風が吹く理由(8)ピントリング

長谷部千彩

秋晴れの日曜日、T公園を訪れた。コーヒーとサンドウィッチを買い、お昼を外で食べることにしたのだ。芝の上に敷物を広げ、その上に腰を下ろすと、地面はひんやりしていたけれど、陽射しは暖かく、汗ばむほどだった。木々は、黄葉を始めている。赤い葉をつけた木もところどころにある。卵とレタスとチキンのサンドウィッチはひとつひとつが大きくて、美味しかったけれど三つ入っているパックのうち、私はひとつ残した。ここ数年で食が細くなったと思う。
この公園には子供の頃、何度か訪れたことがある。私の記憶では、昔はもう少し寂しい公園だったような気がするけれど、随分整備されたみたい、と言うと、案内してくれた彼は、それほど変わっていないのではないか、と言った。いずれにせよ、広々とした芝生の面積といい、禁止事項ばかりのいまどきの公園とは違い、子供たちがボールを追って自由に駆け回り、私たち以外にもピクニックを楽しむ人が何組もいて、遠くから聴こえるかしましいポップミュージックにさえ耳を塞げば、まるでヨーロッパの公園のようだった。

移動の多い数週間を終え、東京に戻った私が家で仕事をしていると、母から電話がかかってきた。最近、どうしているの?という問いに、先週、訪れた香港でのデモのこと、近々発売される雑誌に寄稿したこと、ベランダに咲いている花のことなどを話し、最後に、私は「T公園に行ったよ」と付け加えた。「T公園、綺麗になってたでしょ」と母は言った。やはりT公園は整備されて綺麗になっていたのだ―私は自分の記憶の正しさを確かめ、心の中で手を叩いた。
それから、母は、その公園へ、母の姉と姉の夫(母の義兄)と一緒に行き、三人でお弁当を食べたことを話し出した。「あそこは花が綺麗だから」という母の言葉に、私は、公園でサンドウィッチを食べている時、「ここは桜が有名なんですよ」と聞かされたことを思い出し、「T公園、桜が綺麗なんでしょ」と言うと、母は「そう、桜を観に行ったのよ」と答えた。そして、ぽつりとつぶやいた。
「みんな死んでしまうわね」
私は「うん」と頷いた。母が、「死んだことは他の人に言えても、どう死んだかは可哀相で言えない」と言った。私もしんみりした気持ちで「そうだね」と相槌を打った。

電話を切ると、突然涙が流れ出し、止まらなくなった。どうして人生の終わりにあんな悲しい目に合わなければならないのだろう。そう思うと、叔母が可哀相で可哀相で仕方がなかった。彼女は、火の手があがったことに先に気づき、玄関まで逃げていたのに、二階に寝ていた夫が降りてくるのを待ってそこに留まり、夫が家の外に逃れたのを見届けた後、何かを取りに部屋に戻って、そこで煙に巻かれて命を落とした。この夏のことだ。
彼女の唐突な死を知らされた時、私はそのことが信じられなくて、信じられないから涙は一滴も出なかった。そして、浮かべる表情に困り、「そんなの信じられないよ」と言って微笑んだのだった。
それなのに、なぜ、いまは信じられるのだろう。なぜ、いまになって不在の重量を感じるのだろう。
祖母が死んだときも、そうだった。知らせを受けた時、通夜、告別式、私はひどく興奮して、新幹線の時間を調べ、ホテルを予約し、喪服の準備、香典の用意、と、普段の何倍もテキパキとそれらをこなした。さらに、通夜の場で、叔父から翌日の弔辞を頼まれた妹のために、すぐさまさらさらと原稿を書きあげ、「これ読めば大丈夫だから」と言って手渡したのだった。そして、その時も、三週間後、突然涙が流れだし、数日間、泣き通した。

なぜ私はいつも死をすぐに実感出来ないのだろう。悲しいという気持ち、泣くという行為、それらが何週間も後に起こるのだろう。
楽しいことなら簡単なのに、悲しいことには、なかなかピントが合わない。私はもどかしい思いでレンズのリングを左右に回す。
私はいつも時間がかかる。それは遅れてやってくる。
私がサンドウィッチを食べたT公園。秋晴れではなく、春の日。葉は緑。花は桜。
叔母と叔父と母はどこでお弁当を食べたのだろう。芝の上?それとも芝を囲むベンチ?
母が言いそうなこと、叔母の言いそうなこと、叔父の言いそうなことは想像がつく。
頭の中でそれらの言葉を並べて三人に喋らせてみる。三人は笑っている。楽しそう。元気そう。
だけどいまはっきりしていることがある。
ひとりはもういない。
もう死んだ。
ピントは合っている。
ピントは合って、私は泣いている。