イタリアでコロナ禍のニュースを読むと、国内の財源確保のための欧州議会との折衝を伝える記事が目につきます。自ら財貨を生み出す必要のある日本とは随分違います。政府もこれだけ財源を確保したから、国民もこれだけ協力して欲しいという構図でしょう。
これから何十年か後、日本のニュースも現在のイタリアと同じような見出しを伝えているかも知れません。どちらが良いのかも分かりませんし、来年の今頃、目の前にどんな光景を見出し、何を考えているか、見当もつきません。
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12月某日 ミラノ自宅
新感染者数23225人。ICUは19人減。陽性率は10.24%。死亡者数は993人。第一波の時ですら、これだけ大人数は亡くならなかった。大阪の知事が外出自粛要請。
12月某日 ミラノ自宅
聖マリアが聖アンナに宿ったとされるImmacolata祭日。
朝一人で歩きながら、ブソッティの詩による小品を考える。原倫太郎さんのマリンバ卓球で遊ぶ若い男性の姿が、ブソッティの獣的同性愛の言葉と、どう象徴的に絡められるか。自分がどう介在できるか。朧気ながら浮かびあがってくる。それはセピア色の哀愁に満ちた情景のようでもあり、橙色に燃える夕焼けの逆光に、どこまでも長く伸びる黒い影のようにも見える。
レプーブリカを買うと、昨日のスカラ座初日代替演奏会について、大きく紙面が割かれていた。MS曰く、歌手は素晴らしかったが、それ以外言うことはないと手厳しい。最後、ウィリアムテルで、ミラノ・ガレリアの空撮風景まで出てきて彼女は我慢ならなかったそうだが、個人的には現在の世情と準備期間、リハーサル時間を鑑みても、とても考えられた演出だと思ったし、特に最後のロッシーニは心に染みた。オペラ畑で暮らす人間にとって、スカラ初日が大衆迎合するのは耐えられないのかも知れない。
正直に言えば、番組終了後、思わず少し心が沈んだ。毎年このイヴェントを目指して、スカラ座関係者たちは準備に余念なかった。息子たちが「蝶々夫人」をやった時、どう転んでも現在のような姿は想像できなかった。
新感染者数14842人で陽性率は9.9%に減少。死者は634人。この日常に於いて、音楽で何が出来るのか。
12月某日 ミラノ自宅
日がな一日、階下で息子が三度の練習曲をさらっている。
朝は生徒たちが送ってきたヴィデオに助言を書き、小品作曲。超現実的な毎日のなか、明るく、意欲を失わない若者の姿に心を打たれる。
新感染者数13720人で、陽性率は12.3%まで上昇してしまった。死者は528人。日々の夜の帳に浮かび上がる、無数の無言の人間の姿。
12月某日 ミラノ自宅
息子は年末の一人暮らしが愉しみなのか、朝起きてくるといそいそ我々の朝食の支度などしている。
家人と「ジョルジア」まで歩いて、チョコレートと洋梨のパネットーネを購う。イタリアに住んで25年、パネットーネは単にミラノのクリスマスケーキという認識でしかなかったが、「ジョルジア」のパネットーネは、愕くほど柔らかく、美味。
新感染者数は18887人。陽性率は11.54%で、564人死亡との発表。
生徒が何時から学校に戻れるようになるのか気が気ではなくて、思わず、毎日夕刻保健省の感染状況発表を確認する。朝10時から夜20時30分まで、遠隔授業。
12月某日 ミラノ自宅
学長より緊急連絡あり。14日より指揮の対面レッスン再開決断とのこと。日本に帰国前に些少でもレッスンを再開できるのは嬉しく、深謝。
陽性率が10.7%で、新感染者は21052人。死亡者は662人。そんな毎日のなか、対面レッスンをする意味を改めて考える。それに値する内容を伝える責任が、教える側にも生ずる。
早急に2回分の補講を手配し、帰国前に計4回レッスンを入れる。
