秋葉原を出て、上野を過ぎたあたりから、急に湿度が上がる。まるで、それまでよりも深いところを走っているかのように、気圧も上がって、電車の揺れも激しくなったかのように感じてしまう。
八両目の連結部分近く、優先座席の周辺に居合わせた乗客たちは、私以外、すべて上野駅で降りて、乗ってきたのは旅行客らしい中国語を話す四人家族と、カップルらしい若い男女、そして、二人の年輩の男性だった。私は連結部分に一番近い優先座席に座っていて、隣にカップルが座った。向かい側の三人掛けの座席には四人家族の子どもたちだけが座り、空いた一席には母親が持っていた少し大きめのバッグが置かれた。年配の男性二人はドアの脇に別れて立ち、スマホの画面を見ている。
上野を過ぎ、地下鉄は入谷に着く頃にはさらに湿度を増し、車内は不快感に包まれた。その証拠に、窓の外はただ暗いだけではなく、黒いもので覆われていて、レールの繋ぎ目を伝える振動音さえくぐもって聞こえるほどになった。
中国語を話す子どもはまだ二人とも学校には通っていないくらいの年齢だろうか。上が女の子で、下が男の子。まず、男の子がむずがりだした。女の子は、自分の不快さを我慢しながら、男の子をなだめている。母親は女の子を応援して、一緒になって男の子に声をかけている。父親は、黒いもので覆われたような窓の外を凝視したまま動かない。
もし、入谷駅で停車したなら、黒いものが車内に入ってくるだろう。そうなったら、きっとみんな生きてはいられない。私はそんな気がして、窓の外よりも、目の前の四人家族に見入ってしまう。
アナウンスが入谷駅に停車したことを告げる。ドアが開く。光が入り込む。窓の外を覆っていた黒いものは瞬時に無くなる。
目の前の親子連れは電車を降りる。私の隣のカップルも立ち上がり、ドアへ向かう。誰も乗ってこない。優先座席には私だけが座っている。ドアの両脇に別れて立っていた年配の男性は、ずっとスマホを見ている。私は手元を見ている。手元を見たまま、ドアの脇に立つ男性二人と自分のことだけははっきりと認識している。
地下鉄が入谷を出て、三ノ輪を過ぎるまで、私は顔を上げないようにじっとしている。そして、自分が見つめているスマホの画面の向こうには、さっきまで窓の外を覆っていた黒いものがある。きっと、ドアの脇に立っている二人の男性のスマホの画面にも同じものが見えているのだと思う。(了)