しもた屋之噺(128)

杉山洋一

モーツァルトの「協奏交響曲」の楽譜を開くたびに思い出すのは、子供のころからモーツァルトに対して感じていた、不思議なときめきです。5番のヴァイオリン協奏曲の3楽章冒頭や、29番交響曲冒頭の係留音、39番交響曲2楽章の思いがけない転調のゼクエンツなど、モーツァルトの或る種の音型、緩徐楽章の終止や倚音の処理、偽終止やゼクエンツに伸ばされた係留音は、官能的な手触りすら覚えますが、「協奏交響曲」はそんな魅力に溢れていて、至福という言葉はこんな時のためにあるのだと思います。
ところで、今これを書いているのは、朝の4時くらいですが、駒留通りに面した三軒茶屋の家の窓から、鳥の啼く声が聞こえないのが少し寂しいのです。生まれ育った相模原でさえ、朝晩山鳩のほの暗く低い声が遠くまでよく通り、夕刻にはカラスの声に促されるまま、家に帰ったものでした。

8月X日22:00 ミラノ中華街の中華料理屋にて
朝、散歩をしながらモーツァルトの楽譜を思い出すが、まだ雲をつかむような思い。今日中にDuo pour Brunoの書き込みは終わるかと思いきや、最後のコーダ前で眩暈。仕事は続けられないと思い、栄養をつけるべくここまで来た。わざわざ家から遠くへ出かけるのは、移動中にモーツァルトを読むため。そうでもしないと、切替えられない。

8月X日01:00 ミラノ自宅ベッド
今朝から電話もインターネットも使えなくなった。
In Cauda IIに楽器名を楽譜に書き入れていて、あまりのむつかしさに自暴自棄になるが、丁寧に読まなければいけない。急がば廻れと思うことにする。
日本は猛暑で町田の母が熱中症で軽い脱水症状になった。

同日17:30 ミラノ自宅ベッド
朝3時半からIn Cauda IIIを読みはじめ、それで何とか朝9時前まで縦合わせの見直しをして、1時間ほど寝る。この時期夏の臨時列車が家の横の引込線に何度も入線して入れ替え作業をしている。長距離列車1両目は赤十字マークの保健車。

今朝譜読みをしながら鳥の啼き声がとても表情豊かで感激する。庭の樹で一羽が啼くと、遠くの仲間がそれに応える。聴き終わってから、違った表情で庭の鳥がそれに応える。先日近所の公園を通りかかると、烏の番いが低木の植え込みの周りを歩いては、短く啼いている。明らかに何かに呼びかけていて、ひと声啼いては答えがないか耳を澄ます。子供が巣から落ちたのだろうか。

Promを譜読みしていて、全体の壮大なスケールに漸く体が馴染んできた。指定の速度よりよほど早く演奏することから、素材の音型を無意識下でも聞こえるようにしたい。曲尾の奇妙な半音階下降音型の和音にも、少しずつ慣れてきた。13年前余りの息の長さに耐えかねて書きつけた表情記号が、自らの役に立つとは思いもかけなかった。

同日20:45 ミラノ自宅ベッド
In Cauda II の強弱記号を附け終わって圧倒された。ドナトーニは真っ当な作曲をした作家だと改めて思うのは、まやかしもなく音の神秘など微塵もなく、無心で音符を書きつけただけだから。そうして、ここまで譜面を読みこんでから、最後に強弱を見直すと、食事の後でデザートを食べるような愉悦も覚えるのは、平面的だった音楽が突然3次元で姿を現わすから。

8月X日01:00 三軒茶屋ベッド
今日は親父に頼んで7歳になる息子を初めて釣りに連れていって貰う。若洲海浜公園でサッパばかり40尾。息子はサビキ、親父はイソメでエサ釣り。塩焼きにしたが、親父のようにフライにすれば、息子ももっと食べられたに違いない。
エミリオからメールが届き、In CaudaIIは少なくとも3つの違うテンポを入れ替えながら演奏すべきだという。気持ちは分かるが、In Cauda IIIと並べて演奏するのなら、IIIのように速度に変化をつけたくない。IIだって爽やかさや新鮮さが必要ではないかと書くと、彼の音楽は全ての音がしっかり合うことが第一で、爽やかさなど関係ないと頑なな答え。尤も、指定の速度は演奏不可能なので、寝てから改めて考えることにする。Prom。Pro〈肯定)とMor(死)という言葉が交じり合って、どうも否な感触。
ドナトーニの命日。お袋の血圧はどうも突然下がる。酷暑は高血圧には辛い。

8月X日16:35東フィル練習場
休憩中、各々がドナトーニのフレーズを思い思いに練習する音が聴こえて、まるでドナトーニがそこかしこに佇んでいる錯覚。作曲っていいものだと思う。朝気が付くとページが27になっていたり、練習中誰もいないところで突然椅子が倒れたり、こじつけに過ぎないが何となくドナトーニがいるようで楽しい。
Promは自分の裡に最後まで不完全さが残っていたが、全体に軽さを持って、素材の主題を浮き上がらせる努力を続ける。

同日22:00味とめにて
味とめでサンマ揚げとサザエの刺身。美味。疲れているときに味噌汁は身体に染みる。家に戻る世田谷線のなかで、ふと切ない気持ちがこみ上げてくる。練習中には感傷などまるで皆無だが、何かの拍子にふと思い出すほんの些末な出来事が、そんな効果をもたらすのか。

8月X日16:20自宅にて
練習最終日。演奏会の曲順でリハーサルをするが、思いがけずこれは演奏者にシビアだった。オーケストラの集中力と真摯な姿勢に脱帽。練習場に入ると、演奏者のほうから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
夜円山町の寿司屋でSさんから他の演奏会は練習をみっちり入れていると聞き、さっさと練習を終わらせる自分のいい加減さを反省。尤も必要以上に繰り返すことで、本番の演奏の質が上がるとも一概には言えないと独りごちて、相変わらずの自己正当化。

8月X日01:30自宅にて
サントリー演奏会本番。朝は部屋の片づけと、洗濯などするうちに時間が経ち、慌ててリハーサルに出かける。本番はオーケストラが驚くほどよく弾いてくれて、聴衆の反応も悪くなかった。あれならドナトーニも喜んでくれたに違いない。練習も演奏会も淡々とこなし家に戻り、夜半に近所のコンビニエンスストアに出かけた。
横断歩道を待っていると、突然涙が溢れだす。

