うっすらと結露のできた硝子窓の向こうに、真白の立山連峰の朧げな姿が見える。あの雪がすべて溶けるまでどれくらいの時間が必要なのだろうか、あの山肌に本当に新緑が萌えるのだろうか、この景色をこれからどれだけ眺めるのか。
思えば、上毛三山に囲まれた土地を18歳の時に出てから、ひとつの住所に4年以上留まったことがない。本小屋と名付けた部屋を引き払う時、管理人からどうしてこんなに早く出て行くのか?と訝しがられた。たった2年の使用期間では、フローリングマットにつけてしまったデスクの跡以外これといって生活の痕跡のようなものがなく、いやよく見れば本棚の跡もうっすらと残っているのだが、結局根付く前にふらふらと流れ出てしまう奇妙な浮草のように見えたのかもしれない。ただ水面を漂うあの小さな植物は、からだの大きさの割に太い根を水中に下ろして養分を吸い、冬のあいだは肉厚の休眠芽となって水底でじっとしているというから、ふらふらしていても、というか、ふらふらしているその只中に安定していると言えそうだが、私の場合はそうではなく、その時その時の運に任せて移動している。
富山に移って最初の日の朝、霙が降った。前夜からびしゃびしゃと降り続いていた雨が冷えたのだ。まだ引っ越し荷物が届いておらず、生活のぬくもりが欠けた部屋はどこまでも寒々としていた。昼頃、霙は雪になり、その雪のなかを引っ越し業者の若い作業員たちがやってきて、約80箱の段ボールに詰めた書物と、わずかな生活の品、それから小型の暖房器具を部屋に運び込んでくれた。通電したばかりのコンセントに赤外線ヒーターのプラグを差し込むと、徐々に部屋から寒さが引いてゆき、窓硝子が曇りはじめる。微かな結露の向こうに、立山連峰の影が見えた。
新居の家財道具を揃えるために、家のすぐ近くを流れる川沿いを歩いてホームセンターに行く。この川は、神通川。中学生の頃習った公害の知識がふと蘇る。水流は早く、水面にはいくつものうねるような筋ができている。山と川。生家からは赤城山と子持山が見え、その麓を吾妻川と利根川が流れていた。本小屋から少し歩けば、多摩川の汀へ辿り着き、遠くにゆったりと丘陵が広がっていた。そして新たな住まいもまた、そこからの視界は遠く聳える峰にぶつかり、家から少し行けば川のせせらぎが聞こえてくる。この川を渡って、これから私は生活をする。
これからしばらく、窓から立山を眺めながら、文章を綴ろうと思う。