耳の訓練の授業は、随分迷った末、今月は遠隔授業続行と決めた。歌う機会が多い集団授業だから、やはり今は危険だと思う。学生たちから、どうしても対面授業できませんかと連絡が届き、心が痛む。
12月某日 ミラノ自宅
山根さんより、ズームでインタビューを受ける。自分の裡は、湧きたつ音もなく干乾びているから、自分の外にある音を聴く。繰返しへの恐怖は何だろう。同じ事象の繰り返しに薄い罪悪感を感じるのは何故か。ドナトーニの影響かも知れない。彼は生前から非対称を愛していて、未来を規定するのも不可能だし、同じ物体や事象など存在し得るのか、もし存在しないのなら、自然の摂理に反していないか。そんな話を彼とした記憶が、ぼんやり残っている。「自画像には国歌以外の部分も沢山あるのですね」と言われたのが新鮮。
12月某日 ミラノ自宅
耳の訓練を遠隔授業をして気づいたこと、備忘録。
音を聴く時は耳を使わず、目で音を判断、理解し、感じる。
前頭葉あたりで音を聴く感触があれば、それをそのまま視覚を通し、身体の外、目の前に投影させる。後頭葉、自分の頭の深部へ音を回さないこと。後頭部の音を聴く瞬間、外部で響いている音は聴こえない。
遠隔授業のお陰で、指示がとても具体的になった。
音が聴こえないとこぼす生徒には、自らの指で、鼻先や喉、下唇やオデコを触らせ、そこに現れる音を知覚し、視覚化するよう言う。その際、脳を通さず、直接知覚した感覚を発声させる。
頭で聴こえる音を聴かない訓練。頭で音を鳴らさない訓練。
最近では、授業の時の自問自答さえ止めさせている。音は後頭部奥底で別の音にすげ変わるようだし、自らの分身が間違った答えを悪魔のように囁くからだ。
あくまで自身の意識で、眼前の空間に投影された音符を操作し、論理的に分析し思考して音を理解する。
すると、ズームを使った授業ですら、誰もが音が感じられるようになる。
実際は、聴こえないと思い込んでいた音が聴こえるだけの話なのだが、自分がこんな風に音を聴けるのかと実感すると、難易度を上げても面白いようについて来る。
同時に、聴こえない自分を責める必要がないよう、自らの裡の「Alter Ego maligno、性悪の分身」に責任をなすりつけ、楽観的に音と対峙できるように心がけている。
聴こえている音を、この分身が邪魔して聴こえないようにしている。知覚する回路を堰止めてしまうから、その辺りに神経を通さない、等と怪しげな文句を言っているうち、聴こえない音を聴くために身体を固くしていた生徒たちの身体が少しずつ緩み、すっと音が見えるようになるのは面白い。
聴こえないのは自分が悪いと思うだけで、聴こえる音も聴こえなくなる。まるで催眠術のようだ。実際聴こえているのに、気が付かないだけなのだから。
緊張すると簡単な音程すら判別できなくなる学生たちが、最後はピアノの鍵盤最高音部の和音聴音もできるようになった。音を聴くために具体的な指示が出せれば、指揮のレッスンにも活かせるに違いない。
新感染者数12030人で陽性率は11.6%。491人死亡との発表。
12月某日 ミラノ自宅
朝7時くらいに家人と散歩に出る。帰ってくると胡桃を4,5個割り、庭の樹の下に置いてやるのが習慣になった。
毎朝8時過ぎ、左の幹の中程にある、嵐で枝がもげて出来た洞(うろ)からリスが顔を出す。リスは胡桃の所在を確認すると、いそいそと胡桃のところへ降りてくる。リスが庭に巣を作っているとは想像もしなかったが、番いで棲みつき、一匹子供までいると知ったときは、目を疑った。
時々、お世辞にも可愛らしさと似合わない、アヒルのような声で啼いたりして、樹から樹へ愉しそうに駆け回る姿は愛らしい。昼過ぎになると腹が減るのか、ベランダ近くまでやってきて、こちらを凝視する。馴れるのも良くないと放っておくが、根負けして数個の胡桃をやったりもする。先日は遠くでこちらを見つけると、一目散で駆け寄ってきた。可愛いが、これ以上近づかない方が互いのためだろう。
