように教科書の実例を別としてはシステムや方法から音楽が生ま れるわけでもないだろう。それでも音楽を作る時まったく白紙状態からはじめることはない。すでに音楽があるから別な音楽が作られる必要も条件も生 まれる。そこで意識されないが前提となっている美意識や技術があって別な音楽を作るうちに具体的な場面たとえばこの音に続く音をさがしているうち に前提としたものからちがう道に踏み出していることもある。気づかないうちに規範が崩壊する。
二元的な対立関係が対等なものでなく優劣や上下が最初から前提になっているならば対話もかたちだけで反論は話をおもしろくするためのみせかけのた めにおかれて障害物競走のように乗り越えるたびに中心は勢いを増すだろう。
中心に弱いものをおいた場合は対立項は理解できないもの親しめない異様な空気のただよう表現になってそれをくぐり抜けてもどってくる中心のペルソ ナは亡霊の出現のように傷つき薄れながら消えていく。聴くものにそっと語りかけて情緒に感染させる18世紀の室内楽のなかである人びとからボッケ リーニの音楽が危険なものとみなされたというのもありえないことではない。メランコリーの能動的な面が技術の解体プロセスを見せることと反自然の 緊張から降りながらゆるんでいくゆっくりしたうごきの解放感であるかもしれないと想像してみる。
ハイドンとボッケリーニは対照的な音楽と考えられていてその対立図式は明暗・喜劇悲劇・男性女性・知性感性と説明されていた。ボッケリーニはハイ ドンの陰画でハイドン夫人とも呼ばれた。この二人はおなじ楽譜出版社だったから相手のことは知っていたらしいが会ったことはなかった。ハイドンは ボッケリーニにてがみを書こうとしたがスペインのいなかアレーナスはどこかもわからないのでやめたという話もある。
二項対立がみせかけのものならばハイドンからベートーヴェンに受けつがれブラームスからシェーンベルクそして1960年代のセリエルまで続きいま は理論化され技術となって学校で教えられている音楽の方法やシステムの権威のかげでいま周辺からしのびよる別な音楽があるのだろうか。それとも生 まれる前から要素分析や認知主義に胎内感染しているのか。
対話がみせかけのものになってしまい障害を乗り越えながら続くモノローグから抜け出せないとしたら第3の声はどこから来るだろう。不毛な対話の往 復の臨界点からか。
2012年9月1日
たいせつなのは構造ではなくプロセスか。しかし、20世紀音楽のさまざまな試みをふりかえり、そのなかで聞かれることのすくないものを聞き直した り、楽譜を拾い読みしたりするのは、分析のためとは言えないだろうし、ベケットやウィトゲンシュタイン、最近ではクラリセ・リスペクトルの小説を すこし読んだりするのも、方法や構造ではなく、分析やアフォリズムのように一般化された原則のみかけを追うのではなく、なにか一瞬掠めて過ぎるも の、そこから垣間見る何かわからない感じからうけとる気配がそのまま外に反射されるきっかけではないか。
ギリシア悲劇でも能舞台でも数人の歌と踊りから分離するモノローグや対話で野外のひろい空間をみたすことができたとは、どういうことだろう。1本 のアウロス、または能管とすこしの打楽器があるだけで、近代オーケストラやエレクトロニクスもなく、仮面の裏から響く声はオペラ歌手のようなあか らさまな自己顕示とは反対のように思えるし、近代劇場のなかで響き渡る音響は、野外ではかえって聞き取りにくい貧弱なノイズなのかもしれないとさ え想像で きる。それにギリシア劇のテーマの一つが人間の思いあがりの招きよせる不幸とすれば、意味によって考えさせることばというよりは、ことばのリズム と舞う手足から伝わってくる遠い声が、その場に参加する人びとの共感のなかで身体に直接伝わってくるのは、物理的な音量というよりは、暦の循環す る時間に刻まれた季節の徴と、心的空間の指向性のせいかもしれない。
作品としてできあがってしまったものも、もともとは可能性の予感と何かわからない力に押されて岸から離れて漕ぎつづけながら、離れれば離れるほど 岸にもどろうとする舟のように、最初の一撃、創造の芽の瞬間を理解しようとして構成や形式の壁で囲み、方法やシステムで炎を掻き立てながら、弱っ てくる火を消すまいとする。形式も方法も循環の抽象と定式化、構成と方法は理論化で、作品として完成したものはプロセスの痕跡、炎が表面から消え た燠火、構成の高揚感は舞い上がる灰、二日酔いの陶酔だとしたらどうなのか。全体の図式をととのえるために書き加えていく技術は、延命治療のよう に衰弱を長引かせるだろう。19世紀以来の量的拡大とそのための規格化は、とっくに組織化され産業化されて、マスメディアの鈍さが妨げとなってい る。別な道はもっと身軽な少数派の実験がひらくかもしれないが、それが巨大化した全体組織に波及するまでには時間がかかりすぎる。
量的思考の足し算ではなく、解体と断片化の引き算の方向も現れてきた。そこにまだ残っている妨げはスタイルにあるのかもしれない。実験者のペルソ ナがつきまとって、作品の整合性と冗長性、それがかえって商品価値を保証しているように見える。羽毛のなかのえんどう豆のように、感触がさぐりあ てるのはほんの一瞬、一点にすぎないのなら、何のための解体だろう。
モンタージュという方法が発見されたのも20世紀だった。連続性を断ち切るとで断片に鋭角をあたえるやりかた、こうもり傘とミシン、『春の祭典』 のリズム的ペルソナ転換、『アンダルシアの犬』のカミソリと眼、それが機能になってしまい、1930年代の記念碑的新古典主義に埋没していったと き、ふくれあがったペルソナ、1%の法人が核となって99%の原子を惹きつける体制が再登場したのではなかったか。
古代劇場でのペルソナの転換の瞬間、おもいがけない出会いをきっかけとしたペリパテイアは1行のセリフに凝縮されている。夢幻能でもそうであるよ うに、仮面をつけかえて再登場する声はここにあるが遠くからの響きのこだま。
書こうとしても、書きはじめると逸れていって、そこにはたどりつけない。文章に妨げられることばのなかの光。こうしてみると、連句と座はその後ふ たたび定式化された美学と形式の殻を捨てて、連句でないものとしてよみがえるなら、ぼろぼろの穴だらけの、途切れ途切れの響きと色の、即興でない 即興、作品でない作品、プロセスであるような未完の試みへのてがかりになるかもしれない。
孤立した原子ではなく関係の網目。微かな輪郭と薄い彩り。崩れない硬さを残して。潜在意識的音列による統一と支配ではなく、偶然のつくるパターン からのゆるやかなひろがり。音色としての音程。低音の安定のためでない浮遊する共鳴としての5度と4度、不協和でないずれとしての2度、調和でな く弱さとしての3度と6度、同一性としてではなく、それゆえに20世紀的アレルギーの対象でもない8度。和声的安定や対位法的な連続性をもたず、 カオスの多層性によって裏側から秩序とのバランスをとるのではなく、穴のあいた網目をたどりながら移っていくつづれ織。
20世紀のさまざまな技法は、1980年代には学校で教えられるような標準的なものになってしまった。複雑な音楽にはどれくらい持続する生命力が あるのか、ときどき疑っている。オリエント的音程の独特な明暗も規格化された西ヨーロッパ的微分音とはまったくちがう使いかたがある。西洋オーケ ストラの音色パレットは標準化されてぜいたくだが貧しい音色になってしまった。メロディーで情感をかきたてるのには適しているかもしれないが、そ れだけのために何十人も必要だろうか。特殊奏法や超絶技法は一度しか効かない薬品のようだ。くりかえし使われ、分量が増えていく。
2012年10月1日
一瞬見えたような気がするものを捉える罠。そんなものが考えられるだろうか。考える、感じる、それだけで失われてしまうもの。影の痕跡。記憶でさ えない。既視感か。まだないものの予感か。偶然にすぎないだろう。粒子が偶然ふれあって思いがけない方向にはじきとばされる。そこから生まれる結 びつきのかりそめの安定を利用して足場をかためようとする虚しい試みがある。廃墟の上に都市を建て何層にも積み上がるトロイの丘のように。
受け入れて姿を変えながらしばらくのあいだ仮住まいしてまた漂い流れだす浮世と憂き世の狭間。草花のように風で受粉し風に種子をまかせる。地下で 長い時間をすごし繭のなかの夢が外に現われ羽ばたく短い夏。循環する生きた流れは人間には保証されない。
偶然を認めることと隠れて生きる知恵はエピクロスのなかでべつなものではなかった。宮廷で亀卜に使われるより泥水のなかで生きるのを選ぶ莊子にも 似たような知恵がある。村のなかでなく砂漠に出ていくのでもなく托鉢できる距離にいるブッダもそうかもしれない。人間はひとりでは生きていけな い。いっしょにいては生きにくい。
矛盾があるから一つの論理ではやっていけないが感情や感性は他人には理解されないだろう。法則を理解すればそれを使うことができる。論理があれば それによって操られる。ことばで言えること、実例で示せること、音で共感させることには限界があり、その向こう側になにかがあるとしても、ことば や絵や音がなければわからないというわかりかたさえできない。
音楽についてあれこれ考えて書いたり言ったりしても無視と誤解しか生まないばかりか、そのことばでしばられることになる。これでもなくあれでもな いと言ってもそれがよいとは思えない。何かを考え言ったあとで起こるのは、じっさいにはそのようにいかないということだ。まるで考え言うことがそ れから離れるきっかけになるかのようだ。
カフカの断片を読んだときに発見した自由間接話法。自分のことばではなく壁の向こうで聞こえる声の途切れ途切れる引用。たぶん聞きちがいかもしれ ない。見ちがい言いちがいもある。おぼろげな記憶になってしまってたしかめようもないなにか。
ギリシャ悲劇では悪い知らせを伝える使者がいる。舞台で見せられる暴力はそれこそ虚構になってしまう。見せることをつつしむ。仏教の五戒は行うこ との禁止ではなく行為から引き下がること。禁止することのできる絶対者をもたないから自発的に抑制するよりない。