8月X日23:30熱川にて
朝11時過ぎに息子と家を出て品川で駅弁を二つ購う。茅ヶ崎で降り、仏花と線香とライターを購入し、母方の祖父の墓を訪ねて西運時へ向かう。息子は生まれて初めての墓参りに大喜び。湯河原でも父方の祖父母の墓を訪ねて英潮院を訪れるが、どの季節に来てもこの寺は美しく、墓からの相模湾の眺望にも溜息が出る。
帰りに住職の奥さんに呼び止められて、
「吉浜の杉山の本家さんですか。似ていると思っていたのですよ」。
杉山の親戚の顔が似ていると思ったことはなかったので愕く。お上がんなさいといわれるのを固辞して熱川へ向かう。

8月X日04:30熱川
山の尾根が真っ赤に染まり、見事な朝焼けは海にまで波及している。
思いがけずドナトーニの演奏会に来てくださった悠治さんからメールが届いた。
「ドライな響きに甘美なメロディーが隠れている さらにその裏に暴力と喪失感がある 原型をとどめないほど煮詰めて発酵したジャムのようなマニエリズムでしょうか 明るさを装うメランコリーでしょうか」
ドナトーニをジェズアルドに喩え、その昔は数人の声で出来たことが、今は大オーケストラを必要とする、とある。成るほどと思い久しぶりにジェズアルドを聴き返してみる。
リハーサル中、オーケストラの団員から、ドナトーニ凄いねえと何度も声をかけられた。本番当日も、ホールの通用口へ向かいながらクラリネットのXさんと一緒になったとき、笑顔で「ドナトーニの構築力は物凄いねえ、数学でもやっていた人なの」と言われ、びっくりした。連日の練習で演奏者はドナトーニのドの字も聞きたくないと思い込んでいたせいもあるだろう。「数学はどうか知りませんが、経理士の資格はもっていたようです」と答えると大笑いされた。
演奏中に思い出すのは、何故かファシズム建築のミラノ中央駅のファサド。磨きあげられた石造りで巨大で古典的な美しさを湛える。鉄枠でできたプラットホームのほの暗さはイタリアのネオリアリズム映画にも通じる。
「発酵したジャムのようなマニエリズム」の下りを読んで、先日ヴェローナの記念墓地に訪ねたドナトーニの墓が眼前に浮かんだ。12年前の話では、場所がないので当座は集合墓地に入れてもらい10年後に骨を拾って立派な墓を作る筈だった。先月は目の前の墓で、すっかりくたくたに溶けて骨だけのドナトーニを想像しつつ、手を併せた。

8月X日22:30熱川
モーツァルトのレクイエムをひたすら読む。先月の大久保さんのコラムの、翻訳でつかえたときに書き出してみるという部分を読んで、音楽と同じだと膝を打った。
どんなに単純な作品でも、和音の機能分析だけでは、音の裏の空気の動きが見えない時もある。単純な和音であっても、楽譜に和音を書きこんでみると、音符の奥に見えるものが大きく変化する。書かなくても解っている積りなのが、書いてみると解っていないことが解る。調性の範囲と領域から、音楽の方向性と指向性を判断する上で、音そのものが見えていないのは致命的であって、相変わらずどうしてこうも楽譜が読めないのか。
モーツァルトのレクイエムに関しては、ヘミオラの処理について何箇所かどうも合点がゆかない。原典版を読んでも、わざわざヘミオラを演奏し難くするアーティキュレーションが書かれているのは何故だろう。
先に大ミサ曲を演奏したせいか、モーツァルトとジュスマイヤーの境界線は明快で、当初レクイエムが好きになれなかった。漸くここにきてレクイエムの美しさは、何世紀にも亙りさまざまな建築家の手にかけられて作り上げられる教会のような、或る普遍性をもった美しさに等しく感じられるようになった。大ミサ曲のような純粋な神々しさとは違っても、レクイエムに見出される様式の矛盾や歪さが少しずつ個性のように見えるようになり、それら全てを凌駕するモーツァルトの存在がとんでもないことがわかる。

8月X日23:30三軒茶屋自宅
熱川の帰り、湯河原で叔父さん宅に寄り四方山話。息子と二人、彼が釣ってきた鱚(きす)のフライを頂く。傍らに小さな鯒(こち)の稚魚の天ぷら。鯒は鱚の外道で釣れるけれども、叔父さんは普段は持って帰らずその場で放してしまう。鯒の稚魚は小さすぎて、陸にあげる前に息絶えてしまっていたので仕方なく持って帰ってきたそうだ。鯒は美味いので、自分なら持って帰ってくるだろうが、いつも釣っていれば違うのかもしれない。子供の頃は鱚より却って鯒のフライの方が好きだったので鯒が釣れると大喜びした。
そのまま息子を連れてケージのミュージサーカスへ出かける。すぐ飽きるかと思いきや、息子はカミナリ製造機と活け花が気に入り動かない。翌日クセナキス、シャリーノとラッヘンマンを聴きに出かけると、隣の席に思いがけず頼暁先生が座っていらした。
伊豆に出かけ懐かしくなって、駅の本屋で「伊豆の踊子」を買って電車で読む。

8月X日23:00自宅にて
レクイエムの独唱、合唱合わせ終了。モーツァルトのラテン語はイタリアならイタリア語読み、ドイツ語圏ならドイツ語読み、極論を言えばフランス語圏でフランス語読みしても分からないではないが、日本ならどうなるのか。バラバラなら直している時間はないと気にかけていると歌手の皆さんの方から何語読みですかと尋ねて下さった。合唱の皆さんにもイタリア語読みでお願いしますという一言で事は済んでしまう。さすが日本だ。自分だったらドイツ語読みでお願いしますと言われてもすぐに切替えられない。

イタリア人がラテン語を外国語として括ると妙な感じがすると言っていたが、確かに外国語と呼ぶにはイタリア語に近すぎる。フランス語やスペイン語、その他のラテン語族の言葉を話す人にとっても同じに違いない。
では、日本人や韓国人、中国人モンゴル人、フィリピン人、インドネシア人、アイヌ人やサハリンからシベリアあたりの民族が1000年くらい前まで同じ言葉を話していたとしたら、どうだろう。せめても強い影響力を持つ共通語が1000年間くらい存在していたら、歴史は随分違った発展を遂げたかも知れない。

(8月31日三軒茶屋にて)

翠の韻文95――終わりは来るか(2)

