しもた屋之噺(160)

杉山洋一

明日からミラノは万博が始まり、それに合わせて誂えた新しい地下鉄が今週から開通したとかで、拙宅の近辺のバスや路面電車の路線が軒並み変更になりました。その為か明日から始まるミラノ万博の為か、どの道もとても渋滞していて、自転車がなければ到底学校に通うのが厄介なところでしたが、さて明日からどうなるのでしょうか。

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 4月某日 ミラノ自宅にて
病院のレントゲン室で一人、箱を撮影している。不慣れなので何度も撮り直すが、うまくゆかずに撮影時間を伸ばしてゆく。箱の中身は撮れているかと箱を開けかけると、生温かいものが洩れ出してきて、慌てて蓋をしめた。あれは放射能かしら。開けてはいけなかったのかしらと考えてから、全身に戦慄がはしる。こんな恐ろしいものを、何故素人が触らなければいけないかと憤りを覚えると、いつしかレントゲン室は関係者以外立ち入り禁止になっていた。
途方に暮れてこれから自分の身に起こることを知ろうと病院の本屋でページをめくるが頭に入らない。右手の小指が少し熱っぽく痺れていて気のせいだと自ら言い聞かせるが、小指はいよいよ熱くなる。右の小指は切断かと落胆しながら病院裏の坂道を下りているとき、痺れが手首辺りまで広がっていることに気付き唖然とする。ねっとりした冷汗が身体中から噴き出した。

目が覚めると、隣で息子が静かに寝息を立てていた。家人が留守なので、きっと夜明けごろもぐりこんで来たに違いない。

 4月某日 ミラノ自宅にて
繰返し中国の古琴の練習ヴィデオを眺める。「マソカガミ」で使う復元された七絃琴は古琴の原型なのだろう。音質も素朴で野趣に富む。音はすぐに衰弱してしまうから、古琴のように長いフレーズをグリッサンドのみで作るのはむつかしいが、近い奏法は試みられていたかもしれない。西洋楽器が12音を均等に、効率よく演奏すべく発展を遂げたのに比べ、中国の古琴は、開放絃で響かせる裏で、ろうそくの焔で揺れる影のように、同じ音を別絃でひびかせて、音楽を立体的に構成する。中華音楽に常に溌溂とした印象を覚えるのは、発音がいつも明瞭でそれを殊更に聴き手に伝える意思の強さを感じるからか。立体的という表現は、音の存在が、明確に区切られた空間に配置されていることの現われで、音と音との距離感なども、風情というより数量化されて表現される。

日本の須磨琴や八雲琴なども、奏法のみを観察すれば、思いがけなく古琴と共通点を見出すこともあるけれど、本質的に音楽が要求するものが違うので、結果的に全く違う音楽になる。音が置かれる空間の広さは不明瞭で、数量的な音の把握は不可能となり、一つの音ごとに世界が加味され、音と音との間に宇宙が広がる。中国の文化が日本に浸透し溶解してゆく過程を象徴は、この数量的な世界観の消滅かもしれない。

空間が明快に定義された中で発音するのは(発言と置換えてもよいかも知れない)他者に向けた意志の表出に他ならないが、空間容量の把握を必要とせずに発音すれば、自己の内的思索として昇華するのは当然ではないか。先に杜甫のテキストで書いたときも、言葉と音を際限ない空間に流し込む作業だった。神仏習合の遥か昔から、われわれは常に新しい文化を吸収しては、醗酵させて暮らしてきた。昨今の排他的な傾向は、本来の日本らしさに拮抗する気もして違和感を覚えるけれど、醗酵期間をすぎれば開放期が巡ってくると信じている。

 4月某日 ミラノ自宅にて
朝2時間ほど時間が空いたので、自転車を飛ばしてドゥオーモ脇の近代美術館へ出かける。中世ミラノ公国領主だった「ヴィスコンティからスフォルツァへ」という特別展。一地方都市だったミラノが隆盛の象徴としてドゥオーモの建設に取り掛かり、レオナルドを含め数多くの優れた芸術家、建築家を抱えるようになった時代までへの変遷を辿る。ロンバルディア派、特にベルゴニョーネが大好きなので、展示のクライマックスに彼の貴重な傑作が見られるだけで興奮する。久しぶりのベルゴニョーネで、青白い肌のマリアの妖艶な姿に舌を巻き、まるでこちらが魅入られてしまう錯覚。