対位法ではなく、多層性でもなく、亀裂、ちょっとした踏み外しとよろめき、入れ替わる声と移り変わる空間、即興のように書き続ける作曲、これでい いのだろうかと思いながら。初見のようにおぼつかない演奏。非日常についてロマン主義が信じていたこととは逆に、現実ははるかに身軽で、重く不器 用な想像力をすりぬけていく。しかも繊細でわずかなずれや隙間から遠いところへ行ってしまう。
確実なものは嘘を隠している。確信は現実の世界からだけでなく自分からも隠れている。世界の中心にいて明日があるようにふるまっていても、状況は 天候のように崩れ、想定外のことしか起こらない。それが時間、それが歴史か。
掠れ書き。飛白書。空白を含んだ過ぎ去る瞬間の記憶を書きとどめておく。誰のでもない声の時々きこえなくなるつぶやきは考えるときのように現実か ら離れて論理を追うのとはちがうが、それでも気がつくと考えにふけっている意識を身体にひきもどしながら、しかも逸れていくプロセスもそこに現れ る徴を道標のように残しておく。迷路の脇道にいずれもどることもあるだろう。だれのために書いているのか。だれもいない内部空間を外から観察する のはだれだろう。ちがう風景が見えている。書いてしまえばそこから離れているのだから、こんどは外から見える曲がり角に移動してそこからきこえて くる声を待つ。
ことばは言ってから否定することができる。音は取り消せないから中断することと間をあけることしかできない。中断はちがう声、間は沈黙の空間。中 断は対話のはじまりになるかもしれない。問に答えるのは対話にみせかけているかもしれないが答が先にあるから問が生まれる。すると問はひらかれて いない。答の空間が問の限界を決めている。
2013年1月1日
「だれ、どこ」でしたしかった人びとを送り、先に道行くひとがいなくなったいま、また掠れ書きにもどってきた。2012年はコンサートのために新 作を10曲作り、そのほとんどが歌か朗読で、ことばから生まれた音楽だった。時間のなかで読まれることばに添った音楽は、声の流れの近くに楽器で 別な線を辿り、あるいは川のなかの岩のようにさまざまな色やかたちで流れをさえぎり、ことばを浮き立たせ、あるいは堰き止めることができる。こと ばには響きもリズムもあり、意味もあるからそれとおなじことを音楽でしなくても済むかもしれないが、歌われ読まれることばが聞こえないこともある し、理解できないことばや、外国語である場合もあるだろう。それでも音素としてだけのことばとは言わない。ことばを伝えるためだけの音楽とも言わ ない。
流れるようにすぎていく音楽は安定した軌道の上にあると言えるなら、安定した軌道があれば音楽はすぎていくとも言えるだろう。概念、構造、形式か ら始めてそれらを具体化する音のかたちを操作することもできるし、音のうごき、と言うよりむしろ音を作り出す手のうごきについていって、作る手続 きを規則に要約しながら次の段階でそれを訂正することをくりかえし、最後には足場を取り払うようにして作業を終えると、音のかたちだけが残って、 構造は外からは見えにくくなるだろう。作業は終わっても、作品は終わっていない。どこか目立たないところに未完成のままの隙間がある。そこが「近 づいてくるもの」の予感の瞬間でもあり、次の作品のきっかけ、創造活動の糸口にもなるのだろうか。
演奏が毎回発見のプロセスであるように、作曲は細部の演奏指示をできるだけしないで済ませて演奏の領域に踏み込まないようにする。演奏は全体の設 計を作曲にまかせて、細部をわずかにうごかすことで音の質が変わるのを聞き出そうとする。和音のなかのどの音をどのくらい際だたせるか、書かれた リズムからどこでどのくらいはずれるか、書かれた記号がおなじでも関係のなかで現れてくる差異、それも音楽の内側だけではなく演奏の場で環境とも かかわりあう差異、それを創る手と同時に耳をはたらかせて続けていく演奏行為は一回性のもの。意識する直前の環境との相互作用の場に現れる瞬間的 なうごきにまかせられるように、コントロールをすこしゆるめておく。
記号は変化を一つのかたちに表したもの、それだけで独立してはいない、文脈や関係のなかに配置され、何度も使われるうちに固定した対象のように操 作されるが、指示する領域の境界線ははっきりしない、説明を省略しても理解されるのは、慣習と伝統のなかにあるからで、慣習は意識的に変えること ができないが、ゆっくりと変化しているから、記号の指示する領域もすこしずつ変わっていく。
音楽を聞くとき、なめらかに流れ去って行かない瞬間に記憶がうごきだして、それまで辿ってきた音のプロセスが浮かび上がるとすれば、中断と転換の 不規則な配置によって作品の形態が決まることになる。
ミニマリズムは脱構築の音楽だったのだろうか。同じかたちを反復しながらすこしずつずらしてかさねていくやりかたは、脱構築の建築にも似ている。 それらは1960年代にはじまり、二項対立を原理とする「大きな物語」の枠ではなく、オリエンタリズムのようにアジア(あるいは)アフリカ的 (非)時間の幻想に浸っていたようにも見える。パターンの演奏行為からはじめてそれを要約したものが作曲になるという点では、それまでのエリート 的で書かれた作曲優先の複雑性とは反対の方向ではあった。それでも作曲になってしまうと大きな枠のなかに統一し、複雑になる傾向が出てくる。それ とともに、ずらしという個人性をあいまいにする方向から、すこしずつ個性的なスタイルへ回帰していったと見ることもできる。
音をその場で創るための厳密でありながらひらかれた枠組み、説明を必要としない記号の粗い網、すばやいスケッチの空白に耳の想像力がはたらくよう に、統一されない断片の連結し組み換えるちいさな音楽にとどまる意志、仮面、 ペルソナとしてのスタイル。
1960年代のはじめ、ヨーロッパではセリエリズムが使い尽くされ、ケージが1954年に登場した後でヨーロッパ版の「管理された偶然性」が流行 し、それからやはりアメリカに遅れてミニマリズムのヨーロッパ版がさまざまな かたちで浸透した。グローバリズムの物語がこういうかたちでゆっくり準備されていたとも言えるだろうか。いまはちがう時代で20世紀全体を終わっ たものとして見通しても、この先の展望はない。帝国の崩壊とそれをとりつくろう政治の陰に経済も文化も覆われているようだ。そのなかに散乱する兆 しをもとめて、音楽の実践は速度を落としながら観察をすすめるだろう。
2013年2月1日
ピアノを弾くこと
ピアノは生活の手段だった。オペラの練習や歌の伴奏から、前衛音楽の演奏家になり、そこにバッハのようなクラシックのレパートリーを入れてきたの で、ピアニストとしての教育は受けなかった。家が貧しかったのでピアニストとしての教育を継続して受けることはできなかったこともある。19世紀 的な名人芸はできもしないし、やる気もなかった。1950年代の前衛音楽では点としての音のタイミングと強度を指定された通りに区別するのがすべ てだったのか。それに対してオペラ的なものは身振りとしてのパターンを過剰に提示すればよかったのか。必要な身体技術を身につけるだけでピアノを 弾くことはできる。作曲家だから作品を分析することができて、その知識の上で演奏を構成していると思われているかもしれないが、演奏している時に 考えることは妨げにしかならない。同じメロディーが再現するからと言って同じ演奏はできないどころか、時間が経てば同じ音符もちがう響きがするの でなければ、演奏する意味がない。
書かれた音符のちがいをはっきり聞かせるだけの楽譜に忠実な演奏は、1930年代から数十年続いた演奏スタイルにすぎなかった。そうだからと言っ てそれ以前の個性的な表現や技術や感情に支配された演奏スタイルに帰るわけではない。
ピアニストとみなされると、人が聞きたがるものを弾くことになる。バッハを弾いているとそればかり求められるが、日本では数十年前のグレン・グー ルドの代用品にすぎないから、弾くだけむだと最近は思うようになった。19世紀音楽はだれでも弾くから競争になるだけだし、音楽がもう死んでい て、経済的価値しか残っていない。
20世紀の構成主義や技術主義的な音楽観はバッハやベートーヴェンからシェーンベルクまでのエリートのものだった。音楽が制度であるかぎり、作曲 や作品の権威はなくならないのかもしれない。でも、何を弾くかが問題であるうちは、音楽の歴史は作曲家の歴史で、楽譜に書けるようなピッチや時間 の長さといった数量が中心である音楽は、市場経済の一部になっていくのだろう。
ピアノを弾くのがいやだった時期が長かった。シンセサイザーやコンピュータ、アジアの伝統楽器に惹かれていたこともあった。電子音には自発的変化 がない、擬似ランダムな操作で変化を加えてもそれはほんとうの偶然ではなく、発見がない。伝統楽器は伝統のなかに入らなければ何もできない。残っ たのはピアノだけだった。この19世紀の音楽機械、力と速度と量を操作する技術の楽器を異化することができないだろうか。
ちがう原理による音楽を作ることはできる。だが、「何」の限界にとらわれないためには、「どのように」からはじめるのがよいかもしれない。
音楽は音が聞こえるという「聞こえ」がすべてだ。聞こえるものの背後に音楽の本質があるというベートーヴェン的思い込みは耳の現実ではないように 思える。音は聞こえたときは消えていて。音の記憶にすぎない。『印象がすでに表現だ(馬にとってのように)』(クラリセ・リスペクトール)。『見 えること、それこそあることかもしれない、そのように、太陽は見えているなにか、そのものである』(ウォレス・スティーヴンス)。楽譜の上で左と 右に見える模様は、右から左へ見ていくことはない。時間を横軸とし音の高さを縦軸とする格子のなかの模様を耳は聞いていない。音はすぎていき、次 の音は前の音とはちがって聞こえるのを時間と呼ぶなら、時間は規則的に区切られた線のように連続してはいないだろう。記憶される音楽は録音された 音楽とはちがう。
