仙台ネイティブのつぶやき(19)お椀の向こう

西大立目祥子

 大根、にんじん、ネギ、ゴボウ…手近な野菜をコトコト煮て、水溶きした小麦粉のだんごを浮かべる「だんご汁」。福島県の中通り、東和町(現在は二本松市)で教わった郷土料理だ。味噌で仕立てた具だくさんの汁に食べごたえのある団子がごろごろと入っていて、からだは温まるし何よりおなかがいっぱいになる。

 小麦のだんごを手でちぎったり、スプーンですくって落としたりする料理は全国にあるようだ。「すいとん」というのが、一般的な呼び名だろう。宮城から岩手にかけての旧仙台領では、「はっと」とよばれる。

 仙台でよく耳にするのは、戦時中から戦後にかけて食べられた「すいとん」。食糧難の時代につくられた汁物は、えらくまずかったらしい。「だんごが喉を通らないのよ」という話を年配の人に何度も聞かされた。小麦ふすまの入ったざらざらした舌ざわりのだんごが、野菜もそう入らず味のないような汁に浮かんでいる代物だったのだろう。

 小麦粉のだんごが浮かんでいるスープとひと口にいっても、味もイメージも実にさまざま。お椀の向こうの風景は異なる。

 おなかも気持ちも満たしてくれる東和町のだんご汁は、もっぱら夕食に食べられた。それは、暗くなるまで田畑で働き、家の中では昼夜を問わず蚕の世話に明け暮れる主婦たちが、手間ひまかけずに仕事の手を動かしながら用意する晩ごはん。火にかけた鍋に台所にある野菜をざくざくと切って入れ、自家製味噌で味付けし、家族が集まったところで、練った小麦粉を落とし火が通るのを待ってふうふういいながら食べる。だんご汁をつくる講座で講師を務めてくださった70代の女性は、「そのときある野菜を全部使って具だくさんにするの。カボチャを入れるととろとろ溶けて、これもまたおいしいしの」と笑顔になった。その表情から、家族みんなで囲む食卓の風景が目に浮かんできた。

 夕食にだんご汁が出されたのは、夜はごはんを炊かないからだ。つまりだんご汁は、主食と副食をかねた一品なのである。いっしょに講座に参加していた地元の年配の男性が、こう話す。「東和は山間地で水田が少ないから売れる米は貴重でね、手元にわずかに残す自家米と麦を組み合わせて食生活を成り立たせていたんですよ」
だんご汁は、貴重な米を食べつなぐためにつくられる料理でもあったのだ。

 たしかに福島県の東部に連なる阿武隈山地は、尾根と谷が複雑に入り組んで、平らな広い水田を開くことは難しい。谷筋に小さな棚を積み重ねるようにしか水田を持てなかったのだから、おのずと米は換金のための大切な作物となった。その代わり、麦は小麦も大麦も栽培してよく食べていたようだ。

 小麦は近くの製粉所で粉にして、お茶箱のような木の箱に蓄えておき、升で必要な分を計って使った。だんご汁のほか、うどんを打ったり、製粉所にたのんで乾麺にしたり、重曹を入れて蒸し器で蒸しパンをつくったり、砂糖や重曹を加えて油を引いたフライパンで粉焼きをつくったりした。一方、大麦はまとめて煮ておき、ごはんを炊くときに混ぜ込んだ。

 東北といえば米と思われがちだけれど、昭和30年代ごろまでは、米を主軸にしながら大麦と小麦、これに大豆を組み合わせる穀物の栽培は、東北に広くみられた生産の仕方だ。春に田植えし秋に刈る米づくりの作業と、秋に種をまき翌年の夏に収穫する麦の作業が重ならないように工夫され、その作業の合間をぬって麦の裏作として大豆づくりが行われていた。大豆もまた、味噌にしたり豆腐にしたり納豆にしたり、自給自足に近い農家の暮らしには欠かせない作物だった。

 とはいっても、いまはもうどこにでも大きなスーパーとコンビニがある時代だから、だんご汁をひんぱんに食卓にのせたり、味噌を仕込むという人は少なくなっている。だが、舌が覚えた味はそう簡単に忘れられるものではないというもの、またたしかなことなのだ。

 講師を務めてくれた女性は、いまも自家製大豆を使ってミキサーで豆腐を手づくりする。「いまもよくつくるの?」とたずねたら「だって、うまいもの」と即答。ことばどおり、あたたかなできたて豆腐は甘くおいしかった。もう一人、味噌づくりを教えてくれた男性は、味噌の仕込みが終わると「どれ、うどんごちそうすっか?」と、どこからか大きな板を持ち出してきてあっという間にうどんを打ち、庭先のかまどで茹でてふるまってくれた。これだけうまいもんは、やめられないよ。その表情からそんな思いが伝わってくる。

 小麦粉を使った料理として、もう一つ名前が上がったのが「ぶすまんじゅう」。えっ、何その聞きづてならない名前は…ということになり、にわかに小麦粉を練ってつくり方を教わる。重曹と砂糖を入れた生地に角切りにしたカボチャを入れて蒸すお菓子は、しっとりとしてほんのり甘くどこかなつかしい味だった。おやつによくつくられたという。

 「箸をぶすぶす刺して蒸し加減をみるから、きっとこの名前なんだよ」「いや、見た目じゃないの」…講座に参加した若い世代が盛り上がって試食する姿を見ていると、この土地に根ざしこの風景を眺めて暮らし続ける人が、決して忘れない味というものがあるような気がしてくる。忘れられているように見えて、思い出す機会があれば、その味はよみがえるのではないのだろうか。お椀の向こうの風景とともに。