藤井貞和

まさか! 三月を、怒りの子、飢餓によ、満ちて、しずかな叫び。火の斧、火の粉、見し中の、皆か、否! 震源は、しばし半減し、地震(=ない)か、波の哀しみ。この日、NO(ノオ!)の日々、けさ鳴かずして、魑魅(=ちみ)よ、苦(=にが)き、この理解を継がん、逆さま(回文)

(〈家の除染が終わると、30日から庭の除染がはじまる。庭の薔薇20本を嫁入りさせる。秋の虫が鳴き出して、なぜか、だみ声に聞こえる。声の聴こえる日は余震がないようだ。1500軒の除染で、今年いっぱいは騒音のなか。朝から地下水が西から東へ、すこし動いた。二軒となりで数軒ずつ、除染の穴を掘っているせいかしら〉と、福島からのけさのメール。回文は宋詞を創るのに似るかもしれない。韻を重ねて意味を求める。無理もあり、詩語、古語も利用される自由詩。韻文なのでは。)

バーチャル・ナース

さとうまき

横浜赤レンガ倉庫で難民支援のイベントをやることになった。しかし、あまり人が来ない。ちょうど初音ミクのコンサートを隣でやるというから、人が流れてくれるとうれしい。すでに野外に作られた特設ステージの前にたくさんの人だかりができている。
「ところで初音ミクってだれですか?」
「知らないんですか? バーチャル・アイドルですよ」
「え、バーチャン・アイドル?」
「違いますよ。つまりですね」
要するに、コンピューターグラフィックスの中から誕生した歌手らしい。コンサートって言ったって、ただ単に大型スクリーンでアニメを流すだけなのに、こんなに人が集まっている!

結局、僕たちの、イラクとシリア難民の写真展、トークと初音ミクファンはあまりにもかけ離れていたのか、人は流れてこなかったが、それでも、青いカツラを特注し、コスプレの3姉妹を連れた親が遊びに来てくれた。

それにしても、あの熱気はすごい。アイドル・ブームの昨今だが、アイドルとはいえ生身の人間、わがままになってしまうし、追っかけがいてなんぼのものだろうが、下手するとストカーに追っかけられることもあるだろう。マネージャーさんの苦労を考えたら究極のアイドルは、バーチャルに行き着くというのはなんとなくわかる気がする。コストパフォーマンスもいいのだろう。

ところで、初音ミクが、チャリティコンサートでもやってくれたらいいのになあと思う。うちの場合は、歌って踊れるバーチャル・ナースのようなキャラクターを作れば、もう少しこういうイベントにも人が集まるかもしれない。

実は、イラクで頭を抱えているのが感染症対策だ。看護師を指導しなくてはいけないのだが、彼女たちにやる気がないのだ。医者は言う。「イラクでは、看護師は、職業としてさげすまれているところがあり、親たちも嫌がるんです」。そこで、実際に、何人かの看護師にインタビューをしてみた。「生きがい? そんなのないわね。最近仕事には慣れてきたから、毎日そつなくこなすだけよ」という。「イラクでは、高校の成績ですべてが決まり、大学に行くとか就職するのもすべて勝手に決められるの。大学に行けても学部を選ぶことはできないわ」とのこと。みんなやる気がないのである。日本だと子どものころから、「命を助けたい」という憧れの職業だというのに。

どうしたらやる気になるか。やはり、ナイチンゲールのようなヒロインでもいればわかりやすい。ナイチンゲールの絵本を訳して配ってみるかとも考えたが、今の時代、いっそ、バーチャルナースがいい。注射もうまく、感染症対策もばっちりできる。子どものころからこういうキャラクターに触れることで、立派な看護師になろうという志が芽生える。

さて、どんな名前がいいかなと頭を悩ませている。

奥原先生

大野晋

私が勝手に師匠と呼ばせていただいている奥原先生はもうすでに故人です。もう遠い昔、学生のころ、すでに90歳近かった先生は非常にお元気で、野山を現役で歩かれていました。
その当時、県の植物誌の編纂の仕事で、先生は県内から集まる標本をひとつひとつ同定(押し花になっている標本を鑑定してそれがどういう植物であるのかを決めること)されていましたが、アルバイトを兼ねて標本を台紙に貼り付ける作業をしていた私に、「大野君、名前を鉛筆で書いておいてね」と同定前の標本のプレ同定の作業を通して、指導をしていただきました。
大学へは大抵、午後やってくるのですが、ご自宅のあるところからは必ず市内の女鳥羽川を橋を使わずに、川の中を直接渡って来られるので、いつも長靴姿がトレードマークでした。それでいて、時々、「どこそこで節分草が咲いたよ」とか、「どこそこにこういう珍しい植物を見つけたよ」という話をされるところを見ると、午前中は県内の野山を駆け巡っているのが常のようでした。

そういう先生ですから、若い誰よりも山道を歩くスピードは早く、慣れない学生だと置いていかれるくらいでした。

この話は、もう何回も何かの機会に書いたかもしれませんね。そんなことを思い出したのも、私もそろそろ、やりたかったことについて、何か残しておくべきかなと最近常に思っているからかもしれません。ゆえあって、生活のために生きていますが、自然の成り立ちについてじっくりと探求したかったなあとしみじみと思い返すことが多くなりました。もう大学院に入り直しても結果が見えない年齢になってきたせいかもしれません。

などといっても、学校を卒業して以来、プログラミングという抽象化とモデリングを繰り返して数年。その後、品質管理という人間の行動や問題の構造を紐解く仕事を10年以上、そして20年ほど経って、システムというものを一から勉強しなおした結果ですから、30年前の私には無理な仕事だったのかもしれません。今後、数年で少し考えていることをどこかに発表しようと思うここ数日です。

オトメンと指を差さ れて(休)

大久保ゆう

今回は、ただいま筆者が全オトメン力を用いて〈ふしぎの国〉に迷い込んでいるため、お休みさせていただきます、あしからず。なお、かの地より筆者のお手紙が届いておりますので、ここにエッセイの代わりとしてご紹介致します。

拝啓 ふしぎの国はすっかりからっぽめいて参りましたが、みなさまはいかがお悩みでしょうか。わたくしはさっぱりです。そうなんです、こちらのお風呂はたいへん湯上がりがよいのですが、うっかりのぼせてしまう人も多いらしく、浴槽さんは結婚の申し込みを断るのがたいへんだとか。そのためハートブレイク用のお菓子も流行っているのですよ。なかでもいちばん人気はヤブレカブレで、塩味がきいているみたいです。幸いなことにわたくしは賞味する機会にありつけておりません。わたくしはしらばっくれるあいだ、ふしぎの国でトドのように丸くなりますので、どうにかしてください。ご自愛するより誰かを愛しておあげなさいませ。敬具

