製本かい摘みましては(77)

四釜裕子

最寄りのスーパーは狭い。界隈で暮らす人は多いのにいったいどういうことかと思っていた。生活していると、最寄りだからやっぱりよく寄るようになる。日々の食材はここで買うことが増え、メニューも変わる。まもなく充分間に合うようになり、そのうち狭さも感じなくなる。探す目も動く体も、慣れてくるのだろう。レジは3台。混雑する時間はそれぞれに8人くらい並び、それはすなわちフロアにある3本の通路の5分の2くらいを占領する。通路の左右の棚を物色する人がそこに分け入る隙はなく、アルコールやチーズ、パンを買いたいひとは右、お菓子やカップ麺は真ん中、総菜やジュースならば左のレジ列に並びながら物色する。

レジを待つ時間がけっこうあるので買物かごを眺めながら合計金額を概算する癖がついた。けっこう当たる。これがうれしい。500円以上違ってたことがある。レジの打ち間違いじゃないかと確かめたらいつも買うチーズの隣りにある500円以上高いチーズを取っていた。買い直すこともできたけど振り返れば長い列、たまにはいっか、と贅沢買い。おとといは、前の人の合計金額が507円だった。その人は500円玉と5円玉と1円玉で507円をすでに手に握っており、ぱっとトレーに置いて颯爽とレジを通過した。私の概算は何千何百の位まで。まだまだだ。この店のレジでいらついている人を見たことがない。

真ん中の列にはちょっとした台所用品も置いている。ラップとかゴミ袋とか。細長い2段重ねの弁当箱もある。幼稚園のころ持たされていた楕円形のアルマイトのお弁当は時々汁がもれていて、でもどういうわけか不快ではなかったな、父親の保温弁当箱は巨大だったな、「これっくらいの、おべんとばっこに……」と歌うときは両人差し指で長方形を描いていたけれど今の子どもたちも同じように長方形を描いているのかな……など考えてたらレジの順番がきた。清算をして袋に詰めながら、昨秋出たお弁当箱みたいな2冊の本について考えていた。

ひとつは渡辺一史さんの『北の無人駅から』で、定規で計ると127×188mm、792ページで厚さは38mmある。もうひとつは北沢夏音さんの『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』で、同じく127×188mm、542ページで厚さは38mm。寸法は同じ2冊だがページ数はだいぶ違う。『北の無人駅から』は柔らかい本文紙を糸で綴じてあり、重いけれど読みにくくはない。比べると『Get back,SUB!』の本文紙はやや厚く、糸綴じではないけれども今どきの接着剤は柔軟性があるのでグッと開いてもページがはずれることはまずないが、読んでいて手は疲れた。判型に対して厚みがあるとき「お弁当箱みたいな」と言ってしまうが、こんな弁当箱、実際は見たことがない。細長い2段のお弁当を持つひとと、お弁当箱みたいな本について話してみようと思った。