ピアノを弾くときは低く座る。ほとんどのピアニストは鍵盤を見下ろす位置に高く座り、背を前に倒しているが、これでは背だけでなく肩や腕にむだな 力がかかるし、タッチが浅くなるような気がする。キーを見ながら弾くと、手や指の位置に関する固有感覚がにぶくなる。ピアノを弾いて疲れるのはま ともではない。弾けば弾くほど身体から余分な力がぬけてらくになるはずなのに。と言っても身体は静止してはいない。静止させた身体から手や指だけ を動かすのは部分的な運動でストレスが大きくなる。じっさいには、身体が静止しているときはない。いつもうごいているからうごかすこともできる。 全身がいつも円を描くように運動しているから、それにのせて力を分散させれば、わずかな動きだけで大きな変化を作ることができる。聴覚神経も固有 振動があるから音がきこえるのと似ている。
メロディーはさまざまな粒子の相互干渉の流れを無視して、音楽を一本の連続線に均す。近代和声は連続を求心性の周期に翻訳していた。ところが演奏 はメロディーを音色の時差のグループに断片化し、和声を点滅する響きの距離空間に解体する。音色、音質、リズムの揺らぎは楽譜に書くことはむつか しいし、あらかじめ決めることができないから、指定することには意味がない。廃墟に残された道標のように何ものも指していない無意味な指定は、無 視することができるばかりか、構造主義的な音楽観に特徴的な二項対立のように、取り除くことによって音楽は解放されるだろう。同時性、周期性は見 かけの要約だから、乾物をもどすように指のうごきがこわばりを取り除いてしなやかさをとりもどす誘い水になる。ピアノの均質な音色は、強弱の差異 を小さくしながらタイミングをすこしずらすことによって翳りを帯びる。
ここに書いていることには個人的な好みもあるが、時代のスタイルの現われでもある。その有効性ははじめから限られている。表現や構成や綜合をめざ してはいないし、それらからはむしろ解放された方向にひらいたものでありたいとは思うが、じっさいそうなっているかどうかはわからない。こうあり たいと努力するようなことではなく、努力やよけいな緊張のない、なにかちがうものであろうとするストレスのない、うごいている身体がそれ自体とそ れを撹乱する外側の両方に注意を向けている夢の持続のようなありかた。それはことばの本来の意味で練習とも言えるが、楽器の練習と言うときによく ある反復ではなく、いつもちがうやりかたの実験でありつづけるという意味の練習と言ってもよいだろう。
ピアノ練習には音はあまり必要ない。聞くことに連動する身体のうごきを意識すればよいのだから。次の音の位置にあらかじめ手があるように、見ない でその位置を感じ、それからそれを音にする、そしてそこから離れる、それをグループごとに沈黙で区切りながらためしてみる、それだけのこと。音は すでに記憶だから、音のイメージはあり、じっさいの音にすこしさきだってあり、音をみちびいていく。知覚は感覚に約半秒遅れて起こるといわれる が、イメージは音を作る身体運動の半秒先を行くように思われる。それが楽譜を読む眼のうごきでもあり、初見の方法でもある。
音のイメージとじっさいの音との落差あるいは乖離は知覚の時差がある限りなくならない。音には思い通りに操作できない部分が残る。それは偶然でも あり時間を遡って修正することはできないから、それに応じて次の音のイメージが修正され、さらなる乖離が続く。完全な方法はありえない。演奏は不 安定なもので、いままで書いたこともガイドラインにすぎないし、それだって保証されたものではない。
それなのに、確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、感性 のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられない ためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。
2013年3月1日
ペーネロペーの音楽
2002年から数年間つづいた『世界音楽の本』(2007)のための編集会議では、リズムと音色(ネイロ)から20世紀音楽の制度やそこからの逸 脱としての創造を考えていた。音と音のあいだの時間が予想できない偶然からはじまって、反復する周期が感じられるようになると、パターンとその変 化というかたちでリズムという時間のシステムが立ちあがる。それに対して、音の、ピッチや音量のように単純な数であらわせる部分だけでなく、楽器 とその演奏法や、音響内部のゆらぎや変化を含む複合的な部分を音色としてまとめてあつかってみた。リズムが時間だとすると、ネイロは音響空間の質 的差異に基づいている。だがリズムは関係だが、ネイロは区別される独立体とも言える。
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ここからもう一歩すすんで、音響というオブジェを関係の網目のなかに溶かしていくことができないか。全体図を目標に構造を設計するような終わりか ら時間をさかのぼって作業スケジュールを作るかわりに、さまざまに撚り合わされた糸を結んで網を編む作業、それもクモの巣のように完成に向かうだ けの労働ではなく、織ってはほどくペーネロペーの織物のように、抵抗とアイロニーのプロセスであり、隙間だらけの織地の上に幻のようなかたちが一 瞬見えても、どこかの糸を引くと崩れてしまって、実体感のある印象を残さない、そういうプロセスと手にした楽器だけで、毎日のようにやり直される 作業。
旋律と和声と低音でできている西洋近代音楽は、フランス革命や産業革命以前ぁら近代社会を予告していたように聞こえる。そういう音楽を演奏するた めの近代オーケストラは、高音と内声部と低音の階層組織によって、第1ヴァイオリン16に対してコントラバス4のように楽器の数や演奏位置、さら に楽員の給料体系まで決められている。何度かの危機を乗り越えてきたオーケストラのような企業は、いまの格差社会のなかで、ますます経営がむつか しくなっていくだろう。そのミニアチュア・モデルになっている弦楽四重奏も、おなじ階層構造がメンバーの心理や人間関係を日常的なトラブルに追い 込むことがある。
オーケストラや弦楽四重奏のように確立された組織のために作曲しても、レパートリーは20世紀前半でだいたい間に合っていて、新作は組織の存在意 義の口実作りと、スポーツ選手の国旗のように国外公演の時に自分の国の作曲家の作品が必要とされるようなときに初演され、すぐ忘れられる。作品の なかでアイロニーをこめていくつかの小さな実験やパロディーを試みることはできるかもしれないが、オーケストラを書くという労力を考えると、自分 が参加できる場の小さな規模でできることをしたほうがいいような気もする。
音楽家の想像力のプロセスは、作曲というかたちなら、多様な場の条件のなかでも、制度の見直しに向かっていくらかでもすすむことができるだろう。 関係と距離がさきにあり、音はその結び目であるようなアクセントの置き替えで、たとえば旋律と和声のかわりに、順番にあるいは同時にあらわれる音 程が、結ぶ糸の強さと色のように相互作用するのを感じながら、糸を織り上げる、それをほどきながら、あちこちを引っ張ってかたちを変えてみる、こ んなプロセスを書きとめながら、受けついだ技術的な知識や遠い地域や過去の伝統が、おぼろげな記憶となって浮かび上がり、折り重なって透けて見え る。
2013年4月1日
ピアノや作曲について書いているうちに説明になってしまう。ちがう書きかたがあると思ってはじめても、説明の誘惑はいつもある。
飛白あるいは飛帛は刷毛で書かれ、糸髪のように細い線のあいだに空白があり、速く飛び散る勢いのある書のスタイルだった。織物の場合はまず糸を束 ねて括ってから染めると、織った後でも染まらない白が残る。それだけでなく、色は白い部分にもいくらかはみ出している。
ディドロが rapidissimi と呼んだデッサンは、抑制されていない自然の勢いがあり、手をかけて細部をみがいていくタブローは鈍く静まっている。
記述はおもな特徴を描き留め、説明には意味や解釈が入りこむ。記述は知らないものに対して、説明は知っているものについて。
説明し尽くすことはできないから、説明されなかった部分については問いにひらかれているが、知っている側から知らない側への方向が逆転することは ないだろう。
記述は白い紙との対話とも言える。言いさしも、書きなおしも当然のこと。
まず座って考えるのではなく、身体を動かしている時に掠めてすぎることばがある。書き留めれば動かなくなるが、それを読むとき、また動き出す。論 理をたどって書き続けて、最初のことばから組み立てられた全体や、そこまでの連続したプロセスはおもしろくない。
まず風が立つ。柿の葉が庭に散り、風に吹かれてあちこちと鳥の跳びあるくようにころがっていく。ある状態が続いている時の地図ではなく、変化の瞬 間に立ち入って書き留める。外から見えない内部の小さな動きが対称性を破ろうとしている瞬間の。
散らし書き。バランスに収まらない。一つの中心をもたない。始まりも終わりもないトルソ。
書きなおして決定版を作るよりは、何回か断続して現れる同じものがさりげなく変わっていくというかたち。ちがう順序や選択肢を他人にまかせるよう な不確定性ではなく。
2013年5月1日
ある本で読んだはずだが、読み返しても見つからない。以前目にとまらなかった細部が拡大されて、記憶とはちがうバランスの本になっている感じがす る。
水は降りていく。川の水は去り川は残ると考えるより、水が降りる道をさがし、 川がその道とすれば、曲がりつづけて形が定まらない、行先は見えな いと言ってもいいだろうか。