かん

三橋圭介

一ヶ月くらいまえ、一匹の猫がやってきた。名前はかんたろう。アメリカン・ショート・ヘアーの雄。松下佳代子さんというまだ一度も会ったことはないが、Facebookでやり取りとしていた方のにゃんこ。「たすけてください」とFacebookで叫ばれており、ならばお引き受けしましょうと、かんたろうをあずかった。松下さんは日本とドイツで暮らしているピアニスト。ドイツではデュッセルドルフのシューマンが暮らした家が住処という。そんな彼女がローマ法王の御前演奏会のため、一ヶ月くらい家をあけなければならず、あるお宅に預けられたものの、そこにいる子猫が怖がっているということで、わが家にやってきた。到着してそわそわと家のなかを点検し、もちろんわたしたちも詳細に点検され、合格をいただいたのは2日くらいしてからでしょうか。テーブルの上という自分の居場所を発見し、ゆうゆうとわれわれを見下ろし、「ごはんがないぞ」「あそべ」などと命令しはじめました。そうこうするうちにわたしも「かんたろう」「かんちゃん」から、ただの「かん」と呼び方を変えて馴染んだわけで、その馴染み具合は、私の手から腕、足などの傷がその証となります。電車に乗るとリストカットと間違えられるほどにかんの愛のムチが神々しく輝き、危険な人として目を背けられること度々。道端のねこじゃらしから専用の遊び道具などつぎつぎ投入するも、「手や腕を噛むのは絶対にやめられにゃ〜だ」とくるくる絡んでキックします。わたしも負けてはいられないので、真剣に血を流しながらも遊びます。最近では私の腕枕も気に入り、フミフミもしますが、寝る前の行事として欠かせないのがナメナメ攻撃です。よく親猫が子猫を舐めてあげる姿をみますが、そんな感じなのでしょうか…。かんは髪の毛をとても丁寧にぺとぺと舐めてくれます。中位の紙やすりですりすりされると思ってください。顔はかなり痛いです。髪の毛ならハゲそうです。寝ていると舐めて起こしてくれるのですが、必ず起きます。そんなかんですが、とうとうお別れです。9月2日に松下さんが引き取りにきます。かんの夏休みも終わりです。もはや98%「みつかん」なので、松下さんを見てどういう反応をするかちょっと楽しみでもあります。まあ、すぐに「まつかん」に戻るのでしょうね。この原稿を書いている今、かんは机の前にある出窓でころっと横になってぼんやり窓の外を眺めています。

製本かい摘みましては(81)

四釜裕子

スマホで撮った記念写真を即メールで送る。DPEで焼いて選んで焼き増しして封筒に入れて送ったりしていたのがずいぶん昔みたい。さくさくさくさく送られてみんなどうしているのだろう。わたしは見るだけ。整理するためのアルバムはずいぶん前から持っていない。自分で撮ったものでも焼いた写真は適当に仕分けして靴の箱に入れてあるしフィルムはほとんど処分、デジタルデータは撮影年月別のフォルダーに入れてあり、必要があって探す以外は懐かしく振り返るために見ることはない。懐かしむことと写真が離れていく。

「アルバム」と言われて頭に浮かぶのは厚い台紙にグレーのヘリンボーン柄みたいな布表紙のものだ。ずいぶん大きい印象があるけれど、小さい手でめくっていたからそう感じるのだろう。表紙には黒と緑のラインと金と銀の小さい四角が数個あって、あのデザインというか柄が好きだった。同じような大きさの厚手のものが数冊あったが、どれも父が文房具店か百貨店かでひとり選んだものだろう。ソファの上に作られた棚からとってもらって、姉と2人、床に置いてめくる感覚が今も残る。

写真の1枚づつに短いコメントがあって、おとうさんが書いたのよ〜とは母に聞いた。ひとりで読めるようになるまでは姉が読んでくれたので、アルバムを見ているあいだは誰かほかのひとに話しかけられているように感じていたと思う。そこに写っているのが自分自身だとまだわからない時分のこと。絵本みたいなものだったのかもしれない。小学生くらいになるとわたしよりも姉の「絵本」のほうがだんぜん多いことにココロをいためるが、20年たちそれは愛情量の比ではないことだけはわかった。

東日本大震災の被災地で瓦礫の中からみつかった写真を入れるアルバムを作って贈ろうというプロジェクトが昨年9月に東京製本倶楽部で立ち上げられた。呼びかけに応えて14カ国200人以上の製本家から483冊のアルバムが事務局に届いたそうである。今年3月には岩手県立美術館と大船渡市民文化会館で展示会があり、最終日にはアルバムを希望する大船渡市民の長い列ができたと聞いた。

集まったアルバムを写したビデオを見た。アルバムであること以外しばりはないのでさまざまだ。革や木の皮に切れ目を入れて表紙の開きを良くしたり留めたホッチキス針で手を傷めないよう保護したり、表紙のおさまりがよくなるように小口に細工したり凹凸に折った紙に細い紙を通して綴じたり、タマネギのように紙を交互に組み合わせて綴じたり。思いもよらない刺激を受けて、普段得意としている材料や技やデザインが一人ずつの体からチューブのはみがきみたいに気軽に出てかたちになっている。作品展でもコンクールでもなく、時間もなかったからだろう。483人がどこかでそれをめくっている。

ETが来て、台風が来た

仲宗根浩

七月半ばから左の足、腕に若干のしびれ。頭の中の血管に詰まりでもあるとまずいとおもい、病院に行き、頭の中を輪切りして見てもらうが異常なし。いつもなら七月に行く人間ドックもごちゃごちゃ忙しかったので行けず、予約を取ったら十月。その時に相談しよ。胃カメラは苦にならないが、検便は面倒だ。

うちのお嬢さんの小学校、始業式の日に旧盆に入る。小学校は二学期制、ガキの高校は三学期制。夏休みに入る時期も違うし、終わる時期も違う。同じ二学期制をしている小学校でもさまざま。それぞれの学校の裁量に任されているみたい。面倒くさいな〜、と毎年思う。

旧盆前、去年はメガネの半分が吹き飛ばされた八月の台風。来る前は記録的な台風とかで騒がれたが、うちは停電することもなく、台風の夜、窓から外を見ると四つ角で雨が渦巻いていたのを見たくらいで何事もなかった。そんな中でも歩いて普通に仕事に行く。Tシャツに短パン、ビニール袋に着替えを詰め込みメガネを外し、前かがみで向かい風を歩く。おもったほど風の抵抗もなかった。台風が過ぎると少しだけ夜が涼しくなるだろう。

