犬狼詩集

管啓次郎

  49

くろぐろと濡れた大きな折れ枝に
貼りついた白い花びら
そんな風にエズラのように人々の顔を見て
いつも怯えた気持ちでいた日々があった
そのころは街がなんだか薄暗かった
いま、白く発光する路面に下から照明されて
無表情な人々の顔はどれも眩く明るい
見つめようとしても果たせない
ぼくには能動的な視線がなく
受光器にすぎない眼球のまなざしなんか
洪水のような光に絶えず弾かれる
かぶと虫のあのつぶらな目はいったい何を見ているのか
それでも心は翻訳された光のように明朗で
魂のように飛び交う光の顔たちを避けながら
この都市を森の道をゆくように歩くのだ
ここは際立った暗さの巨大な森林

  50

いくつもの扉がつづく長い通路で
扉を通るたびにボブとイネスが入れ替わる
ボブは兄、イネスは妹
ぼくはその交替を陶然と眺めている
ふたりはふたごのようによく似ている
それどころかふたりはおなじ顔をしている
ぼくとボブは銀玉の拳銃で
ロシアン・ルーレットをやって遊んだ
ぼくとイネスはヴィーニャ・デル・マールの海岸で
海亀の卵を探して遊んだ
その日々が終わり、ぼくらは遠く離ればなれになって
ただイメージの長い通路を歩いてゆく互いの姿を見るだけ
その床はしずかな水面、映る太陽はまだらの光
熱を失ってそのように弱々しく
でも扉を開くたび過去の光が訪れる
その音さえ聞こえる気がすることもある