練習は反復とは言えない。ちがうやりかたを試すプロセスではないだろうか。練習と実践は日本語では別なことばだが、練習は反復されるものという前 提があり、実践は決められたことが前提になっているように見える。反復ではない練習と、何をするか決めていないで動き出す実践は、考えながら進む こと、問いかけながら、さがしながらすること、対象や領域によらない、行為とその主体との区別もない、プロセスとそのなりゆきを追っているだけの ようだ。
反復かどうか立ち止まって判断しないでも、プロセスが進行するうちに、似たうごきが記憶の痕跡とかさなると思えるときがある。反復の回路に落ち込 む前にそこを離れて、ちがう道に入っていくなら、記憶に間欠的に触れながら循環すると見えて去っていく、そのなりゆきは、無限に伸びる線ではな く、折りたたまれる襞となって、有限なのに内側で無限に変化するように感じられる。
二つの点を結ぶ有限な線分が無限個の点を通過するなら、無限個の点から無限個の点への移動が考えられる。限られた音やことばを使っているのに、別 な音楽や詩がまた書かれるのは、そういうことかもしれない。書き尽くすということはないし、尽くすという考えそのものがどこかおかしい。
一人で考えるのではなく、対話のかたちで第二の声があるとすれば、それは注釈か批判か、いずれにしても、色ちがいの糸が織り交じって一つの織地に なる。離れたところで対話を聞く第三の声があって、織地には加わらないでいられるとすれば、それは何を語っているのだろう。
引用されたことばについて第三者が注釈を書くのではなく、引用以外のことばの文脈を換えると、解釈史ではなく、連句が生まれると言えるだろうか。 聖典もなく、権威もなく、位相を換えながら続く回廊ができる。職人や旅芸人の座は、城門や関所で区切られた表街道とはちがう、夜のトンネルのよう だったと言いたくもなるが、いまはなくなってしまったのだろうか。
あいまいな感じをあたえるという言い方と、毛羽立つ表面を描くこと、綿菓子のような音を作ることには、どこか共通したものがあるだろうか。
2013年6月1日
時を刻む論理
手をうごかし、耳をはたらかせ、あるいは目で見わたして、不規則なリズムを作っていると、いつか規則性のパターンが現れている、これはいけない、 と意識してパターンを崩し続けて、やっと不規則の側にとどまるそのとき、不規則と感じられるそのことに、どんな規則性の感覚がはたらいて、そこか ら意図して外れ続けることができるのか、と考えると、人間のからだが時を刻んでいることを思いだす。
平均して1分間に60からせいぜい80といわれる心拍と、16から20といわれる呼吸が続くかぎりで、心もはたらいているのだろうか、そう問われ ても、いつもは脈を感じたり、呼吸を意識しないで、それらがささえているはずの、複雑なからだの動きや、心というレベルにばかり囚われているのだ ろう、ということを反対側から考えれば、心拍や呼吸を意識しないでいられるあいだだけ、複雑で不規則な行為や、偶然落ちかかってくる感覚や認識に 対応できるので、意識が心拍や呼吸に集中することを選べば、これはいわゆる瞑想状態で、瞑想の場合には意識がさまよいだすのをたえず引き戻す作業 に気をとられて、瞑想が死の擬態であることは忘れがちになっていないだろうか。
ところで、死に近づいていく人の場合は、耳もとで呼びかけても、意識がないのか、あっても、応えるための筋肉が麻痺しているのか、死んでいくこ と、生きているからだが持っているエネルギーや可能性をすべて使い尽くす作業にかかりきりでいるので応えたくないのか、ついにわからないままに終 わる。瞑想がついにおよばない生と死の、それにもかかわらずと言うか、それゆえの、だれのからだにも起こっている現実が、外からの視線を拒否す る、と言えないだろうか。意識はなくても、生きようとするからだの意志、と言うと意識のレベルで捉えられるかもしれないが、からだの動きは、意志 で動かす随意筋の範囲を越えて、動きつづけていなければ死んでしまう、心拍や呼吸だけでなく、意識を通さない、意識に上らないが動き続けている、 不随意筋といわれるものの運動があって、ここにいまある世界のなかに、ほんのしばらくのあいだでも存在していることはできるのだろうから、と言っ てみたくもなる。
生命を維持している「しるし」とされている、心拍や呼吸の時間は、「刻む」とか「数える」とか言ってしまうけれど、じつは波打っているのだから、 たとえば心臓の筋肉が血液を押し出す瞬間だけを感知して、波の頂点の間隔を計ったときの「刻む」という言い方から、時計のような機械の時間とつい 比較することになるが、人工の時間ではない特徴の一つには「ゆらぎ」があることを思いだすと、時間のありかたがまったくちがう、しかし、その質の ちがいを語るのも、「ゆらぎ」という現象があることでさえ、機械の時間のことばでしか言うことができない、それが人間のことばの限界のように見え るが、ことばはそういうものだったのか、いつからかそれが変わったのか、そんなことを思ってしまう。
心拍にくらべて呼吸は約4倍もおそいが、この二つの動きが相互作用していることはだれでもわかっているつもりでいるかもしれないが、息を吸うとき に心拍は速くなり、息を吐くにつれて、ゆるやかになっていくようだ。それだけではなく、肺や腎臓のように血液を必要とし、また血液に必要とされる 臓器が心拍のゆらぎにかかわっているらしい。肺のガス交換は約4秒、腎臓の血液濾過は約20秒、その中間に、脳に血液を送る頸動脈の関門が約10 秒の波で心拍を撹乱する、撹乱の反作用も幾重にも折り重なって、撹乱の波は繊細になり、天秤のバランスがゆれている、と言ってみるけれど、これは 計器上に見えている「ゆらぎ」の解釈で、乱れを意識したり、まして制御することはできないレベルの不規則性こそ、意識の前提となっていると考えら れるのではないのか、ゆらいでいるから意識があるが、ゆらいでいると意識したら、意識されないことを前提にしている時間感覚が崩れてしまうかもし れない。そうなったら、いわゆる日常世界のみかけの確実性は根拠を喪って、夢のようにふわふわした感触しか残らず、哲学だ瞑想だ、などと冷静に 言ってはいられない、ということになりかねない。
音楽は、いや、音楽も、人間の時間を機械の時間に置き換えようとして、17世紀からがんばっていた。フランス王の音楽家リュリは、重い杖で床を叩 きながらオーケストラを一つのリズムにまとめようとしているとき、自分の足を突いて、足が腐って死んでしまった。国民国家の時代に、人間の集団を 一つのリズムでまとめる必要は、足並み揃えて行進するナポレオン軍の兵士とともに、感染をひろげていった。ベートーヴェンは、メトロノームを使っ て、機械の拍でオーケストラの大音響を制御しようとしたのではないだろうか。工場の時間が社会の時間の基準になろうとしていた時代が、もうそこに 来ていた、と言えるかもしれない。
一つのからだが、いくつかの波を統合せずに相互撹乱させて生きつづけ、生きつづけることを意識さえしているのとは反対に、たくさんのからだを束ね て、外側から一つのリズムで操る力にも、音楽は奉仕してきた。行進と突き出す腕、
脚は自由に歩き回らない、手は曲線を描いて舞うことはない。打ち寄せる波の重なりを持続として感じるのではなく、頂点だけを均等な距離にはめ込ん で、直線上に点在する時間を刻んでいると、この離散的な時間は、加速していけば
圧縮されて痙攣し、減速すれば分離して、動きを停めるだろう。密度が乱高下し、突然発生する大きなエネルギーは自己破壊に向かうよりないように思 われる。
撹乱しあう波の重なりの上に危ういバランスをとりながら、そのことを知らない、ほとんど静止しているかのような針が、じつは微かに不規則に震えて いるのが、安定したと言われる状態だとすれば、見かけの単純さこそが複雑の究極の姿であり、その見かけの下で、たえず崩れては新しいバランスに落 ち着く内側の寄木細工の万華鏡的変換が、一段ずつ衰弱の梯子を降りていく、とそう見えることもありうる。さまざまなリズムの層のずれが同時進行し ているあいだに、それぞれがわけもなく変化し、変化によって干渉しあって、それらの組織や構造が、突然のようにちがうものになっていたのに気づく まで、ここで制御していたようなつもりになっていた、というように、まかせていた流れに裏切られ、どこか遠くに運ばれていれば、それを受け入れ る、とこのようにして、音楽を創るはずだった作業のなかで、作者も創られていくほかはない、というのもありうることだ。
掠れ書き30 ぐるぐる、うろうろ 2013.7.1
本を読み、いくつかのコトバを書きとめ、時が経って見なおすと、なぜそこにあるのかがわからなくなっていることがあり、それらを書き抜いたおなじ本をひらいても、どこにあったのか見つからないことがあるのは、本を読むというより、コトバをひろうためにページをめくっていただけだったのか。そこにあったコトバが飛び石になって書かれていないコトバを呼び出した後になると姿を消してしまうなら、それらの意味ではなく、音楽のため、輪郭のまわりに漂っていた糸の束をたぐり、闇のなかから現れる舳先に乗り移ったら、泡のように薄れる感触の記憶のために、立ち止まり、手を動かして印を付けてから離れた仮の足場というだけだったのか。
こうして毎月「水牛」のサイトに書いていると、またおなじことを書くと言われ、自分でもこれはもう書いたと思うこともあるので、以前のファイル、この「掠れ書き」と題したものよりずっと前の1990年代のファイルに眼を走らせてみても、たしかにおなじコトバ、おなじ主題が浮かんでは消えているのがわかるが、この循環がひとつの言語ゲームのシステムになり、それらのコトバを要素とする構造をつくっているかもしれないと思える時もある。ただしその思いは外側からの観察にすぎないし、そんなことを思っていたら何も考えられず、書くこともないだろう。ひとがブログを書くように、私的な事件や感想を、だれが読むのかわからない場所に書き続けるほど不安だともいう自覚はないが、意識して自己検閲する必要も感じていないとも言える。