八月は半ば、ETこと竹澤悦子が沖縄に来た。五月の連休に来る予定をたてていたけど混雑している時期なのでだめになり、たまたまお三弦ひとつかかえての演奏会で来るから会うことになった。演奏会は仕事で行けないのでこちらが空いている日が向こうが帰る日。飛行機の時間まで初対面のご主人と三人で観光する。暑さの中、グラスボートに乗ったり、御嶽に行ったり、漁港の食堂でご飯を食べたりと一年ぶりのだらだら観光をする。車の走行距離百三十キロ。小さいなこの島は。えっちゃんは格安で三線を手に入れ帰った。食堂で食べたイカ墨汁、そのあとどんな便が出たか報告は無い。

八月最後の日、子供のピアノのレッスン代が上がる、というよくない知らせを奥さんから聞かされる。これで九月もますます働くお父さんに徹してなければいけなくなった。こっそり買ったつもりがばれてしまった、マディ・ウォーターズとストーンズの公式発売された共演DVD、いつ見ることができるだろうか。夜の空、月はうろこ状の雲に囲まれていて、秋らしい素振り。でもまだまだ夏。引き続き早く夏終われ、とつぶやく。

夢のつづきのPreludio

笹久保伸

あっという間に2012年の8月も終った
8月はいつも何かある季節
今年もそうで
出会いもあれば 別れもある不思議な8月だった

8月5日は自分の新しいCDが発売になる予定の日だったが
その日は秩父で別のイベントがあり演奏していた
数日前にCDの発売は延期なる と知らされていたが
祖父の死がその日におとずれるとは誰からも知らされていなかった
CDのタイトルが「翼の種子」だけに 祖父は翼を持って旅にでたのか
種子へ回帰したのか とか独りで考えてしまったが それは偶然だ

「翼の種子」はポール・エリュアールの童話
私のCDのコンセプトとは直接関係がない
しかし CDのコンセプトやタイトルを考える時に
種子へ還るべきか 種子から育つのか どちらだ
と考えた時に 今は まだ種子へ還れない と漠然と思った
外へ向かいながらルーツへも還れ とペルーのManuelcha Pradoに言われた事がある

結局CDは8月12日に発売になった
ジョン・ケージと中上健次の命日だったらしい と後で知ったが
CDに入れた「空飛ぶ法王」という曲を作るアイデアとなった句集を書かれた
俳人の夏石番矢さんは 晩年の中上健次の友人だった
自分の意図しない事や直接自分には関係のない事が 
遠いところで繋がったりもするのかな
とも思ったが 偶然だ

自分は自分が作曲や演奏を続ける上で何かのエモーションがないと 
何も生み出せないのではないか と心配している
しかし仮にエモーションがあって何かを書いたりしても 
それで自分が何かを生み出した もしくは 生み出しているのだ
とも思えないが
とにかく今は エモーションや動機がないと 作る意欲がなくなってくる
でも それがないと作れない という事ではないし
理由があって何かを作るという事はほとんどない
何かのためになるわけでもないし 自分のためにもならないし
わけがわからなくなってくる

書ける事しか 書けないが そういう意味でも
8月はエモーションだらけの月で自分の気も狂いそうだった
いや ある意味 いつでもオカシイかもしれない

今年の8月は生まれて初めて 熱中症にもなった
お酒に弱くて 全然飲めないのだが
ある夜 ラム酒を6杯飲んで 水を飲むのを忘れたまま
なぜかエアコンのない部屋で寝てしまい
朝起きたら 暑くて暑くて めまいがして 立ち上がれなくて
喉や口がカラカラなのに 水を飲めない 飲むと気持ち悪い
そのまま病院へ行き 点滴4時間 病院で1日過ごし
地獄を見た
その後も不調で 夏バテのよう

他人や友人や見知らぬ人々が会話をしているのを聞く
ある瞬間に大勢の人々が それぞれ別々の会話をしているのを聞くと面白くて
話の内容にではなく その音響効果に感動する事がある
8月はそういう方法で小説も書いた

そんな2012年の8月は 夢のつづきのPreludioだった

八月

璃葉

真昼の通り雨は子供の足音を真似て
愉快に家々を走り回りながら
蒸し鍋の中に座り込む少女に晩夏を知らせる

老いた月と黄金色の灯りを空から吊るすと
色褪せたはずの秋が微かに橙を吐き出した

あの日生まれた死に部屋には
朝焼けを映す雨雫を垂らそう
きっと暗緑の夢から抜け出せられるはずだから

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奇妙な殻のなかで

くぼたのぞみ

つんつんと萩の小葉が
8月の風に指をひろげて
黄色い粒が風に飛んで
するどく こまかく 切れる刃物は
ひとつの世界の
あざやかな開口部を見せはするが

切断された欠片が行きどころなく
散らばる地表に
無常の熊手がのびる季節が近づく
ほら そこに見出されるのは
群島フェミの忘れもの
きみはなにを創り
なにを育て
なにを枯らしたか

19世紀小説がなつかしいと地球儀のおもて撫でる
(特権+無意識+マスキュリン+永遠の僕)的作家の時代は去り
ここ東アジアで(も)
全=世界へ向かって じわりじわり
アンドロギュノスのしなやかな蔓がのびる
のびる のばすために紡がれることばたち

産む
育む
見る
守る
関係はあとからやってくる

偶然の呪縛 踏みしめて
全=世界つらぬく命の糸の
きみはなにを創り
なにを育て
なにを枯らしたか

糸たちが通り抜けていった
奇妙な殻のなかで
ひたひたと考えている

犬の名を呼ぶ(4)

植松眞人

近頃、ブリオッシュは真っすぐに走るようになった。高原はふいにそう思う。リードを引いて一緒に散歩しながらブリオッシュの背中を見ていて、唐突にそう思ったのだった。

しかし、だからと言って、それまでのブリオッシュが真っすぐに走らなかったのかと言われると判然とはしない。思い返してみても、右へ左へヨタヨタ走っていたわけではない。ただ、真っすぐに走っていたというイメージが持てないのだった。歩きながら速度をあげることはあっても、迷いなく目的地に向かって走っている、というイメージではなかった。もちろん、いまも明確な目的地があって走っているわけではないのだが、確かに一足一足を落とす場所に迷いがない、という気がする。