週末の早朝、息子を国立音楽院に送った帰りに目にした、聖ソフィア通りを横切る路面電車の側面に貼られた、大きな広告。
「Torneremo ad abbracciarciもうすぐ、きっとまた抱きしめられるようになる」。
病気で死の床にある老チンパンジーが、旧知の動物学者と再会し、満面の笑顔を浮かべて、彼を抱擁する動画を見た。
スキンシップが古来、動物のDNAの奥底に刻み込まれた欲求だとすれば、日本人が対人距離を取るのは、理由があるかもしれない。イタリアにいるとそう感じる。
遠い昔、既に日本列島は凄惨な疫禍に見舞われていて、現在の日本人がその数少ない生残りの末裔だと考えれば、生活習慣はもとより、「疫病神」「縁がちょ」のような穢れの偏執にも納得がゆく。
日本人は子供の頃から穢れの概念と暮らす。イタリアの子供が「お前はバイ菌」と友達を苛めた話は聞かない。日本人は、既に進化した人間の姿なのかもしれない。
昨日からミラノはイエローゾーンとなり、久しぶりに喫茶店でコーヒーが飲めるようになった。店主の笑顔が嬉しい。
12月某日 ミラノ自宅
何重もの免疫機構を乗越え、ウィルスが身体に病巣を形成し、腫瘍やら炎症が起こすとき、先ずは身体の自然治癒力が働くに違いない。体力があればそれだけで完治するかもしれない。併し、短期間に身体中に病巣が拡大し体力や気力を奪えば、次第に体力も弱まり、息絶える可能性もあるだろう。
Covidやパンデミックが怖いのは、身体の細胞のように、地球のフラクタル構造の底辺にいる我々から、戦う気力を奪ってゆくからだ。最初の流行より、第二波、第三波の精神的損傷はずっと根が深いと思う。イギリスで変異種確認。オランダはイギリスからの航空便を休止決定。
新感染者数16308人で陽性率は9.2%。553人死亡。
12月某日 ミラノ自宅
オランダ、イギリス間の航空便閉鎖の翌日、イタリアも英国便閉鎖を発表。ロンドン経由で予約していた家人の帰国便も運航停止となり、パリ経由便の予約確定まで、学校でレッスン中も彼女は気もそぞろ。
イタリアは、クリスマス新年の休暇期間の移動を制限するため、全国的にレッドゾーンになる。明日まで就労、学業目的の移動は認められているはずだが、首相令の解釈にも幅があり、学生たちもそれぞれとても心配しながら、列車でミラノまでやって来る。中央駅など目ぼしい主要駅では警察が細かく自己申告書を確認していて、こちらも気が気ではない。
ジェノヴァから通うマルティーナからは、学業目的では不安で、就労目的と自己申告するので、もし警察から確認連絡があったら話を合わせて欲しい、と連絡があった。
レッスンを終えてトリノに帰るダヴィデは、行きはよいよい帰りは怖い、無事に家に辿り着けるよう祈っていてください、と笑って教室を出て行った。
誰も正確な事情はよく分からないし、学校に確認しても分からないと言う。目まぐるしく状況が変化する中、誰もが断定的な助言を避ける。
権利だったはずの学習すら、立ちはだかるパンデミックを前に風前の灯であって、学生たちはそれぞれ必死に勉強して、明後日からの移動制限を前に帰省する人いきれに揉まれながら、緊張した面持ちで学校までやって来る。
聞き切れないほどの曲を用意して来ていて、出来るだけ彼らの情熱に応えようと務めている。
日本から戻って自主待機の終わる2月、無事レッスンが再開できる保証はどこにもない。口には出さないが、誰もがその恐れは感じているから、一分でも惜しんで今言えることを伝え切らなければいけない。
一年間かけて、どの順序で何を準備し、どう学生を導くか。今までのような計画的なレッスン体系は、今日、机上の空論に近い。
ベートーヴェンで全体構造を、シューベルトで和声構造を、そしてブラームスやドビュッシーでそれらの統合を学び、モーツァルト、ハイドンでそれぞれが本質について考える。それから、という流れで教えることは、現在の情況では不可能だ。
