長い道のり

小泉英政

和解を終えて

本日、「小泉よねの補償に関する合意書」に署名をいたしました。合意書3条においてこの補償が「よねの土地・家屋等の財産権のみならず、空港建設がなかった場合によねが生涯にわたって三里塚の地において農民として送ったであろう生活に配慮し、その生活を補償するとの考えに基づいたものであることを確認する」と記載されています。よねさんの生活権補償が明確に認められました。代執行から43年、緊急裁決取消訴訟を提訴してから35年、長い道のりでした。それで晴れ晴れとした心境かと言えば、違います。一言で言いますと、とても複雑な心境です。理由は二つあります。

一つ目は、本日合意したこの補償は、43年間も放置され続けたが故に、もたらされたものだからです。千葉県収用委員会が遅滞なく補償裁決をしていれば、起こり得なかったことです。

二つ目は、現地では今でも、市東さんの農地の問題、熱田派の建造物撤去の問題等で、強権的な手法がとられています。よねさんの問題では謝罪を重ねていますが、空港建設を進める側の体質が根本的に変わったわけではない、使い分けがなされている。そういう状況下での和解だからです。

しかし、私達は、和解を決めました。それは、長い年月をかけて争ってきた訴訟の延長線上にあり、その到達点だからです。こちらが、こういう問題があると投げかけ、それに対し、相手がそれに向き合い何とかしたいという態度を示した場合、断る訳にはいきません。政治的な取り引きを介在させず、小泉よね問題を解決させる、そのことに真摯に向き合ってきた結果だからです。問題は一つずつ解決するしかない、現実的な対処法も必要だと判断しました。評価する点は評価し、批判する点は批判する。何もかも一緒くたにすると、担当した人々の努力が報われません。

願わくば、今日の和解を踏まえて、現地での対応を考え直していただきたい。そして二度と、公共事業においてよねさんに襲いかかったような強権発動の手段を用いず、住民との話し合いに徹してほしいと思います。沖縄の辺野古においても、そうです。国の下に国民が従うのではなく、主権在民が基本です。

私達は、この問題の直接交渉を進めるにあたって、当初から考えていたことがあります。それは相手が非を認め、生活権補償が認められれば、それは受けとり、何らかの形で社会に還元するということでした。それが複雑な心境の中にあって唯一の救いです。

今日、そのことが実現し、この席に「よねさんからの寄金」を受けていただくことになった方々が、多忙な中、足を運んでくださり、一緒に会見にのぞんでいただけるとは、私達は、想像もしていませんでした。日々の活動が大変な中、時間をさいていただいて、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。でも、こうして「よねさんからの寄金」を生かしていただける方々にお会いできて、そのことは、よねさんもきっと喜んでくれるのではないかと思います。

よねさんの魂は、東峰の墓地に宿っています。土葬のよねさん、もうその形はすっかり無いのではないかと、人は言います。しかし、よねさんはそこに生きている、今日という日を生んだのは、まさによねさんだからです。

私達は今後とも、よねさんの魂とともに、東峰の地に生き続けます。最後に、35年間という長い期間において、小泉よね問題に取り組んでいただいた前田裕司弁護士、大谷恭子弁護士、そして今回の交渉から新たに加わっていただいた木本茂樹弁護士にたいして厚く御礼を申し上げたいと思います。また、2001年の最高裁での和解に関わっていただいてから、一貫して、小泉よね問題の解決のために尽力して下さった行方正幸(成田空港株式会社地域共生部)氏に感謝申し上げたいと思います。

2015年5月21日

小泉英政

「よねさんからの寄金」送り届け先リスト

* 辺野古ヘリ基地反対協議会
* 辺野古寄金
* 被災地障がい者支援センターふくしま
* 未来の福島こども寄金
* 一般社団法人 ふくしま市民発電
* 難民支援協会
* 原子力資料情報室
* 社団法人 ラジオアクセスフォーラム
* 「三里塚に生きる」制作委員会
* (検討中)1件

付記
補償額については、空港会社との間で、お互いに公表しないことにしています。
補償額の約8割が、「よねさんからの寄金」として使用されます。各団体にいくらの寄金がよせられたかは、公表されません。
残り2割は、弁護士料、よねさんの碑建立費用、その他経費となります。

以上