 4月某日 市立音楽院にて
息子が歴史の宿題を手伝って欲しいと小学四年の教科書を持ってくる。彼らの今年最初の課題はメソポタミア文明。シュメール人から始まり、バビロニア人へと続く。その後にナイル文明のところでエジプト人からアッシリア人、そしてヘブライ人、つまりユダヤ人の生活を学んでから、ここ二週間ほどは地中海文明へを勉強しているようだ。クレタ人に始まり、フェニキア人に入ろうというところ。そしてミュケナイ人まであと一月ほど、今年の授業の間に学ぶらしい。
一年かけて西洋文明の基礎を覚えるわけで、各文化に関して意外に詳しく勉強していて驚く。
シュメールで既に社会階級制度を習いエンリル神やエンキ神なども知っている。バビロニアのハムラビ法典の内容も幾つか覚え、現代イタリア憲法と比較して、各々が意見を言う。マルデュクが世界を創生し、イシュタルが愛と豊穣を司るなどよく覚えている。
エジプトの神については、「死者の書」を通してラーやオジリデだけでなく、イジリデ、ホルス、アピ、アヌビの親族関係と逸話を学び、ミイラの作り方までおぼえて、子供たちに大人気だという。エジプト人の生徒たちはさぞ喜んだろうというと、特に自分の故郷という意識もないらしい。ユダヤ人は彼らにとって身近な存在だが、ここで初めて「単一神」であるとか「聖書」と、「エルサレム」といった現在の生活に密着した言葉が現れる。息子の専らのお気に入りはエジプトのヒエログリフとクレタの美しいクノッソス宮殿で、来年までにどうしてもクレタ島にいきたいと言い張っている。歴史の一番楽しいところを、最初に触れてしまうような感もあるが、内容が楽しいのでクラスメートも歴史がみな大好きだという。
効率が良いかは別として、勉強させられている感がないのは羨ましいし、そういう記憶というのは案外大きくなっても印象に残るかもしれない。
日本の小学校四年生が一年かけて、ツングース系民族を通して日本人の遺伝子的成立を学び、インダス文明からゴーダマ・シッタルタあたりまでやって仏教の基礎を、長江文明、遼河文明くらいから殷王朝あたりまで学んで稲作やら漢字の成立などを知ってから、縄文や弥生、卑弥呼やら天照大神など日本文化の黎明期に入ってみたらどうだろう。案外視点が広い面白い子供が育つかもしれないし、近隣諸国への視点も違ったものになるだろうし、少なくとも遣隋使、遣唐使くらいまではずっと劇的で動的に感じられるかも知れない。「愛国心」を育てるとしても、さまざまな方法があってよいし、転じてさまざまな「愛国心」があってよい。

4月某日 ミラノ自宅にて
「タワヤメ」で使った五絃琴について、改めて資料を読む。
曾侯乙墓は紀元前433年前後に作られ、特に編鐘の出土が有名だが、五絃琴は編鐘の調律に使われた「均鐘」だという。
紀元前186年に作られた馬王堆墓で、2000年経って発掘した際に、保存状態が驚異的でまるで生きているようだと有名になった利蒼の妻、辛追の柩に、龍が片手で指板の細い首辺りをもって、突出す格好で五絃琴を持つさまが描かれている。
実際はどんな風に演奏したのか想像もできない。現代で云えば音叉に当たる器具なのだろうが、大音量の編鐘をかそけく消入りそうな音律標準器で調整したのも不思議な気がする。

「タワヤメ」への答歌として「マソカガミ」を書く。5音を際限なく繰返す五絃琴に対し、七絃琴は左手を使って五絃から外れた音律を奏でる。互いの旋律は少しずつ近づいてゆき、ほんのひと時一つに折り重なって、遠くへ離れてゆく。行き別れた若い夫婦は、真澄鏡に映る姿だけでも夢の中でもと、互いに再会を願い続ける。

 4月某日 市立音楽院にて
普段からソルフェージュ替わりにシャランの和声課題の四段譜を学生に歌わせているけれど、今年の作曲科生はよく出来るのでシャランでは物足りない。
「ギャロンの生徒による64の和声課題集」から、先日は手始めにメシアンとデュティーユを取り上げて好評を博したので、今日は込み入ったマルセル・ビッチュを歌ってみる。
大学の作曲科生だが、デュティーユの名前は知らなかった。ビッチェはまだ生きているのかと尋ねられて答えられなかったので調べると、2011年に亡くなっていた。和声など学生時分殆ど真面目に勉強しなかったので、こうやって生徒に歌わせながら自分も学ぶ。高校以来恩師から借りっぱなしで今や形見となった、日に焼けたボロボロの教本を使って。

(4月30日ミラノにて)