北の国から

大野晋

久しぶりに北海道へ旅行した。春先の北海道はお世辞にも旅行に最適な季節とは言えない。それでも行くのは、札幌交響楽団のチケットをうっかり取ってしまったという事情による。チェコの’遅れてきた’巨匠リュドミル・エリシュカによるドヴォルザークツィクルスの今回は8番の演奏会。少し古いクラシックファンには「イギリス」という愛称で知られている。チェコのドヴォルザーク協会の会長でもあるエリシュカは1番から4番までは習作だと言っているらしいから、おそらく今回の演奏会でツィクルスも打ち止めになるはずだ。
そんな事情から、今回は無理してまだ寒い北海道にはせ参じた。相変わらず札幌のキタラはよいホールで、座席は広く実にゆったりとしている。演奏も実によく、それでも日本式に統制の取れたアンサンブルが繰り広げられた。マエストロもすでに82歳になり、舞台の入退場は非常に億劫そうだが、少し低い指揮台の上ではしゃきっとした身振る舞いで演奏を指揮している。
惜しむらくは、この素晴らしい機会の立ち会った観衆が少なかったことだろうか。2回公演の初日ということもあるかもしれないが、定員の半分程度しか入らなかった客席は実にもったいない感じがした。

満ち足りた時間をすごした次の日。早朝から動き始めて、JRに乗って余市まで足を伸ばした。小樽までは快速が走る快適な電車だが、小樽から余市までは単線(小樽までも単線か?)を1両編成のディーゼル列車が走っている。絵に描いたような北海道のローカル線で、ストーブがないのが不思議な感じがした。
余市に来た目的はニッカウヰスキーの余市蒸留所に行くこと。ニッカの創業者がどうしてこの地の果てに蒸留所を作ることになったのか、が少しでもわかればよいとも思っていた。
小樽から山の中を縫うように線路が続くと、やがて進行方向右手に海が見える。そして、市街地に入ってしばらく走るとそこが余市の駅だった。小樽から他の駅が無人駅なのに対して、有人の駅舎にみやげ物屋を併設している大きな駅である。事前に確かめておいたのと同じように、ニッカの蒸留所はその駅の真正面にあった。駅から出ようとすると空の様子がおかしくなり、やがて、大きな雹がぱらぱらと降り始めた。こりゃ大変と小走りに、商店の軒先にときどき入りながら数分小走りに進むと立派なレンガ建てのゲートがあった。ゲートにたどり着いて、見学の手続きを終えた頃には、にわか雹もあがり、うっすらと日差しがさし始めた。ふらふらと歩きたいと、ガイドツアーでなく個人見学を選んで歩き出す。ニッカといえば大企業の印象だが、ここは思いのほか、全ての建物がこじんまりとして背が低い。
まだ、山のように積まれた雪の後ろに隠れるように建っている建物の中には、ウイスキーを蒸留する蒸留器が備え付けられている。導かれるように、建物に入るとうっすらと甘い香りがした。すぐに、それが蒸留している原酒の匂いであることに気づく。カタンカタンと金属が軽く当たる音立てながら、いくつかあるうちの2基の蒸留器の足元にある炉の口からはちょろちょろと火が見え、その脇にあまり多くない量の石炭が積まれている。冬景色の中ならこれだけで何時間もいられるような気持ちのよい火を眺めながら、少しの間、時間が止まったような感覚を覚えた。余市は蒸留器も、貯蔵庫も全て古い時代のやり方のままになっていて、それが今も生きている。
日本に本物のウイスキー作りを伝えたいとサントリーとニッカの二大メーカーの立ち上げに関わったニッカ創業者の竹鶴政孝は、ウイスキーはアナログを大切にしなければならないと教えたそうだ。ウイスキーと竹鶴の妻の双方の故郷であるスコットランドの気候に近いと言われる余市という街だからこそ、都会では不可能な古が残れたような気もしなくはなかった。

さて、さんざん、昼間から有料・無料のウイスキーの試飲を楽しんでほろ酔い気分になった。
そして、余市という名のモルトは新樽のカスクのイメージなんだなとふと感じた。