ネクタイほど無意味なものはない。
真綿色したシクラメンほど清しいものはないが、間抜け色したネクタイほど貧しいものはない。あ、色はどうでもいい。黒だろうが、赤だろうが、レジメンタルだろうが、どうでもいい。なんなのだ、あの端切れは。あれを首からぶら下げているとフォーマルなのか。ぶら下げていないと失礼なのか。馬鹿を言ってはいけない。ネクタイをぶら下げた無礼な奴などゴマンといるではないか。
真夏にワイシャツとネクタイ、スーツというヒトを見かけることがあるが、心から同情してしまう。あの忍耐力はどこで培ったものだろう。尊敬の念すら覚えてしまう。アンタはエライ。
ネクタイを締めるということは、ワイシャツを着なければならない。おれはもうワイシャツですら苦痛だ。ボタンが多い。面倒ではないか。袖までボタンがついている。なかには片袖だけで三個、ないしは四個もついている。あれはデザイナーの嫌がらせではないか。やっとすべてのボタンを装着すると、さてネクタイだ。
ところが、これがなかなか上手い具合に締まらない。結び目が不格好になる。何度もやり直す。最近のワイシャツはワイド・スプレッドの衿が多いので、細いネクタイだと上手に結び目を作ってもVゾーンの左右に「紐」の部分が見えてしまう。太めのネクタイを選んで、ある程度結び目も大きく拵えなくてはならない。厄介ではないか。面倒くせえです。
垂れたネクタイが短かったり長かったりする。あの長さの調整もオトコの技量が問われるのだ。短いと裏の細いほうの先端が突き出て見えてしまう。これは論外だ。ダサい。イカンと思ってやり直す。今度は股のあたりまで長くなってしまった。これではドナルド・トランプ氏のようではないか。またやり直す。
トランプ氏の赤いネクタイはいつも長く垂れさがっている。あのヒト、背も高いでしょ。どう結んだらあんなに長くなるのだ。ものすごく長いネクタイを特注しているとおれはニラんでいるのだが、お付きのスタイリストだっているだろうに、あの長さを是とする了見が知れない。ついでに言うと、高価なスーツにネクタイを締めてベースボール・キャップを被るのは、いくら選挙キャンペーン中でもやめていただきたい。スーツに野球帽というコーディネートは破壊力がありすぎる。あの組み合わせが似合うニンゲンはこの世にいない。
話が逸れた。年に一、二回しかネクタイを締めないし、普段はシャツも着ないおれだが、先日、母の七回忌があって、仕方なくブラック・スーツに白いワイシャツ、黒いネクタイという格好をしなければならなかった。
疲れた。着るのも疲れたし、谷中の寺までクルマを運転するのも疲れた。首元が苦しい。ジャケットも窮屈、おまけに滅多に履かない革靴だ。靴を脱いで読経を聞いているときも疲れを強く感じた。再び革靴を履き、塔婆を持って墓まで移動するのも大儀であった。法要が終わると、どこへも寄らずにすぐ帰宅したが、疲れ果てていた。わずか二時間半ほどの着用時間だったが、ネクタイをほどいたときの解放感といったらなかった。
ネクタイを締める目的は、ほどいたときの快感を得るためである。
そう思いましたね。おれが身近なヒトビトに死んでほしくないのは、葬式にネクタイを締めて出掛けなければならないからである。みんな長生きしてね。
ネクタイが汚れているヒトがいる。食事中に何かが飛び散って、それを放置しているものと推察されるが、あれはいただけない。その日のランチで汚してしまったのならお気の毒とも思うが、「ある一定の時間を経て現在に至る」という汚れ具合のネクタイを目にすることがある。カレーうどんの一滴、ボロネーゼの一滴、せいろ蕎麦のつゆの一滴、サラダにかけたオリーブ・オイルの一滴、それらのシミが混在しているネクタイを平気な顔で締めているヒトもいる。それでいいのか。いや、いくない。みすぼらしい。あれではノータイのほうがマシなのではないのか。
だが「スーツにワイシャツでノータイ」がサマになっているヒトをおれは知らない。普通のワイシャツにビジネス・スーツであれをやると、見るも無残だ。だからおれはワイシャツを着ない。スーツも着ない。どうしても着なければならないときはネクタイを締めて、絶対に緩めない。スーツのジャケットも脱がないよ。そういう日は年に一、二回しかないが、帰宅すると寝込んでしまう。疲労の度合いが違うのだ。
おれがネクタイを締めなければならないケースは葬式、そうでなければ「エラいヒトビトが集まる会合」だ。エラいヒトビトは大抵ネクタイをしている。肝心のおれはエラくもなんともないのに、なぜネクタイを締めなければならないのだ。ドレス・コードというやつなのだろうが、きわめて理不尽だと思う。
だからそういう会合は欠席のハガキを出すことにしている。おれなどがいなくたって何の問題もないしね。なので、印刷された「欠席」のところにマルをして、その右の余白に「ネクタイを締めなければならないので」と書き添え、下には「させていただきます」と書き添えることにしている。面倒なのは、おれのハガキを受け取った担当のヒトから、電話がかかってくることがあることだ。
「どうか平服でお越しください」
声が慌てている。すまない。おれのことなど忘れて、幸せに暮らしてください。
思い出した。十年ほど前にネクタイを五十本以上捨てたことがあった。同時にワイシャツもスーツも大量に処分したっけ。
ということは、おれもスーツとワイシャツを着て、ネクタイを締めていた日々があったのだ。バブル期のことかもしれない。もう忘れた。これほどネクタイを忌み嫌っているおれにもそういう時代があったのだ。なんだよ、つまりは思想、信条がブレブレではないか。どこでいつ転向したのだろう。原因は精神的なものだったのか、ネクタイ的なものだったのか。今ではネクタイは三、四本しかない。いいんだ。
「数年ぶりに新しいネクタイを買おうか。滅多に締めないけど」
と思い、店頭で気に入ったネクタイの値札を見たら五万七千二百円だったので、「オガーヂャーン」と叫びながら最寄りの交番へ駆け込んだ。端切れだよ。高いよ。買えないよ。買ったらオガーヂャーンに折檻されるよ。あ、オガーヂャーンは六年前に亡くなったんだ。