物語には言語では言えない行間が残ることがあるだろうが、物語を書いた小説を読んでも行間を感じることはほとんどないので、解釈や分析のようなよけいな手間をかけるより、読まないでいるほうがいいと思ってしまう。詩を読むのは歌のテクストをさがす必要からで、とは言っても、こどもの頃からシュールレアリスムの詩人やマヤコフスキー、西脇順三郎や北園克衛を読んでいて、詩を書こうと試みたことが何度もあったが、詩人のようにコトバを対象として、実在のように見ることもできないし、というのも詩人ではないから、これはいいかげんな想像か粗雑な一般化かもしれないが、コトバは泡のようなものという感じがあるのに詩が書けるわけがないと気づいてからは、音楽だけでも手にあまることもわかってきた。まだ残っている詩への関心は、その構造や「哲学的内容」に対してではなく、語り口、トーンのほうだろうか。歌のために詩を読む場合は、コトバのリズムとイメージから音楽が現れてくるのを待っていることがおおいが、意味をもたされたコトバ、表現や表象の意志が見えると、コトバは重く粗くなる気がする。
考えつづけ書きつづけていると、たしかにおなじところに何度ももどってくることがある。それが「いま・ここ」だとすれば、循環システムはおなじ地点を通過してもその都度ちがう道がひらけてくるという気になるし、いつも小さな変化があり、文脈が変わり、構造もいずれ変化するのは、固まったように見える部分も何回も接触を重ねるとすこしずつ崩れ、ちがう構造が見えてくるからだろうから、そう考えれば、構造は残された足跡にすぎず、見えない通過のプロセスは、足音が聞こえるだけだと言いたくもなる。
詩には結晶のような構造が可能だと思っていた時もあった。ロマーン・ヤーコブソーンのボードレールやブレヒトの詩の分析は、それ自体が詩の輝きだったことを思いだすが、それも20世紀という、構造にとりつかれた時代の、二度とありえない闇の光かもしれない。
音楽も結晶のように見えた時もあった、と言うのも、詩への興味は、音楽の作曲の試みと並行していたし、いまもコトバを書くことは、音楽を書くことと切り離せない。そうでない音楽家もいるが、ここではコトバは音を考える時の、触媒や比喩として使っていると言えるだろうか。音楽が場であり、コトバは音が枝分かれする痕跡を見えるようにする霧箱として使っているとも思える時がある。
20世紀はまだ、崩壊する啓蒙主義の時代だったから、合理主義は19世紀的個人の陰画である非日常や夢の領域を合理化し制御しようとして限界まで拡張していったようにも見える。確率論や不確定性も、計量化ができないなら、せめて概念化して管理しようとする後退戦だったかもしれない。システム論は、全体構成、または中枢による制御から、しだいにミクロからの自己組織にすり替えられていったが、構造や構成要素の実体化からはなかなか逃れられないようだ。関係のネットワークという考えかたも、要素への分解と再統合という合理主義の痕跡が感じられる。フラクタルも全体と細部との相似形だし、複雑系もファジーも部分的管理を足がかりにした支配願望があるようだ。
全体があるという無意識の前提なしに、偶発に備え対応する日常を、定義も分析もせずに通りすぎていくのが、生活している時間で、はっと気づくと、いままで何をしていたのかを思いだせず、気づいたはずの意識が気づいたそのことをそのままに置き去りにして循環しつづけているだけでなく、その意識さえさらに意識化して、別な循環の環を生みながら、重なった輪をすこしずつずらしていくうちに、忘れられた時間だけでなく、考えの行く手を追うのに必要な時間をもとうともせず、その瞬間に落ちてきた次の偶発を追って似たようなプロセスがまたはじまるのは、外側から見ると、雨の後で水面に落ちる名残のしずくが、波紋をひろげ、それが消えかかると別なしずくの波紋が、前の波紋を吹き消していく、そんな風景を思い出させる、と言ってもいいだろうか。
1960年頃、クセナキスが日本に来るすこし前、秋山邦晴が Achorripsis を聞かせてくれた、と思うが、そうでなかったかもしれない。このタイトルは迸る音を意味するらしいが、楽器があり、ヒトがいてそれを鳴らすという前提だけで、それ以上何の意図も「音楽的」形式もなしに何が起こるかを追求した結果と言っても、
この音楽には意志があるように聞こえていた。偶然降りかかる災いのなかで生き延びていくばかりか、偶然の事件が多くなればなるほど、それらをまとめてある性格を持たせ、確率として理解し、できれば制御し、乗り切ろうとする、亡命者の意志のようなものを聞き取っていたのかもしれない。半世紀以上が経ってから、それを聞き直してみると、バラバラで予測のつかない音の雨も、記憶のなかにあったものよりはかなり穏やかに響いたのはどうしたことか、現実世界の暴力のほうが、予想を越えてエスカレートするばかりなのに、音楽はあの頃の孤立の厳しさよりは、同時代の不連続な点と抽象という共通の徴のなかに、ともすれば収まりそうになっている。
ランダムな音の発生とそれらの制御は、デジタル的に粗い近似によるエレクトロニクスやコンピュータ音楽の画一的な響きをともなって、もはや新鮮でないが、代案がない状態のまま、大量生産され、忘れられていくよりしかたがない。電子音はどんなに複雑な操作で作っても、スピーカの膜の振動という物理的な限界を越えることができないように見える。だれもいないところで鳴っている機械音は、あれ以上なんとかならないのだろうか。と言っても、中央管理方式の大オーケストラの音にもどることもかんたんではない。そこは19世紀ヨーロッパのレパートリーがあふれていて、死者たちとの競争には勝てないばかりか、オーケストラという旧式機械工場はどこも経営難で、国家に買い取られるか、破産しているようだ。
構造からプロセスへ、全体の透明性から、すでに動いている見えない手の指すままに旋回していく、世界や時代とのかかわりかたがあるはずで、でもそれは、離れた場所で人知れず、小さな実験を重ねていくことがせいぜいで、それもいまはできるかもしれないが、いつまで続けられるのか、外部からの介入がなくても、続けていることそれ自体によって空転し、解体してしまうのではないか、という状況ではないだろうか。しかも、外側からの撹乱がなくて、どうして続けられるだろう。全体からでもなく細部からでもなく、分析でも綜合でもなく、ネットワークや安定したシステムや方法でもなく、見ることが見られることで、聞くことが聞かれることであるような、そういう場が、壁の向こう、窓の向こうにあると想像してみよう。もう忘れていた昔あったこと、読んだコトバから、すこしずつ、手がかりを拾い集める、そこから……
掠れ書き31 ここ 2013.8.1
いまいる場所が「ここ」になる。「ここ」があるのは、「ここ」でない場所と区別するときだから、「ここ」を指す行為、あるいは「ここ」の意識は、分けた結果、あるいは分けた半分に光をあてるようなものだろう。「ここでない場所」があるから「ここ」があるとも言えるなら、行為や意識の裏側に「ここでない場所」が張り付いているはずだ。
ここはなぜ「ここ」なのか。「ここ」はここでなくてもよかったのではないか。ここが「ここ」である理由や根拠をあげることもできたかもしれないが、それらが後知恵でないと、どうして言えるだろう。あらかじめ全体の構図や目標があって「ここ」が選ばれたと納得できるのも、全体の地図が見えてからのことではないだろうか。それに、「あそこ」に行く道が一本しかないとしても、ではなぜ「あそこ」なのかということについて、おなじ疑問をもつこともできるだろう。
逆に、ここが「ここ」なのは偶然にすぎないとすれば、全体は閉じられたシステムになる。庭のように、そのどこにいて、どのように歩きまわってもいい。庭は平面ではなく、起伏があり、見る方向によって、風景は変る。世界が一つの庭だったとしても、おなじことが言えるだろう。その外側が内側からは考えられないとしても、庭や世界があるというだけで、それらには境界があり、境界があればその外側があるはずだ。外側に何もないとしても、「定義できない無」という外からの風が侵入して、内側に変化と崩壊や再生をもたらすのだと想像もできる。と言うのも、どんな世界にも、そこにない「もの」が考えられないとしても、「ないこと」、「ありえないこと」が考えられるとすれば、完全ではなく、不完全であれば、不安定であり、外から何かをもちこまなくても、内部の運動や構成要素の組み換えだけで、変化するにはじゅうぶんだと言える。
構成要素を将棋の駒のようにそろえ、それらをうごかす規則を作り、それからゲームがはじまるという順序ではなく、ゲームがあり、動きのルールが抽出されて何種類かの齣のかたちに圧縮され、それが動きにフィードバックされてゲームの「手」が洗練されるというように、手続きから見ていくと、有限数の要素のほとんど無限の組み合わせではなく、定跡をくつがえす別なゲームの可能性が生まれるのかもしれない。
閉じたシステムは循環する。循環は、かならずしも円のようにいつもおなじ軌道をめぐるだけではなく、おなじ場所に帰ってはちがう道に出るような、「ここ」が動かない一点ではなく、「この辺り」というようなひろがりのある不安定な場所で、その揺れ動く場所が別な軌道をひらくかもしれない「自己言及」と考えられるのではないだろうか。「自己言及」はただの反復ではなく、そのたびに変わり、編集され、その場で探りながら進む即興だが、揺らいでいれば思いがけない場所に逸れていくことがある。
「ここ」と「ここでない場所」を分けるなら、ここが「ここ」とするために「ここでない場所」に眼を走らせる動きがあり、それはうなずくような往復運動で、「ここ」が変化し、移動していくのにつれて方向や振れの大きさを変えていく。
