10代の頃、ヲタサーの姫的なポジションにいたことがある。簡単にいうとクラシックギターが少し人より弾けたせいで、ギター学習者によく声をかけられ、ちょっとちやほやされていたのだ。コンクールに出たある時には、観客だったさる旧官立大学の学生さんたちにゴクミちゃん(当時人気女優だった後藤久美子さんの愛称。F1レーサーのアレジに恋して渡仏し彼と事実婚。あの胆力はまことにあっぱれだ。)とあだ名をつけられ、可愛がってもらった。いろいろなものをもらったり、手紙のやりとりをしたこともあったっけ。またある時期には、数名の若いギター男子たちと親しくなり、お茶をしたり、出かけたりするようになった。彼らは音楽が大好きな紳士的な人たちで、飲食店ではいつも真っ先に私に席をすすめ、食べたいものや飲みたいものを尋ねてくれた。ちなみに私はあらゆる意味で世間知らずだったので、彼らを一度も怖いとは思わなかったし、実際彼らのせいで危険な目にあったこともない。
そんなある時、ギター男子の一人が、今度自分の先生のところにみんなで行かないか、と声をかけてきた。先生に会うと言っても特にレッスンをしてもらうとかではなく、遊びに来ない?と。「人が自然に集まるような場所で、面白いから」と言われてもイメージできず最初は気が乗らなかったのだが、みんなが「行こうよ」というので最後には私も行く約束をした。そして当日、仲間の一人が車を出してくれて、ちょっと辺鄙な街にある例の音楽教室に向けて出発した。
その音楽教室はなんの変哲もない一軒家で、防音も何もしていないようす。近所の人からはなぜか一目置かれているようだった。ギター男子の一人が、ベルも鳴らさず勝手知ったる様子で扉を開けた。後に続く私たちはそこの生徒でもないのについて行っていいのかな?と思いつつ部屋に入った。記憶ではおそらく八畳くらいの広さ。そこにアップライトピアノ、電子ピアノ、エレクトーン、隙間を縫うようにソファ、そしてギター用の椅子と足台と譜面台がびっちり入っていた。隙間の平面には譜面の山。ソファをすすめられて座る。目の前に生徒さんが入れ替わり立ち替わりやってきて、ピアノを弾いたりエレクトーンを弾いたりして、気が済むと帰っていく。こんな音楽教室を見たことがなかったので、呆気に取られた。
ギター男子の師匠(音楽教室の経営者)がやってきたので挨拶をすると、お師匠さんはガバッと足を広げてギター用の椅子に座った、そしていきなりその辺の楽譜を譜面台に置くと、パッとどこかを適当にひらいてギターを弾き始める。だが楽器のメンテナンスはあまりきちんとしていないようで、低弦はさびていて、ぽそぽそとした響きしか出せていない。だが、弾いている表情はどことなく満足げで雰囲気もわるくなかった。少しして、今度はいかにも知的な女性が部屋に入ってきて、電子ピアノの前に座りヘッドフォンをはめると激しく何かを弾き始めた。そう、この音楽教室では、ギターもピアノ(アップライトと電子ピアノ)もエレクトーンも全て同時進行で練習するのがならいのようなのだ。ヘッドフォンを外した女性は、私たち来訪者がどんなジャンルでなんの楽器を弾くのか尋ねてきた。彼女は東京大学に合格したばかりで、その喜びも自信溢れる表情と口調の活気につながっていたのだろう。「東大は受かったんだけど、私立では立教だけ落ちたの。問題にちょっとクセがあったかな。」受験教科に直接関係ない科目も、趣味と気分転換で勉強したという。そんなあたりも東大生らしい考え方だな、と感心した。
ちょうどアップライトピアノが空いた。そこへ階段を降りて部屋に入ってきたのは、ちょっと長髪でさえない顔色をした細身の青年だった。彼は来訪者たちの顔を挨拶もせずに虚無の目で見回し、少しだけうなづくようにしてうすい挨拶をした。変わった人だなと思った。この教室に連れてきてくれた男子が言う。「先生の息子さんのHさん。東大の理学部に通っているんだよ。ピアノはめちゃくちゃうまくて、とくにジャズがすごいよ」。虚無の目をした青年Hはアップライトの前にすわり、なんの準備運動もなく突然ショパン「ピアノソナタ第3番」の終楽章を弾き始めた。「ジャズがうまい」という言葉が聞こえていて、裏をかこうとしたなら結構気が強い人なのかもしれないと思った。タッチは正直ボコボコしていたのだが、猛スピードで、ちょっと恐ろしいような演奏だった。弾き終わると、私たち来訪者に2つ3つあたりさわりのない質問をし、最初よりは深めのうなづき方で挨拶をして、階段をあがり部屋に戻って行った。彼の気配がなくなってから私はぽつりと「ジャズじゃなかったですね。ジャズも聞いてみたかったな」とつぶやいたが、ギター男子たちは何も言わなかった。きっと私が、恋に落ちた目をしていたからだと思う。
その後、ギター男子たちはそれぞれの地元に戻ったり、大学が忙しくなったりして、いつのまにか誰とも疎遠になってしまった。音楽教室に案内してくれた人も海外留学に旅立った。したがって私の心に強い印象を残した青年Hさんには、その後2度と会うことがなかった。よほど優秀な人だったと思うから海外で仕事をしているかもしれないし、専門性を活かした職業についているかもしれないし、ジャズピアニストをしているかもしれない。またあるいは才能のある人にありがちな気まぐれで、急に絵を描いて生活していたり、起業したりしているかもしれない。インターネットが普及してから名前で検索してみたこともあるが消息は不明で、今となっては正直、顔も思い出せない。ただし、父親である師匠の音楽教室はまだ存在しているようなので、そこを経営しているという線もありうるか。だが詮索はやめよう。たった一度、10分くらいしか会ったことがなくても、その後何十年も印象を残すことができる人がいるという、忘れられない記憶。