『チリの闘い』を見て

高橋悠治

9月10日から上映されるパトリシオ・グスマンの記録映画『チリの闘い』三部作 (1975-1978) ここでは試写用DVDで見て思ったこといくつか

労働者たちのそれぞれにちがう いきいきした表情 はてしない討論 だれも経験したことのない日々 これからどうするか 予想できなかった問題と解決のむつかしさ ちがう意見がぶつかりあいながら なんとか切りぬける 一生のあいだに出会うか出会わないかの 忘れられない日々 締めつけていた力がおもいがけなく外れ 解放されて 感じたことを自由に言える場が生まれた やるべきことは多く 時間がたりない いつもの暮らしのなかに突然空白の場所が現れる でも それこそが自分たちの空間 それをまた失わないために 何をする

政党の指導で権力を奪い取るだけでは終わらない そこからが課題のはじまり 次々に起こる問題の現場で グループが生まれ一時的なつながりを作って 毎日の小さなできごとにすばやく対応しながら しごとの場に討論の時間をかさねて 実験をつづけていく いったん遠のいた資本の圧力は 遠巻きの輪を縮めてくる   

選挙で大統領に選ばれた社会主義者のアジェンデは 自律的大衆運動と保守派の支配する議会のあいだで板挟みになる 代表民主制度の限界を越えるのはむつかしい アジェンデを支えるのは工場労働者たちだが デモに参加するのは若い男が多く 女たちは配給の列に並んだり生活に追われている 先住民の姿はほとんど見えない これが1970年代の運動状況だった

いままでの社会主義組織の「団結と統一」ではやっていけないとわかってくるが 選んだ現場の代表が官僚主義に染まることもある 左派と右派の両側で 拳を上げて叫ぶ演説の ことばはますます激しく 現実はゆっくりとしか動かない そうなると 警察や軍隊の武器や暴力が勝つ場面が増えていく

チリのクーデターの後に支援コンサートがあって 加藤登紀子に誘われて出演した 3年後にタイのクーデターがあった その後で作った「水牛楽団」は ビクトル・ハラやビオレータ・パラの作ったチリの新しい歌を またタイの民主化運動のなかでうまれたカラワン楽団の歌を日本語にしてうたう ささやかな活動を数年間つづけた この映画の第3部に流れる『ベンセレーモス』や『不屈の民』もその頃知った歌だった ピアノでは ともだちのフレデリック・ジェフスキーが書いた1時間もかかる『不屈の民変奏曲』を弾き 林光が来て元歌を歌ってくれた 二人で九州の高千穂まで行ったこともあった 

20世紀の革命も二度の世界大戦も いま振り返って こうすればよかった あの判断は誤りだった と言うことはできる でもその時には 以前から引き継いだ問題が残っていて いままでの考えかたや感じかたではもうやっていけないことはわかっても ではどうすればいいのか ちがう意見がぶつかり 折り合いをつけて なんとか毎日を切りぬけるとしても 迫ってくるもっと大きな暴力に対抗する余力あっただろうか
 
音楽では 声をそろえて行進のリズムで高まる1930年代までの革命歌のスタイルは いまでは右翼や軍靴のリズムと区別がつかなくなってしまった ブレヒトとアイスラーのむだがなく甘さのない知的なリリシズムはあの時代の高揚した気分をよく伝えてはいるが いまでは「団結した人民は決して破れない」とはうたえないだろう 解放の日々は短く 抑圧の波が揺りかえし 逮捕・虐殺 数えきれない敗北と失望とをくぐって 小さな変化でやっと息がつける日々 それもまたすりへっていく

1824年9月 メッテルニヒ体制のウィーンからスウェーデンにいた友人へのてがみに フランツ・シューベルトは自作の詩を添えた 《Klage an das Volk 民衆への嘆き(訴え)》と題して 「時代の青春は終わった 無数の民衆の力も使い果たされ……若い日の行動を夢に見る」 そして 「芸術だけが時代の姿を描き 運命と和解する力をもたらす」 燠火のように灰のなかに眠っている種子がある と言いたかったのか 数年後この時代の気分をミュラーの詩に発見して 『冬の旅』が生まれた

一枚岩でなく さまざまな立場のちがいと矛盾を活かせる運動のために まだまだ模索がつづく 革命歌の足並みそろえた行進のリズムではなく やわらかく自由な風が吹きすぎるビクトル・ハラの歌 女たちのくるしい生活の声がきこえるビオレータ・パラの歌 牛車のゆったりした歩みのようなカラワンの歌は 20世紀の冬の旅の記録と夢 種子はどこで目覚めるのだろう