寧ろ、まとめて学校でレッスン出来る時に、ロマン派をやらせることにし、最初のバルトークのミクロコスモスが終わると、無理してでも「兵士の物語」を始め、モーツァルトを同時に読み始めることにした。
メトロノームで練習しながら、どれだけ音楽的にフレーズを作れるかを学ぶ意味で、古典とストラヴィンスキーは明らかな親和性がある。
何年も前から、作曲科生の耳の訓練クラスで教えてきて、今年から指揮を始めたフェデリコが、ピアチェンツァ近郊の出身なのは知っていたが、イタリアで最初のCovid感染爆発が発見されたコドーニョ出身とは理解していなかった。
彼は祖父の代からの教会つきオルガン奏者で、レッスンにも祖父の使っていた、初めてみる鼠色の1945年リコルディ版「子供の情景」を持ってきた。
表紙には「Scene fanciullesiche」と、奥ゆかしい伊訳が印刷されていて、時代を感じさせる。校訂者のレンツォ・ロレンツォ―ニは、ナポリ音楽院でマルトゥッチの薫陶を受け、後年は教育者としてミラノ音楽院で、ガヴァッツェーニやマルチェロ・アッバードを育てている。
夏まで葬儀が禁止されていたので、春の第一波で斃れた故人たちの告別ミサのため、夏の間、少なくとも30回はオルガンを弾いたそうだ。
柩は既に埋葬されているから、亡骸はないまま、遺族がミサで故人の平安を祈った。Covid前に最後に学校で会った時のあどけなさの残る少年の顔から、一気に精悍になったと感じていた。
「コドーニョは感染爆発後、直ぐに街が封鎖されたので、最初に沢山人が亡くなって以降は、感染の広がる周囲からも隔離され、或る意味とても安全でした。それに比べれば、ベルガモは経済界の圧力で最後まで都市封鎖出来なずに悲劇をもたらしましたが、あのような地獄はコドーニョには訪れませんでした。それが不幸中の幸いです」。
そう言って、この後すぐに家に帰って作曲の遠隔レッスンです、と慌てて自転車でサンクリスト―フォロ駅へ走っていった。
夜、階下で家人と息子が、レスピーギの「Natale Natale(クリスマス、クリスマス)」連弾を録音している。クリスマス、山を下りた牧童の葦笛の向こうで、大小さまざまの鐘の音が温かく鳴っている。街の教会や、丘向こうの古いロマネスク教会の小さな鐘楼から、さざめくように響いてくる。
昨日の東京新感染者数は888人。アデス入国は不可能との連絡。
12月某日 ミラノ自宅
ここ暫く家人と散歩していた道を、久しぶりに一人で歩く。Covidで、日本との往来がすっかり困難になったので、秋から昨日まで殆ど毎日欠かさず二人で歩いた。そんなことは結婚来初めての経験だった。
毎朝、歩きながら息子の話などしていたが、思い返せば、そんな時間も結婚来初めてだったと気づく。親の子離れも子供の親離れも目前に迫っている。寂しいような、頼もしいような、味わったことのない不思議な感情。
母親だから、家人はより強くそう感じるかもしれないし、余り大差はないかもしれない。
自分の両親も世界中の家族も、ひいては世界中の動物だって、それぞれ似たような感情を抱きながら、子供の成長を認めているに違いない。所詮、我々人間も動物以上でも以下でもない。
シルヴァーノとロッコに贈った小品を、彼らはとても喜んでくれた。なんて素敵なクリスマスプレゼントだろうと便りを貰う。すぐ近くに住んでいるのに、もう長いこと会っていない。
サンドロに家人のCDを届けに行く。サンドロがCovid感染後、初めての再会だった。2階の窓から顔を出して、嬉しそうにこちらに手を振り、「折角だから上がってきて、一緒にワイン一杯くらい呷っていきなよ。漸く快復したよ。ほらこの通り、ピンピンしている」。
ほんのり顔に赤みがさしていて、クリスマスの昼餐、子供や孫に囲まれ余程嬉しかったに違いない。
イギリスで南アフリカ由来の新変異種発見。ドイツでもイタリアでもイギリスの変異種感染確認のニュース。サンマリノがイタリアとの国境一時閉鎖。イタリアで最初の接種用ワクチン9750本が、警察の警護付きでローマのスパランツァーニ病院へ届く。
