劇場に冠された名前

冨岡三智

昨年(2023年)、コロナ明けで4年ぶりにインドネシアに行った時、留学していた芸術大学に足を運んでやりたいことがあった。それは、構内の各劇場の名称を確認することである。コロナ禍の時代にライブ配信が盛んになったのもあって、私は芸大からの公演や各種セレモニーの中継映像をせっせと見るようになったのだが、その時に、いつの間にか構内の劇場に名前がついていることに気づいた。以前は単にプンドポ(ジャワの伝統的な儀礼用の建物)、大劇場、小劇場と呼ばれていた建物が、それぞれ『プンドポ・ジョヨクスモ』、『ゲンドン・フマルダニ大劇場』、『クスモケソウォ小劇場』と呼ばれている。これらはいずれも芸術大学に貢献した人物の名前である。

ジョヨクスモは芸術大学の初代学長である。実は、スラカルタの芸術大学は芸術高校の教員を二分するような形で1964年に設立された。これは当時のインドネシア政府が取った学校設立法で、ジョヨクスモはそれまで芸術高校の校長をしていたが、芸大に移って初代学長となった。この人はスラカルタ王家のパク・ブウォノX世の王子である。オランダ植民地時代にはオランダ留学の経験もある知識人で、2023年に大統領からパラマ・ダルマ文化勲章(芸術関係では最高の栄誉)を授与されている。

ゲンドン・フマルダニは1970年代に芸術大学を発展させた学長である。実はスラカルタ王家の一画に置かれた国の芸術発展プロジェクト(PKJT)の所長としてスラカルタに来て、芸術大学でも講師として教えるようになり、芸大学長とPKJT所長を兼任して宮廷舞踊の解禁や現代舞踊の発展などに大いに貢献した。2002年に文化大臣からサティヤ・ランチャナ勲章を授与されている。

クスモケソウォは私が舞踊で師事していたジョコ女史の舅にして1950年に設立された芸術高校の初代舞踊教師であり、芸術大学設立後はその教育にも携わった。現在までプランバナン寺院で続く『ラーマーヤナ・バレエ』の初代振付家でもあり、2021年にはパラマ・ダルマ文化勲章を大統領から授与された。学長だった2人の人物に伍して地味な舞踊教師の名が冠されるのは意外にも思われるが、スラカルタの舞踊教育においては重要な人物である。

私がyoutubeでざっと見たところ、2018年4月のイベントのビデオではすでにこれらの人物名が冠されているが、2017年に撮影された映像にはまだ入っていないようだ。また、同様の動きは近年、芸術高校やタマン・ブダヤ(州立芸術センター)でも見られ、芸術高校のプンドポは「プンドポ・スルヨハミジョヨ」と冠されている。スルヨハミジョヨは芸術高校の創設者であり、『ラーマーヤナ・バレエ』プロジェクトの責任者であり、実はジョヨクスモと同じくパクブウォノX世の王子である。2023年の映像ではプンドポに名前が冠されているのが確認できるが、それ以前のものはまだ確認できていない。ただし、私が同プンドポで公演した2006年にはすでにスルヨハミジョヨ氏の胸像がプンドポの奥に置かれていたし、それはそのずっと前からすでにあったような気がする。ただ、劇場に名前を冠して顕彰するという発想が近年までなかっただけなのだ。タマン・ブダヤはPKJTが発展解消してできた機関なので、PKJT所長の名を冠して『ゲンドン・フマルダニ プンドポ』と名付けられている。

というようなわけで、近年になって一気に芸術面で功績のある人物の名がつけられることになった。インドネシアでは通りの名前に国家英雄の名がつけられることはよくあるが、芸術関係者の名が冠せられるのはそう多くはないように思う。1968年に開業したジャカルタのイスマイル・マルズキ劇場は作曲家の名前にちなんでつけられているが、21世紀になってスラカルタの芸術機関でいきなりそのやり方が流行したのはなぜなのだろう。なぜ、今になって先人を顕彰し始めたのだろう…と気になる。