猫のバロンに

新井卓

 寒波の夜、猫を亡くした。
 リエージュで小さなシンポジウムがあり、空港で待つあいだ、川崎の両親がヴィデオ通話をつないでくれた。スマートフォンごしに話しかけたのが──ひどい風邪をこじらせ、こんなしわがれ声でわたしだとわかったろうか──かれとの最後になった。猫のバロンは春の嵐の夜、母猫に連れられてわが家にやって来、それから二十二年生きた。
 バロンはとにかく食べることに特別な執着を持っていた。ただ腹を空かせている、というよりもひどく飢えたことのある人が食事に対して抱く、燃えるような感情があり、かれが素揚げにした豆鯵や炙ったキビナゴの頭をいかにもうまそうに味わうのを見るたびに、わたしの中にも確かにそんな感情がある、と気づかされるのだった。だから、かれとわたしはきっと前世でひもじい思いをした兄弟だったのだろう、と勝手に納得することにした。
 恐いほどに青く澄み切った異邦の空を眺めながら、かれの、そしてわたしが出会うことを許され見送った三人の猫たちの顔を思い出そうとする。それらの顔は半分のうす目で、こちらを見ている。それほどまでにただ、見てくれる者がほかにあっただろうか。
 生きる、というアート。人ならざる生きものたちのアートに、ひとつところに留まることも知らないわたしが、この生で追いつくことはきっとないだろう。

眠りの蒼白い岸辺で
蒼白いクロッカスを摘んでる
それはもうひどい藪で
ホットスポットなんじゃない? なんてご近所ったら
(仕方のないさだって
そういう作品だから、ね)
探さなくちゃならない
でも、なぜ?
おまえは見えず
おまえの気配はなく
でもまだ見えないそこらにいて
にいさん
にい さん
どこ
泣いて困ってるかも
と思い
思いついてしまったからたまらない
こんなひどい藪で
どうしようというのか
かれに会って?
あのクランデロが尋ねる
本当はクランデロの気配だってないのだから
勝手に声を拝借する
さよならを言いたいんです
せめて──
なあに、かれにしたって
もうたくさんさ
あれほどに、
幾度となく、
さよならを。
遠いおまえ
遠いわが家
遠いあの春
なまぬるい嵐がどっ、と雨戸を叩く
どこにいるの
おまえ
今やあの薮も消え失せ
更地に四軒家がたつ
どこにいるの
おまえ
おまえの
おまえたちの藪
センダングサやらヌスビトハギに
地蜘蛛の巣をいっぱいに絡ませて
さあ、こうなると厄介だ
とろろ昆布みたく
とろとろなおまえの毛皮は、ね
にい さん
にいさん
どこにいるの
おさしみ
ちょうだい
もっと
ちょうだいよ
おひざにのしてよ
お顔を掻いて
ねむいよ
にい さん
どこ