同時に「ここ」の範囲をたしかめる動きもあれば、それは小刻みな首振り運動になり、ずれていく中心を追って回転するだろう。往復と回転をともないながら、循環が以前通った地点を通過するとき、それは回旋運動になる。軸の傾き、方向、振動を含む揺らぎは、ダーウィンが観察した植物の葉や根の成長、また昼夜の変化、自転しながら公転する地球、庭をめぐる人の視点の変化にも起こるだろう。
おなじパターンが現れるたびにかたちを変えるが、それと認められるのは、音楽でも言えることだ。輪郭のゆがみとも言えるし、連続性と近さから見れば位相空間とも言える。
「ここ」は対象をさぐっている身体であるかもしれない。指が楽器に触れるとき、「ここ」は指の触れている表面にある。「ここ」に留まっていれば感触は消える。「ここ」を感じ続けるためには、指を動かしていなければならないだろう。「ここ」を感じ取る指の運動には、往復とズレがあり、感触範囲はひろがって、触覚空間のようなものが現れる。「ここ」は一点ではなく、さまざまな運動のパターンを作りながら維持しているようだが、運動の中心も一時的な支点にすぎず、どうしようもなく、おたがいに共振する部分はあっても、自然にいくつかの点で枝分かれして崩れていく。
「ここ」は楽器に触れている指先なのか、それとも楽器の響きにまで延長されて、音の変化する触手で空間をさぐっているのか。その響きが返って来て楽器を操る身体を浸し、身体の周りを繭のように包む、その空間が「ここ」なのか。
音楽が続いているあいだ、「ここ」は先端でもあり、境界の向こうの空間の感触でもあり、響きが還ってきてひろがる音の霧かもしれないが、それらすべてが身体の動きを確かめるスクリーンにすぎないとも言える。身体の固有感覚をことさらに意識しないでも、運動感覚を失わないでいなければ、瞬間ごとの発見に対応して方向を変え、動きの質や大きさを調整できないかもしれない。
掠れ書き32 壁の向うのざわめき 2013.9.1
むかしの日本語で、「ここ」「そこ」「あそこ」という場所が、『こなた」「そなた」「あなた」という人称代名詞の住み分けになり、また、「こなた」は一人称から二人称に変わり、二人称となった「こなた」「そなた」「あなた」の共有する空間のつくりもちがう感じがする。
自分のものだった空間から引き下がり、他人に住まわせて外からながめる、注意深いまなざし、目の前と後ろ側を同時に意識する「目前心後」、後ろの音を聞こうとして身体がひろがりゆるむ。「ウチ(内)」が私的なことでなく、所有できない半透明な空間を指して。
双数をもつ言語。二つのものが並んでいるか向き合っている一組・一対は、複数のものを一つとみなす時とはちがうように思える。子どもがまず身体をうごかし、母親のことばが聞こえ、聞こえたことばをひとりでつぶやき、そこから意識が生まれる、としても、その先は、社会に向かっての表現、ことばで意志を伝えようとするしかないのだろうか。
夏の間ずっと作曲していた。一つのことに集中していると、くりかえしになったり、限界が見えるような気がして、毎回ちがうことをしようとすると、書き加える方向に行きそうになる。一本の線を淡く彩るつもりで、もう一つの音を置く、その音が動き出してもう一本の線になり、ポリフォニーが生まれる。メロディーがあり、それを支える低音があり、その間に詰め物としての内声部があるという、バロック以来の西洋音楽にいつかもどっていることに気づく。彩りとしての響きは、その余韻の境界を越えないのがいいのではないか。
自由間接話法。他人の声が自分の喉から聞こえる、壁の向こうのざわめきが森のように耳を包んでいる間は、安心していられる、というような。
歌。自分にそっと歌いかける。メリスマの悦び。その後の音楽史は忘れても。
連句のように、後もどりしない回廊に沿ってちがう風景がひらける、「付け」といっしょに「転じ」があるプロセスを解釈したり分析して何になるのだろう。「式目」のように細かく分類しても、芭蕉の「ただ先へ行く心」は見えないし、学問や権威が「ただ後戻りする心」を育てて。
「付け」では小さな循環が起こっている、「転じ」でそこから抜けだしていくなら、回りながら伸びていく植物の運動。
「行くにしたがい心が改まる」のには、一歩ごとにどこかで連続を断ち切っているはずで、その間に他のことをしていて忘れる時間があるから、新しい心が生まれるのかもしれない。近代合理主義の論理から、矛盾のない全体構造を先に考えれば、短時間の集中した作業で作品ができる、これが20世紀の生産性だったが、効率と多産には、どこか息苦しさが感じられないか。
本歌取り。前からあることばを編集し省略して横にずれていくプロセス。見え隠れすることばがだんだんまばらに散って。
楽譜書きのソフトに本来の使い方から外れたことをやらせる、たとえば、一小節に指定された拍子を無視してたくさんの音符を入れる、それも声部ごとにちがう長さの音を。すると音符の位置を固定するのがむつかしくなる時がある。もう一度見ようとすると書いた音がページの外に行ってしまっていることもある。酷使されたソフトの復讐だろうか。
モートン・フェルドマンのやったように、ページの上に数小節数段のマス目を作り、見かけはおなじ長さの一小節のなかにそれぞれちがう拍子と長さのパターンを配置すると、単純な反復のモザイクから予想できない複雑なむらと揺らぎが生まれる。でも、これらのパターンの、半音と短3度の組み合わせの単調な響きは、ドイツの凍りついた暗さのなかで、終わってしまった観念の夢を追っているかのようだ。
17世紀のフランスでは自由リズムの前奏曲があり、それ以前にはリュート音楽の影響で和音を不規則に崩すスタイルがあった。同時に発音するとノイズになるだけの和音もさまざまに崩して表情ができる。そのようにピアノも弾いていると、微妙なタイミングの伸縮やアクセントのつけかたで、楽譜から音符に書けない抑揚が立ち上がってくる。それは19世紀的な自己表現の音楽とはちがって、音楽がこちらに語りかけてこない、どこからか聞こえてくるそんな感じ、夢のような手触りが感じられるような気がして。
tweet は「さえずる」、小鳥のか細い高い鳴き声だったが、ツイートは「つぶやく」と訳されている。いまは時々コンサートの予定や「水牛」に書いた文章にリンクする「お知らせ」のツイートをしているだけで、情報が多すぎて情報にならないのに、だれが読むかわからない空間で「さえずる」のではすぐ忘れられるだけだろうが、それがちがう場所を指す標識ならば、そこに行ってみる手間をかけるために、かえって読まれる場合もありえなくはないとも考えられる。それにしても確率は低く、しかも確率のように数で偶然を制御する考えとは縁を切ろうとしているのだったら、そんなことを問題にするのもおかしいはずだが。
ツイートの別な使い方。「ボット」のように、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所として使えないかと思ってはいるが、なかなかとりかかれないまま。
私的な生活や感想をツイートやブログで公開していれば、見えない他人から監視されている囚人の安心感にひたりながら、格差社会から排除されている現実を意識しないで済むのだろうか。インターネットのなかの仮想友人だけでなく、現実の人間も仮想化しているから、じっさいに困ったときは、だれも助けてくれないどころか、ゴシップの種にしかならないのに。
友情は妄想にすぎないとしても、それだからこそ、裏切られたら意味がないということにはならないだろう。裏切られてもやはり友人だと言えるような、ほんの何人かがいるなら、それ以上の何を望むのか。細い曲がりくねった道。
見知らぬ他人の声で「つぶやく」。「水牛のように」に毎月こんなことを書いているのも、自分のために書きとめておくだけだ、とは口実で、じつは公開の場で考えてみせるパフォーマンスではないのか、と時々疑いながら。
いつも音楽のことを考えながら書いている。思い浮かべるのは、システムでも方法でもなく、音の聞こえ、音への態度、音の漂う空間の感じといっしょに動いていく感触のようなもの。ことばはその喩えになるだけで、ことばを書くことや、ことばで考える対象を問題にしているわけではなくて、音に対する態度を観察するための外側の足場という気もする。歌曲のように、詩を歌う声のまわりに別な音を引き寄せる場合は、ことばの線は過ぎてゆく時間のなかの導線かもしれない。
でも、音楽に引き寄せて考えているなら、音楽も喩えにすぎないのだろうか。でも何を喩えているのか、それはわからない。
掠れ書き33 即興の場 2013.10.1
ピアノの即興演奏の場合は、まず鍵盤のどこかに手を置き、動かしてみる。弾こうとする音を思いついたら、それをまず弾いてみることもできる。この場合は、意志があり、意図があると言えるかな。そうでなく、置いた手をゆるめることもできる。ゆるめると言えば、意図があり、意志がある。意志があれば筋肉が硬くなり、その抵抗を越える時間だけ動きが遅れるだろう。すると予期しない瞬間に音が出てしまう。この一瞬の遅れは、自分では気づかなくても、観客からは見えている。ミラーニューロンが作用して演奏者と同調している身体運動に不自然なブレーキがかかれば、共感もそこで一瞬停まる。見ていなくても、音を聞いているだけでも、リズムの微かな乱れとしてつたわるのではないだろうか。ありうることだ。
手をゆるめるのではなく、手がゆるむ、意図せずにどうしてそんなことができるだろう。手がゆるむというのはひとつの言いかたで、おそらく手から上半身のほうに引き下がって、足裏と坐骨で安定した座にもどる感じがするときに それが起こる、と言えるかもしれない。すると、手は意図で動きを妨げないかもしれないが、全身の姿勢を整えるというところに意図があり、手は一瞬意志の束縛からはずれて鍵盤に落ちるのだろうか。
手にまかせずに、まず弾こうとする音をイメージし、それを弾くこともできる。その場合は、意識は手から離れてイメージした音のリズムに同調しているだろう。
演奏に先立って考える時間はある。それでも手が動き出したら、考えないで感じるだけになる。