歩くこと、走ることに迷いがなくなった、ということなのだろうか。いや、もしかすると、ブリオッシュは走るということを意識したことがなかったのかもしれないと思う。歩く速度があがっただけで走れるわけではない。高原はそう思った。歩くことと、走ることの間には確かな線引きがあるはずだ。ブリオッシュはここしばらくの間に走ることを覚えたのではないか。だとしたら、それはいつだったのか。高原は考え始める。そして、考え始めてすぐに「あの時だ」と思い至る。

二週間ほど前、ブリオッシュと散歩に出かけようとした時に、リードを付ける前に脱走してしまったことがあった。

きっとのあの時だと高原は確信した。ブリオッシュはあの瞬間に走ることを覚えたはずだ。走ることと歩くことの違いを知り、意識して走れるようになったのだと高原はなんとはなく確信したのだった。

いつもの公園のいつものベンチに座ったまま、足元に寝そべっているブリオッシュの背中を高原はなでる。ブリオッシュは少しうるさそうに高原に視線を送る。そして、すぐに元の姿勢に戻ると、再びあごを地面につけて寝そべってしまった。

あの日からブリオッシュの動きにはメリハリのようなものが出てきたような気がする。少なくとも我が家にきたばかりの時のように、部屋の中を走り回るということはしなくなった。前は家の中も家の外も同じように走り回っては、いろんな物を壊したりしていた。それが最近、ぱたりとやんだのだった。

以前は、ブリオッシュを唐突にうちに放り込んでいった娘によく文句を言っていたものだ。
「じっとしているかと思うと、突然火がついたみたいに走り回ったりするんだよ。おかげで家の中が落ち着かないよ」

それがどうだろう。こちらが「散歩に出かけるか?」という目配せをするまでは、ぼんやり寝そべっていたりする時間が増えた。

高原がそう言うと、娘は笑った。
「大人になったんじゃないの? 犬は生まれて一年で成人するっていうからさ。ブリオッシュだってもう子供じゃないんだよ」

そんな母親の話を聞いて、今度は孫娘の聡子が言う。
「ねえ、お母さん。ブリオッシュって何年くらい生きるの」
「そうね。大型犬だからねえ。犬は大型犬の方が寿命が短いのよ」

そういうと、聡子は「え?っ」と露骨に嫌そうな声を出す。
「かわいそうだよ!」
「仕方ないじゃない。でも、十年から十五年は生きるんじゃないのかなあ」

そう言われた聡子は、ブリオッシュの顔をじっと覗き込む。

十年が経つと俺はもう七十五歳だ。そう思った途端に、高原は目の前の風景に蜃気楼がかかったような揺らぎを感じた。うっすらとした透明の膜のようなものがかかって見えた。高原は深いため息をついた。そのため息を聞きつけたのか、聡子が高原を心配そうに覗き込みながら「大丈夫だよ」とにっこり笑う。
「心配しなくても大丈夫だよ。おじいちゃん」

ちょっと複雑な表情で、高原は聡子に微笑み返す。聡子はもっと高原を慰めようと、言葉をつなぐ。
「おじいちゃんとブリオッシュで、どっちが長生きするか競争だね」

そう言われて、高原は一緒に笑う。笑うのだが、自分の笑いだけが少し引きつっているのではないかと、そればかりが気になって仕方がない。

あれから数日たっても、「どっちが長生きするか競争だね」という言葉が棘のようにつかえたままになっている。そして、その棘は日を追うにつれて小さくはならず、大きくもならずに、ずっと同じ大きさで同じ場所に刺さっていた。だが、その場所がよくわからない。

あと十年たてば俺は七十五だ。そして、十五年たてば八十歳。八十になって俺が死んでも、誰も「お若いのに」とは言わないだろう。高原は改めて自分の歳を明確に意識することで、目の前のブリオッシュの背中から視線を離せなくなるのだった。

ブリオッシュのゆっくりと息づく背中を、その動きに合わせて、同じようにゆっくりとなでる。
「どっちが長く生きるんだ」

高原はブリオッシュに聞いてみる。そして、自分が確実に年老いていく十年の間に、ブリオッシュはどんな一生を駆け抜けるのだろう。そう思うと、高原は自分が過ごしてきた時間がいかに長い時間であったのかを考えて呆然としてしまう。そして、その長い時間を振り返ろうとしてやめる。どうせ、そんなことをしても悔やまれることばかりが思い出されそうだ。

「でもな、お前よりも覚えることも、やらなきゃいけないことも多かったんだよ」
 高原はブリオッシュに言い訳するように言う。
「まあしかし、俺の散歩とお前の散歩では、その重みが違うのかもしれないな」

そして、高原は笑いながら立ち上がる。いつもよりも少し長くベンチに座っていたからか、それとも真っすぐに走ることを覚えたからか、ブリオッシュも待ち兼ねていたように立ち上がる。

尻尾を振り、今にも駆け出そうとするブリオッシュをリードの微妙な引き具合で制しながら、伝わってくる鼓動に高原は呼応する。そして、ため息ではない短く勢いのある息をブリオッシュにも聞こえるように音を立てて吐く。「十年は長いよな」
高原はブリオッシュに話しかけてみる。

すると、ブリオッシュは「うん」と言ったのか「いいや」と言いたかったのか、少し振り返ると妙な音を立ててくしゃみをした。

オチャノミズ(その4)

スラチャイ・ジャンティマトン

荘司和子訳

ときおり自分がギターのことについてあまりにも熱中しすぎて、ギターの香りがわたしの感性の中にたち込めているかのように感じる。ギターに塗られたオイルのいい香りはわたしの鼻にしみこんでしまった。ときには鋭い弦が指に食い込んで鮮血がぽとぽと垂れてくることもある。

わたしの指は弦と触れた跡がくぼみになってしまっている。爪の長さのちがいに細心の注意をはらわないといけない。指を使えば使うほどに、どの指も皮膚が厚くなってしまった。その上いやなことに乾燥してまるで木の皮がはげるようにむけてくる。

二本の弦に指をおいたときのあの想像力の深み、それは名指しがたい深い静けさと歓喜なのだ。

わたしは50段余りのコンクリートの階段を下りてきたときのことを忘れたことがない。70度くらいで一直線になっている。上がるときと降りるときでは別の苦しみといっていい。上がるときはめちゃ重いので一歩ずつ這うように動き、北部の高い山にでも登っているかのような思いになる。降りるときは年齢と身体の状態次第で、膝と足首が痛むことになる。