新感染者数は19037人。陽性率は12.5%に急増。459人死亡。Rt値はモイーゼ州以外1以下のまま。
12月某日 ミラノ自宅
晴れ渡り、無音で澄み切った朝、並んで庭を眺めながら朝食を摂っていると、「今日は救急車の音が少ないね」と息子が呟いた。
救急車だけではない。空を駆ける飛行機の音も殆ど聴こえなくなった。
日本政府、外国人入国禁止を発表。イタリアからの日本入国に際しCovid検査の陰性証明提出が必要になった、と夜半の領事館からのメールで知る。
年末の休暇期間のそれも週末、どこで検査が受けられるのか、血眼になってインターネットで探す。
ロンドン経由便は運休になり、ヘルシンキ経由便も減便で週に数えるほどしか飛ばない。パリ経由便は、パリ空港の乗継に16時間から24時間かかると言うではないか。信じられない。何という時代になったのか。
東京の新感染者数949人、全国で3881人。死亡者数47人。
イタリアの新感染者数は10407人で、陽性率は12.8%。死亡者数は261人。
12月某日 ミラノ自宅
朝起きると、東京に一足先に戻っている家人からフランクフルト経由便に変更するよう電話がかかる。明日なら便が飛んでいるし、乗継も大分短縮できるそうだ。日本政府が外国人入国拒否を発表したので空席が出たのかも知れない。昼過ぎリナーテ空港脇の検査場に一時間ほど並びCovid検査。陰性。
自分の仕事などする余裕は皆無。
日本新感染者数2941人。死亡者数40人。イタリア新感染者数8913人。陽性率は14.88%に上昇。死亡者は298人。
12月某日 三軒茶屋自宅
朝4時起床。5時に呼んでいたタクシーに乗り、リナーテ空港へ向かう。辺り一面深い雪景色に覆われていて、こんな早朝では未だ道路の除雪もされておらず、吹雪の中、空港まで徐行する。
イギリスの変異種発表により、この数日で世界の航空事情は大きく変化した。Covid検査義務も刻一刻と変化していて、空港職員も乗客も混乱している。まだ朝の6時前だと言うのに、空港職員たちは各国の領事館や大使館にその都度電話して確認を取っている。大変な作業だ。
チェックインに時間がかかり、飛行機に乗込んだのは離陸予定時刻を30分ほど過ぎてからだった。吹雪の中、がらんとした夜明け前の空港で、大型の除雪車が、滑走路の整備に走り回っていた。ただ、幾ら雪を掻いても、吹き付ける雪の方がよほど多くて、すぐに覆われてしまう。視界は酷く悪かった。朝7時過ぎに機体に乗込むと、既に翼を覆う雪の厚さは20センチに達していた。
飛行機の氷雪の融氷、防氷作業も一度では足りず、二度ほど繰返された。機内で3時間待機し、悪天候で空港閉鎖かと思っていると、突然、機長から離陸許可が出たとアナウンスがあり、そのまま慌ただしく出発した。
フランクフルトまではほぼ満席だったが、フランクフルトから羽田までは前回夏に帰国した時より、心なしか人の多い印象を受けた。
羽田空港検疫で唾液検査。こちらは前回夏に帰国よりずっと厳しく、検査結果が出るまで2時間近くかかった。入国者全員にやっているのだろうから、検疫官もさぞ大変だろう。コロナ禍以前からは想像もできない新らしい日常を垣間見る。
12月某日 三軒茶屋自宅
日野原さんに教えてもらいながら、松平夫妻、安江さんとブッソッティ「肉の断片」を読む。ズームごしのみなさんはお元気そうだ。
一見すると極度に密集した楽譜のようだが、読み下してゆくと、ちょうどブッソッティの仕事部屋のように、ごてごてした調度品に囲まれた、整然とした空間が浮かび上がる。
日本の新感染者数4520人。そのうち東京都の新感染者数1337人で東京都昨日の陽性率は10.2%。死亡者49人。イタリアの新感染者数23477人で陽性率は12.6%。死亡者は555人。どちらも状況は急激に悪化している。
12月31日 三軒茶屋にて