ともかく最初の一音あるいは一連の音が鳴った。 そこでどうするか。考える時間はあまりない。余韻を聞きながら感じるだけ、考えれば手がためらう。音が行きたいほうについていく、と言う人もいるが、たいていは作曲家だから信じるかどうかは結果として書かれた作品によるだろう。それも紙の上ではなく、弾いてみるか、すくなくともイメージのなかで聞いてみるよりない。1960年以後は、音列技法や構造分析や作曲理論は共有されていないし、一つの方向へ向かって無限の進歩を続ける、というような音楽観は過去のものになった。どのみち今は即興しているわけで、紙の上で全体構成や図式があったり、次のページが見えていることもない。
前後との差しかなく、切れながらつながる空間。それぞれの一節は隣り合っていて、似ているかもしれないが、変化しながらいつか次の一節に流れこむのではない場合がある。また別な時は、おなじものが反復される時にどこかが省略され、どこかにちがうところがあり、このプロセスが続けばいつか別なものになっていく。
偶然が入り込んでくる。瞬間に消える音にかたちをあたえるのは記憶で、紙に書かれた図形や記号が記憶のかわりに使われるようになったのは、偶然に応える有効な対策のひとつでもあり、何かが継続しているという安心感のせいでもあると考えられるだろうか。
即興は場をつなぐ。その場にいる人びとをひとつの音楽でつなぎとめているだけでなく、他の演奏者にも応えながら、スタイルという側面では、この場が孤立したものでなく、別な場所、別な時にあるたくさんの場所、そこにいる人たち、そこにあった音楽とどこかでつながっているという思いのひろがりがある。
その場で生まれる音は、それぞれの楽器、それぞれの音楽の偶然の出会いの結果で、それが次の音に交代するのも、それぞれのパターンの絡みあいと、それらを断ち切る別な偶然の現れと言ってもいいだろう。
つながりながら切れている、一度だけの経験でありながら、くりかえされる場でもある。即興はくりかえせないが、録音したものを聞き返して、そこに何かを発見したとすれば、それは意図しなかった音、意識していなかった部分、記憶されなかった小さな断片であるのかもしれない。そこから別な音楽が生まれる芽のようなもの。
掠れ書き34 演奏のための作曲 2013.11.1
演奏の場、プログラムと演奏者を、楽器というよりは、思い浮かべなら、そこにまだない音楽を作る。作曲は演奏台本以上のものではなく、音楽は手のとどくところにある。そんなありかたが自然で、その場の音楽は、音楽とは何か、なぜ作るのか、のような普遍的な意味をもたないし、論理でも倫理でも美学でもない。一つの音を置く、次の音を置く、それを続けるだけ。音に順序があるか、重なって層を作るかのちがいはあるだろう。
音を重ねることはいままでにたくさんの試みがあった。和声・対位法から塊としてのノイズまで足し算で。それを演奏するのに多くの人間を必要とし、組織・構成・統制・管理の方向に発展して、経済問題に行き着く音楽がある。蓄積するレパートリーで、もう別な音楽はいらないが、時々はまだ余力があることをみせるために新作初演、であり終演をおこなうオーケストラがある。
室内楽は小さいグループの楽しみではなく、小さいオーケストラと似た組織をもち、レパートリーをもつか、その場限りの集りのために作られ忘れられる音楽を作りだしてきた。
音を順序に並べること、メロディーには、次の音との距離、音程と間の2次元の操作がある。小さなグループの間でなら、音を受け渡すこともある。そこに線の濃淡、音程や楽器のもつ色が自然にあれば、演奏空間のなかでの音の配置と変化
が、会話のように音楽を続けていく。音の身体配列が物語を織る。こういうやりかたのほうが好ましい。
ひとりでピアノを弾いていても、左手と右手のちがい、それぞれの指のちがいがあり、和音は同時でなく、すこし崩して、それぞれの音の姿を見せる。くりかえされるリズムも毎回わずかにアクセントをずらして、別な波が生まれる。
音頭取りと全員の呼びかけと応答という古い合唱のかたちがある。リーダーはいらない。フレーズに応答はいらない。答えのない問だけでいい。断片が中断され、
別な断片が介入する。中断された断片の続きは、逸れてちがう方向へ曲がる。
多くのものはいらない。意味や理解を押しつける音楽ではなく、問いの歩みに引き込む音楽。
掠れ書き35 2013.12.1
リズムには緩急(agogique)があり、メロディーには強弱(dyanmique)があり、ハーモニーには転調(modulation)がある。これはヴァンサン・ダンディの演奏についての教えらしい。その愛弟子だったブランシュ・セルヴァの『ソナタについてひとこと』(1914)という長い本のなかのことば。要素ではなく、それらの微妙な変化から考えはじめるというのは、この場合は作曲ではなく、すでに作曲されたものの演奏が問題だからかもしれない。ジャン=ジョエル・バルビエは『サティとピアノで』のなかで、この教えがダンディの学校スコラ・カントルムで再教育を受けたサティに影響して1910年代の小曲、特に『スポーツと気晴らし』(1914)のなかで、民謡の一節からとられたメロディーをわずかに変化させながらミニマルなバランスとはっきりした輪郭を作り出している、と書いている。全体を要素という最小の構成単位に分解し、そこから逆行して全体にたどりつくという合理主義と検証の考えかたは啓蒙主義的に見える。要素からではなく変化からはじめると、厳密なシステムを作れるかどうかわからない。
スコラでは対位法をまなんだようだが、サティの対位法は、もともとの意味での点対点の場合がある。『ノクターン』(1919)の2番から4番までは、2度と4度、裏側の5度と7度の響きだけを選ぶような、伝統とは逆の規則、また5番では逆に3度と6度を選ぶが、逆の逆なのに伝統的な響きにはならない。
音が響きを作り、それが変化していくのか。それとも、動きが先で、響きは後から追いつくのか。あるいは、動きは線で響きは点なのか、線は点から点への飛び石で、響きは内部変化を含んだ層なのか。逆から見れば、線は回廊で、響きはそのなかの斑点なのか。どのように考えても、対象となる音はすでに消えていて、記憶のなかにしかないから、響きも線も実在する物体とはいえない、残響と軌跡にすぎない。
音符は紙の上の黒い点で表される。それを使って楽譜を書きながら、直接表せないもの、緩急・強弱・転位にもとづいた音像を思い描くのが作曲作業で、それも19世紀的に記号やことばによる指示を細かく付け足していくのとは反対に、できるだけそれらを取り除いていくと、どうなるか。ユダヤ教聖歌とビザンティン聖歌の楽譜は動きのパターンを記す動機譜 (ekphonetic)で、グレゴリオ聖歌は動きの単位によるネウマ譜、それ以後の音楽史では各音の表記へと変化した。タブラチュアのように指譜や文字譜ではなく、5線譜は図形と記号の綜合で、それ以上の改革の試みは、慣習の力に勝てなかった。
バッハの原典版のような強弱や速度指定がない楽譜か。さらに、拍子記号も調子記号も小節線もなく、音の位置と出現と消滅の順序だけを記した楽譜になれば、17世紀フランスのクラヴサン奏者たちの、特にルイ・クープランの白い楽譜プレリュード・ノン・ムジュレにたどりつく。演奏慣習や時代様式を知らないと読めないような楽譜だが、かえってすべての緩急・強弱・転位は固定されることなくそこに現れてくることも、たしかにありうることだ。ジョン・ケージの最晩年のナンバー・ピースも音の出現と消滅のおおまかな時間枠を記すだけの楽譜だった。
変化の音楽を作るには、変化を直接指示するのではなく、書かれていない余白の空間として残しておくほうがいいらしい。
掠れ書き36 2014.1.1
音楽は何かを主張するのには向かないようだ。音はことばのようにそのものが意味をもつよりは、使われる場や慣習から意味を帯びることがある。聞くとイメージが浮かぶような音楽なら、ある目的のために使うこともできるだろう。雰囲気をつくったり、リズムを整えるための音楽がある。そうではなくて、偶然に窓を開けると見えるできごとのように、どこからか聞こえてくる音楽、どこにもないそれをすこしずつ形にしていく作業。
音がもうそこにある。その音が次の音を呼び入れる。何だかわからないまま、その動きが自然で、よけいな意図なしにすすんでいるあいだはいい。その動きがいつか停まる。そこで止めて、音楽から離れる。断片以上ではない。でも無理強いはよそう。
中断の後でそこにもどって再開できることもある。それでも、途切れたところには小さな溝が残る、呼吸のように。
中断した個所にもどれず、ちがう断片がはじまってしまうかもしれない。そんな作業を重ねて、後には断片の堆積が残る。断片は何かの一部だから断片と言えるのか。断片があれば、それを含む全体があるのだろうか。それとも断片の集まりそのものが、何もつけたさなくても、全体と呼ばれるのだろうか。
断片が、かつて存在した全体の一部と仮定すれば、復元する努力が、過去の回想を再構成する。そこでは断片それぞれの輝きや暗さが均されて、不器用に繋ぎ合わされた壊れやすい模造品にならないか。
断片が断片のままでいられるような、隙間だらけの、音楽で言えば、意味のない沈黙で区切られた、未完成な感じが残るほうが、それぞれの断片の響きの余韻が表現のように思えるかもしれない。
ここしばらく拍のない音楽を書いていた。全音符を長い音、あるいは句点とし、4分音符を短い音、あるいは動線とし、16分音符を早い音、あるいは抑揚とする。
これは17世紀フランスではダングルベールやジャケ・ドラ・ゲールの書きかたに近い。崩された和音と即興的な線を区別する。ルイ・クープランは全音符だけの白い楽譜で、生前出版されなかったから自分だけのメモだとも言われる。これらは名人芸の即興的なスタイルと言えるだろう。ケージの晩年ナンバー・ピースにはいろいろな書法があるが、全音符だけで書かれ、時間枠の幅のなかで、たまたま同時になった音の響きが和声とされる。ここでは時間のない空間に散らばる星のような音楽になる。