この恐ろしい階段は下りていくと中学校の門前に出る。わたしが下りて学校の前まできたときこどもたちが校庭で遊んでいる声がしていた。ときには何か行事があったり、バスケットかフットボールなどのスポーツ競技をしていたりする。フットボールはこの国ではサッカーと呼んでいる。意味不明だが。

ここは若い男や女が絶えず行きかっている。日本人は生命力に溢れて仕事しているように見える。服装は自分の好みでさまざまだ。どんなかっこうをしているかでどんなタイプの人間かがはっきりわかる。大きい人も小さい人も誰もが漫画本の中のキャラクターみたいに見える、容貌といい、態度といい。色がとても白い。日に当たったことがないのではというほど青白いのもいる。

ただ皆同じなのはお互いに黙って関知せずというところだ。誰一人として他人に関心を持たない。それぞれが歩いてきて、それぞれが過ぎていく。たまに友達グループもいるが、電車に乗るとみな黙ってしまう。本を読んでいる人、目を閉じている人。ただし降りたい駅に着くや彼らはすばやく立ち上がって出ていくのだ。

わたしは日本人の顔を読むのが本を読むのと同様好きだ。彼らの顔には一つ一つ物語がある。日本人の顔はこれはハンサムだとか美人だとかはっきり決められない。何か足りなかったり、多すぎたりする。けれども誰の動作にも可愛らしさがある。

犬狼詩集

管啓次郎

  79

草原を更新するため毎年の火入れにより攪乱した
鹿の意見によると森と草地はいずれも好ましい
栗は樹木の中では明るい森を好んでいた
六色しかない色鉛筆で今日の天気を表現してみよう
境界性の人格であり、樹格であり、獣格だった
眼鏡のふちに「すべてはうまくいく」と小さく書きこんでいる
墓から目覚めて最初の食事は巣蜜と焼き魚だった
カジキをごく軽くいぶしてレモンをしぼって食べる
与那国語には母音が三つしかないと聞いて死ぬほど驚いた
No way! という表現を直訳すれば「道がない」
まだ緑色の栗の毬を蹴りながら歩いた
たどりつく場所がないすべての行程を全面的に肯定する
渦を巻いて水が流れ落ちる巨大な貯水池だった
突き出した突堤に立ちフェリーボートの知らない乗客に手を振る
動物園でもないのにcoatiの群れが森から出てきた
これから夕立が来ることを予感しわざと傘を忘れて出る

  80

隔たったものがむすびつき見えるべきものが見えなくなった
亀に名前をつけても翌日にはもう見分けがつかなくなる
建築学校のキャンパスの木から蘭の花が咲いていた
線路の終わりは民家の裏庭でそこには物干竿もある
ある文体が定着するには大体千年がかかるといっていた
ひとつのレモンを電池として千時間の照明を確保する
島から島への横断を一都市内で経験した
写真によるアフリカとキューバの連結をすぐには信じない
その人の顔があまりに左右非対称なのでかえって魅力を感じた
その二人の少女は絵画のように愛らしくしずかにしている
別の少女たちは滝から群れをなして飛び込むらしかった
巨大な老いたゲリラ兵士が壁の穴をのぞきこんでいる
死はまったくの自然現象なので風が吹くようなものだった
人工物を生命のメタファーにするのは無理だ
川の水面を川が流れていくとき感情は止まらなかった
農業と狩猟採集のはざまで壊れてゆくプロトコルに別れよう

  81

夏至近くの木漏れ陽が煉瓦色の壁にゆれていた
この町には中国人が少ないのでアフリカ人が驚いている
ビール会社の名前に打たれた星を改めて探してみた
千年紀を記念する橋をかもめが歩いている
そういえば犬をめっきり見かけなくなって心配だった
さまざまな色のドットが等間隔に並べられ迷路の気分だ
灰色一色で描かれた絵画にのみ心を奪われた
煙草の吸い殻を集めるとそこから蝶が飛ぶという手品だ
花を模倣する紋様を模倣する平面を作りたかった
川を見ると何度でも身投げしたくなるが一回だけはいやだ
仏陀の教えを懸命に写真に撮りそれで浄土と極楽を表現した
音楽的には無音よりはつねに鳥の歌を選びたい
黄昏が午後十時までつづくとき熱帯を遠く感じた
芝生にきれいな直線で既視的な歩行の線がついている
低い雲が海の風に飛ぶとき生き方をしきりに反省した
四つの橋が連続する筋の美しさをときどき思い出す

  82

トンネルがゆっくりとカーヴして光が曲がって見えた
緑の葉を石で潰しその汁で指を黒く染める
故障の原因は操作のまちがいが大半で後は兎のせいだった
山火事から走って逃げるロバの群れがカタルーニャを再生する
年輪形成がある以上は成長の完全な停止もあるはずだった
生きているのだから心の平静など絶対に訪れるはずがない
斬新さと呼ばれるすべては主として無知の効果だった
趣味の良さとうなだれるオランウータンの幼児を比較する
ベレニスが長い髪を切ったので海上の空に星が流れた
身をやわらかくして波に浮かんで太陽に目を細めている
ナキウサギが岩場に立ちGreat Snow Mountainにむかって吠えていた
経営的手腕を問う以前に誤字脱字がじつに独創的だ
その野良猫がどんなにみすぼらしくても心をよぎらない日はなかった
友人は身体をしだいに透明化させこれから霞ばかり食うと宣言する
歩く習慣を失うと山の輪郭の見えが変わってしまった
これから国立図書館にゆき古い科学映画を見てくるつもりだ

  83

湯が存在のある位相ならそれを喩とすることが求められていた
つぶつぶと白い歯を撒いてヒトの発芽および収穫を待っている
終点があるかぎり必ずそこにゆき番地のない家をたずねた
川が川だけが土地の全面的な主人だということを疑えない
理性は発話の手前で立ち止まり声は朗唱をあきらめた
サゴヤシのサゴ澱粉で麺を加工してもいいですか
「南海の消滅」というフレーズを完全に勘違いしていた
リズムに乗って話してはいけないしビートに心を委ねてはいけない
地名の喚起力といえば聞こえはいいがそもそも音的に聴き取れなかった
きみの耳は舗装され線路が敷かれ蜜鑞でふさがれている
緑色の目をして彼女が肌に梨の実を塗っていた
これから木を伐って谷川に橋をかけようと思う
その二千字が歴史を語るといってもビーズ細工のような伝説だった
石をもって夢を掘り出し当面の生存に役立てる
思い出は痛みであれ愛であれモノローグにすぎないと分析家にいわれた
その黄色は硫黄ですかひまわりの影なのでしょうか

