Francisco Pulgar Vidal追悼文/想い出

笹久保伸

彼はペルーの作曲家だった Pulgar Vidalの一家は社会的に有名な人が多いのでペルー人なら誰でも知っているくらい有名な一族だ この一族は政治家〜作家〜詩人〜音楽家まで かなり幅広い

彼を直接知ったのは故・Edgar Valcarcelからの紹介で EdgarとFrancisco(通称Paco)と一緒に食事をした (もしくはEdgarの愛人の家で会ったのが最初だったか)

EdgarとPacoは古い友人で、いつも会って酒を飲んでいた レストランでPacoは一番安いコーラを注文するのだが、ポケットからラムを出してコーラに入れて飲んでいた アレキーパ料理の店に行った時は、服の内ポケットからワインの瓶を出して 酒を持ってレストランで食事していた (これがまた、店に気まずかった) 病気で大変な時も「ロン(ラム)が飲みたい」と言っていた

彼らの会話は時に知的で時にくだらないジョークを言い合って悪ふざけをしていた  彼らの昔話し(Edgarが国立音楽院の院長だった時に、仲良くなった生徒に適当に卒業証書やディプロマをあげてしまい問題になり、学校を追放された話や、ペルー友人の作曲家Armando Guevara Ochoaの家の玄関の隙間から譜面がパラパラとこぼれ落ちて来る話や、ルイジ・ノーノと会ったときの話など)をコミカルに聞かせてくれた

70歳を過ぎてもあれだけのボヘミオで、ルーズで、いつも飲んだくれて、まるで子供がふざけているかのように・・・ あんな人はいない もし70歳まで生きれるなら ああなりたい

いつも家に一緒にいるからこの人が奥さんだ と思っていた人が 愛人だったと言うのはEdgarとも共通していて ペルー的でいい 彼のミサに行った人の話では ミサでは法律上の奥さんが喋っていたらしいが、その人には会った事がない Edgarの時も同じだ

Edgarは現代音楽祭で表彰されたとたんに死んでしまった
Pacoは表彰されて1年で死んでしまった

Pacoは若い頃 前衛的な作品を書いていたが わりとすぐに調性音楽に戻ったようだ 若い頃の作品についてはよく知らない ギター曲も1曲だけ書いてもらったので それがある ペルーの音楽祭でその曲を初演したが その時彼は脳卒中で倒れていて聴きに来る事ができなかった でも本番前には彼の家に行って 打ち合わせやリハーサルをした 彼はベットで寝ながら聴いてくれて、アドバイスしてくれた そして たまに本当に寝ていた

コンサートでの演奏後にはDVDを持って彼の家に行き、一緒に見た だいぶ回復したから、一安心かな、と思っていたのだが それが2010年の事だ

PacoとEdgarと会話をしたい あんな大人になりたい