3種類の音符で書くかわりに、すべてを全音符で書いてみようか。書かれているのは音の高さと順序、それに弧線が各音の終わりを示すか、数個の音のグループを束ねる。崩された和音や偶然の同期ではなく、音が集まって停滞する場所と流れている区域で作られる音楽。構成や予定調和(harmonia)からではなく、聞き取られた想像の響きと流れにしたがいながら、それを紙に書くという間接性、あるいは遅延装置を通して実現する場合には、名人芸のような慣習を排除するほうがいいだろう。「こどもの無償の遊び」と形容されるような、あるいは凍った水面を歩くような、探りながらの一歩、先が見えない曲がった道がある。
と言っても、思うような楽譜はなかなかできない。コンピュータの楽譜制作ソフトは19世紀音楽の慣習に合わせて作られている。プログラムされてないことをさせると混乱するらしい。ソフトをだましながら書いていく。しかし定着しようとした瞬間に崩れて慣習にもどってしまうこともある。作業はもっと遅くなる。
思い通りにいかなければ発見があるというのは後付の理由だろうが、思い通りに進む作業を続けるうちに、理論で組み立てたように予想可能なプロセスに陥っているのではないか、と気がかりになる。
自分の手や喉を使って、どこからか聞こえてくる音についていくだけなら、たどたどしい途切れがちの即興にしか聞こえないかもしれないが、その中間に書きとめる作業をはさむと、速記のように速くできたとしても、やはりずれや遅れだけでなく、気づかない誤認や誤記があるだろう。それでも書くためには規則やスタイルがある。書いていくと、それらもいつの間にか踏み越えられ、あとで見なおすと、あいまいな書きかたや、説明できない個所がそのままになっている。
音の高さと順序が書かれていても、音の終わりは弧線だけではあいまいだし、グルーピングを示す弧線とおなじ記号だからまちがいやすい。ましな書きかたがあるかもしれないが、はっきり書かないでその場で決めたほうがいいこともある。
次の音までの時間は、演奏の場でその時にしか決められない。リズムや拍に乗ってどんどん進むのではなく、ロバのように立ち止まりがちの音を次の音へひきずっていく呼吸が、流れの緩急となるのだろう。それと同時に強弱もそこで決まる。
リズム・パターンや拍ではなく、進む力と抵抗が、綱引きのように緊張と遊びをくりかえし、やがて対称性が破れる。
掠れ書き37 2014.2.1
何の理由もなく一連の音が心に浮かび、聞こえる音を書きつけるという単純な作業を続けるのが作曲ならば、このとき「聞こえる」と「創る」とはおなじではないだろうか。ところが「聞こえた」音を書いてみると、どこかちがってしまっている。だからといって、修正を重ねていると、いつか耳は閉じて、構成する慣れた手がはたらいている。
音楽を聞くときは、すべてを受け入れるのではなく、ちがう道をさぐっている。この音楽でもいいかもしれないが、ある瞬間にこれでないものが一瞬見えるような気がする。長い年月に川は流れを変えるように、聞こえる音楽のなかに、聞こえない別な支流があり、どの流れも谷をめざして流れ下る。
規則的に区切られていないリズム、白い音符だけの音楽。17世紀フランスの鍵盤奏者たちの「拍のない前奏曲」のジャンルのなかでも、未出版のメモだけが残されたルイ・クープランの場合は、不規則に崩された和音とその間を走る線、景観生態学でいう飛び石と回廊の空間で、ジョン・ケージのナンバーピースは、それらの飛び石が偶然に集まったような和音が点滅する空間だった。近代音楽は管理と統制の時代の音楽で、和声は調和 (harmonia) の近代的概念で、調性は単純化した中央支配の道具とも言えるだろう。
前奏曲は書かれた即興だった。音楽史をさかのぼり、ルイ・クープラン以前、旅する音楽家フローベルガーのアルマンド、その師だったフェラーラのフレスコバルディのトッカータ、そしてモンテヴェルディの「第2作法 (seconda pratica)」、論理より感覚を、多くの声を平等に操作する技術から、自由なメロディーの抑揚へ。でもポリフォニーからモノディーへの歩みはその代償のように和声を発展させる。
白い音符の音楽の別な使いかた。音高と順序だけを記すのは、それが音楽のなかでもっとも重要な要素だからではなく、書くことができる最小限の部分で、スプーンの柄のようにスープから突き出ていて、アルキメデスの梃子のように、動かしながら探っている先端は見えず、書けず、ことばにもならない。演奏は固定したリズムを離れて、わずかなうごきや強弱・緩急のちがいを捉え、アクセントを変えながら多彩なパターンをその場で創りだす。だがそれらは定着せず、その場に応じて毎回やり直して、演奏は完結することはないだろう。
最小限の楽譜は秘教的なものとみなされれば、それを解読し、分析し、和声構造やリズムの規則性を発見することで、既成の音楽的秩序に引き戻すのが音楽学の務めなのだろうか。そういう試みが無用とは言えないが、光を知りながら陰の側にいて、見えている構造は仮の足場以上のものとせず、風が吹きすぎ、さまざまな種子を呼び起こして入り乱れる軌道に舞わせるように、解釈のおよばない部分に触れながら、すぎていく一回の演奏で遠くまで逝き、また反ることができれば、手慣れた型が聞きなれない響きを立てる時がくるだろう。音楽は聞こえるものでありながら、聞こえないものの兆しともなって……
掠れ書き38 2014.3.1
「手慣れた型が聞きなれない響きを立てるとき」、オデュッセウスが魔女キルケーの島から舟出して地中海世界の西の端に上陸して亡霊たちを呼び 出すネキュイア(『オデュッセイア』11章)をここで思い出す。道からはずれた場所、でも道の近くから見ると、道をたどっていては見えない風 景が見える。
リズムと言うことばは、古代ギリシャでは計ることのできる動きや姿を指すリュトモスに由来するらしい。計る尺度のほうはメトロンと呼ばれ、 計って区切られたものはメロスだった。計ることができるためにはリズムは循環していなければならない。
身体のかかわる時間は、足と手と息の三つの先端が表現している。足を上げる、足を下ろす。踏む強さと速さで時間を区切る。肘を開く、下して上 げる、肘を引く、肘の位置は指のさまざまなかたちになって表れる。それらは区切るというよりは、持続する時間の変化するパターンを見せる。息を吐き、息を吸う。その作用は加速と減速の不規則な曲線で、手足の動きへの抵抗を和らげる。
音楽は身体の時間とかかわっていると言えるだろう。だが、足の動き、指の描くかたち、どれをとっても、普遍的な方程式はなく、その三つの重なりとずれは、それだけでも複雑であるだけでなく、世界のなかで文化のちがいと歴史の残した傷跡、音楽家の立場と見ている方向によって、二度と おなじ表現はないだろう。
近代の時間は身体の時間ではなく、時計で計る時間で、生活はそれで区切られ、管理されていて、音楽もその例外ではない。メトロノームができ、 時計の時間は重みや抑揚ではなく、格子の枠のなかで計られる。それでも、身体の時間を排除するわけにはいかない。身体と時計の二通りの時間の あいだの緊張した関係に一時的に折り合いをつけながら、生活があり、音楽もまたそのなかにある。作曲される音楽の見かけの秩序は、現実に音楽 が演奏される時の時間のありかたを予測することが部分的にしかできない。そこからこぼれ落ちる「おどろき」が、演奏スタイルでもあり、現場の 偶然も折り込んだ一回だけの経験にもなりうる。
音楽は過ぎていく。音楽は音の記憶、残響と余韻でしかない。そこにはまた、予感が絶えずはたらいている。それがメロディーの成立条件なのだろうか。過ぎた音の記憶を、予感とそれを裏切る現実の響きに結ぶ、それが音楽を聞くことなのか。説明も伝達もできない、メタフォアも届かない、 よりどころのない記憶と、聞かなかった人たちにも感染力をもつ、実体のないイメージが漂っている。
過ぎていく音を書きとめる楽譜を書く手は音には追いつかない。書こうとしてイメージを循環させるうちに動きの記憶は変わる。循環と変形を書くことを遅延装置による構造化と呼べるだろうか。一回限りの即興から複数回の演奏が可能になるようなパターン、「型」や「手」が定着して、音を 紙の上に書く行為が演奏から分離して「作曲」になるなら、演奏されなくても、ここではないどこか、いまでないいつかに、「作品」が存在するよ うに思えるのか。作業過程がこのように分離していて、その過程を逆にたどって、書かれたページの演奏と、そこに介入してくる即興の順で見て も、聞こえる響きを構造の表面として分析して理解しなくてもいい。そうした理解や記憶は職業的なものだろうが、抽象的な知識の例証として音楽 をあつかう方向に逸れていきやすい。
要素還元主義と全体システムの両極から考え、合理主義的な透明性で社会や文化を理解する傾向への反省が1960年代の終わりにさまざまな分野 ではじまった。人間の毎日はなんとなく過ぎていく。動きながらその瞬間にしていることを意識していることはすくない、動きのすべてを管理して いる自分という統一体を意識しながら動くことはさらに稀だろう。管理されなくても、動きのパターンが循環していれば、意識がなくてもシステム はある。パターンを使いこなすには、要素分析と再合成というよりは、動きの分節だけでもいい。1950年代から60年代にかけては、要素のあ らゆる組み合わせとその分類から構造を組み立て、それに順序を付けて作品を構成する技術があった。いまでは学校でも教えられているらしい。
分類しないで、雑多なものを貼りあわせ、分節するコラージュは、異質な素材のあいだの緊張と、モンタージュのように、似たような概念だがあら かじめ想定された全体のための効果になってしまった手法とちがって、断片と解体のあいだで、まだ飼い慣らされない違和感と居心地の悪さを残しているような気がする。弱く細い道は複雑な現実のなかで途切れず続くのか。
即興は言うまでもなく、音楽の作曲にしても、演奏にしても、具体的な状況のなかで生まれ、音楽史ではなく、世界の方を向いている。