2005年の公演「幻視in紀の国~南海に響くジャワの音~」を振り返る

冨岡三智

先月、2005年の公演記録映像(VHS)をデータ化してもらってやっと見ることができた。VHSデッキはとっくの昔に壊れていて、ずっと見直すことができなかった。というわけで今月はその公演の話。当時はまだブログもやっていなかったので、この公演のことを書くのは今回が初めてである。

公演:「幻視in紀の国~南海に響くジャワの音~」
日付: 2005年11月20日
場所: 橋本市教育文化会館大ホール(和歌山県)
主催: 橋本サロンコンサート実行委員会
後援: 橋本市教育委員会、橋本市公民館連絡協議会

プログラム
1. 森の中: スボカストウォ~アヤッ・アヤッアン~スレパガン~サンパッ
2. 間狂言: 森の妖精・太郎冠者と次郎冠者が海へ出かけてみると…
3. 南海の女王: 女性舞踊「陰陽ON-YO」(紀の国バージョン)
休憩
4. ワークショップ
5. 人の歩む道: 男性舞踊「スリ・パモソ」

出演
ジャワ舞踊:冨岡三智
ガムラン演奏:ダルマ・ブダヤ
狂言:清水菜美、清水美樹

「幻視 in ~」のタイトルをつけた公演は1998年が初めてで、この時が2回目だった。2021年の「幻視 in 堺~能舞台に舞うジャワの夢~」でも間狂言の場面を入れたけれど、この公演では地元の狂言の会で学ぶ2人の姉妹が太郎冠者・次郎冠者になってこの場面を務めてくれた。主催の人たちが橋本狂言を楽しむ会にも関わっていたので、せっかくならそこで学んでいる子たちと共演したいと思って相談したところ、やってみたいというお子さんが現れた。当時、2人はまだ小学生6年生と4年生だったが、私が全体の構成を伝えてセリフを考えてもらったら、なんと、初練習の日に2人は完璧な台本を2つも作ってきた。すごいお子さんだなあと感心したことを覚えている。そして、狂言の会の方の指導協力も得て、あくまでも狂言らしい言い回しと動きで芝居をしてくれた。

プログラムの1つ目の曲の組合せ(4曲メドレー)は、「バンバンガン・チャキル」という舞踊(やその元となるワヤン=影絵芝居)で使われる。見目麗しい武将が森にやってきて瞑想しているところにチャキル(羅刹)が登場し、武将の邪魔をしようとして戦いになるという話で、この音楽を聞くと眼前に森が広がる…というわけなのだ。

この公演では、羅刹ではなくて妖精の太郎冠者が弓を持って登場する。お腹を空かせて森に狩りに出かけてきたのだった。そこに次郎冠者が登場し、海の中の宮殿でごちそうを見つけたと言う。違う部屋には髪の長い女の人もいたと言う。太郎冠者はごちそうもさりながらその女の人が気になって、2人が連れ立って南海に向かう。

その女の人=南海の女王の場面として踊ったのが「陰陽ON-YO」で、これは私が2002年に振り付けた作品(Dedek Wahyudi作曲)を基に、前半の曲を変えてこの公演用にアレンジしたもの。もともと後半部は宮廷舞踊の曲の特徴を踏まえて作ってもらっているので、女王の場面とした。

その後休憩を挟んでジャワ舞踊を体験してもらうワークショップ。これは主催者からのリクエスト。そして最後に男性優形の舞踊「スリ・パモソ」。この曲は宮廷舞踊家クスモケソウォが1969年頃に振り付けた作品で、インドネシアで2003年2月に復曲上演された。私もその公演や復曲に至る過程に立ち会っていたので、『水牛』2003年4月号と2020年11月号ではこの作品について書いている。そんなわけでこの時がこの作品の日本初演である。「人の歩む道」と形容したのは、ジャワ宮廷舞踊はつまるところそれを大きなテーマにしているから。
 
見直してみると、当時から自分がテーマだと感じることやそのキーワードがあまり変わっていなくて、その成長のなさにがっくりくる。が、原点に立ち戻ったような気にもなる。19年も前の映像なので、自分の姿がどこか他人のようにも思えて、頑張れ~と声をかけてやりたくなる…。