  84

カワセミの青が水面を低く掠めてきらめいた
「自分もいつか死ぬ」というのはどうやら信仰にすぎないようだ
焼けたグラウンドでボールの反撥係数が試された
夏草とつるぶどうの生長に合わせて息と嘘をつく
久しく手紙を書いていないので切手を貼る位置がわからなくなった
新しいという麦藁帽だがどこか漁村の色をしている
距離を歩測する道具として自転車の前輪に印をつけた
夕焼けの雲が血に染まったスナメリの群れに見えてくる
動物としての交感の基本は体温の交換だった
殺すことで一度死に投獄されて二度死にそれから処刑される
どんぐりというのは一種類ではないんだよという若い父の声が聞こえた
水よ、陽炎よ、揺れよ、燃えよ、雲よ
午前七時に集合して鉄道をいくつも乗り継ぐのだった
蛙たちにコーンフレークスは完全食品だと教える
見る見る暗くなる空で教会の廃墟が急成長した
時間とは感情の偏光が生む色の影にすぎない

掠れ書き22

高橋悠治

たいせつなのは構造ではなくプロセスか。しかし、20世紀音楽のさまざまな試みをふりかえり、そのなかで聞かれることのすくないものを聞き直したり、楽譜を拾い読みしたりするのは、分析のためとは言えないだろうし、ベケットやウィトゲンシュタイン、最近ではクラリセ・リスペクトルの小説をすこし読んだりするのも、方法や構造ではなく、分析やアフォリズムのように一般化された原則のみかけを追うのではなく、なにか一瞬掠めて過ぎるもの、そこから垣間見る何かわからない感じからうけとる気配がそのまま外に反射されるきっかけではないか。

ギリシア悲劇でも能舞台でも数人の歌と踊りから分離するモノローグや対話で野外のひろい空間をみたすことができたとは、どういうことだろう。1本のアウロス、または能管とすこしの打楽器があるだけで、近代オーケストラやエレクトロニクスもなく、仮面の裏から響く声はオペラ歌手のようなあからさまな自己顕示とは反対のように思えるし、近代劇場のなかで響き渡る音響は、野外ではかえって聞き取りにくい貧弱なノイズなのかもしれないとさえ想像できる。それにギリシア劇のテーマの一つが人間の思いあがりの招きよせる不幸とすれば、意味によって考えさせることばというよりは、ことばのリズムと舞う手足から伝わってくる遠い声が、その場に参加する人びとの共感のなかで身体に直接伝わってくるのは、物理的な音量というよりは、暦の循環する時間に刻まれた季節の徴と、心的空間の指向性のせいかもしれない。

作品としてできあがってしまったものも、もともとは可能性の予感と何かわからない力に押されて岸から離れて漕ぎつづけながら、離れれば離れるほど岸にもどろうとする舟のように、最初の一撃、創造の芽の瞬間を理解しようとして構成や形式の壁で囲み、方法やシステムで炎を掻き立てながら、弱ってくる火を消すまいとする。形式も方法も循環の抽象と定式化、構成と方法は理論化で、作品として完成したものはプロセスの痕跡、炎が表面から消えた燠火、構成の高揚感は舞い上がる灰、二日酔いの陶酔だとしたらどうなのか。全体の図式をととのえるために書き加えていく技術は、延命治療のように衰弱を長引かせるだろう。19世紀以来の量的拡大とそのための規格化は、とっくに組織化され産業化されて、マスメディアの鈍さが妨げとなっている。別な道はもっと身軽な少数派の実験がひらくかもしれないが、それが巨大化した全体組織に波及するまでには時間がかかりすぎる。

量的思考の足し算ではなく、解体と断片化の引き算の方向も現れてきた。そこにまだ残っている妨げはスタイルにあるのかもしれない。実験者のペルソナがつきまとって、作品の整合性と冗長性、それがかえって商品価値を保証しているように見える。羽毛のなかのえんどう豆のように、感触がさぐりあてるのはほんの一瞬、一点にすぎないのなら、何のための解体だろう。

モンタージュという方法が発見されたのも20世紀だった。連続性を断ち切るとで断片に鋭角をあたえるやりかた、こうもり傘とミシン、『春の祭典』のリズム的ペルソナ転換、『アンダルシアの犬』のカミソリと眼、それが機能になってしまい、1930年代の記念碑的新古典主義に埋没していったとき、ふくれあがったペルソナ、1%の法人が核となって99%の原子を惹きつける体制が再登場したのではなかったか。

古代劇場でのペルソナの転換の瞬間、おもいがけない出会いをきっかけとしたペリパテイアは1行のセリフに凝縮されている。夢幻能でもそうであるように、仮面をつけかえて再登場する声はここにあるが遠くからの響きのこだま。

書こうとしても、書きはじめると逸れていって、そこにはたどりつけない。文章に妨げられることばのなかの光。こうしてみると、連句と座はその後ふたたび定式化された美学と形式の殻を捨てて、連句でないものとしてよみがえるなら、ぼろぼろの穴だらけの、途切れ途切れの響きと色の、即興でない即興、作品でない作品、プロセスであるような未完の試みへのてがかりになるかもしれない。

孤立した原子ではなく関係の網目。微かな輪郭と薄い彩り。崩れない硬さを残して。潜在意識的音列による統一と支配ではなく、偶然のつくるパターンからのゆるやかなひろがり。音色としての音程。低音の安定のためでない浮遊する共鳴としての5度と4度、不協和でないずれとしての2度、調和でなく弱さとしての3度と6度、同一性としてではなく、それゆえに20世紀的アレルギーの対象でもない8度。和声的安定や対位法的な連続性をもたず、カオスの多層性によって裏側から秩序とのバランスをとるのではなく、穴のあいた網目をたどりながら移っていくつづれ織。

20世紀のさまざまな技法は、1980年代には学校で教えられるような標準的なものになってしまった。複雑な音楽にはどれくらい持続する生命力があるのか、ときどき疑っている。オリエント的音程の独特な明暗も規格化された西ヨーロッパ的微分音とはまったくちがう使いかたがある。西洋オーケストラの音色パレットは標準化されてぜいたくだが貧しい音色になってしまった。メロディーで情感をかきたてるのには適しているかもしれないが、それだけのために何十人も必要だろうか。特殊奏法や超絶技法は一度しか効かない薬品のようだ。くりかえし使われ、分量が増えていく。