太陽をリレーすること

新井卓

夏至祭のあるところで暮らしたい、とぼんやり思っていて、まだ実現していない。
冬至の時分にバレンツ海のほとり、迷子石(氷河が運んだ岩)ばかりごろごろ転がる、およそこの世のものと思えない荒野で過ごしたことはある。極夜は決して暗黒ではなく、永遠の薄明に目を凝らすと朱鷺色や桔梗色のため息のでるような淡いグラデーションがうつろう。連夜のオーロラは美しさよりも、決して正視してはいけない祟り神からじっと見つめられているような、冴えざえとした恐さがあった。そんな夜更け、小さな丸太小屋の薪ストーブの火はいつになく妖しく赤々とのたうち、生き物じみた体熱を発していた。北の最果て。冬至がそれほどなら、夏至もきっとおなじだけ強烈なのだろう。

つい先日、東京で開催中の白木麻子さんの個展で、木や金属の立体作品に混じって不思議なドローイングが展示されていて、吸い寄せられるように見入った。おなじかたちが──花束の輪郭だろうか──ずれながら幾重にも反復する、鉛筆描きのパターンを刻んでいる。この作品は彼女がデンマークで滞在制作中、ちょうど夏至の日に、天窓から差し込む陽が落とす影を刻々とトレースする方法によって描かれたという。純白の画用紙は太陽の反射で目が眩むほどぎらぎらと輝き、ときおり陽の翳る一瞬だけ、自分が写しとった線が見えた──そう聞かされて、このドローイングはアートであるだけでなく太陽遥拝のネガ像にほかならず、ためにどこか人類の深い記憶と繋がっていると思った。

夏至の日、小さなダゲレオタイプ銀板を磨きあげ、ヨウ素と臭素で処理してカメラに装填し、太陽にレンズを向ける。十余年ぶりに太陽の作品を作ろうとしていて、その練習のつもりもあったが、赤道儀の調整だとか、いろいろ細かなことをすっかり忘れていた。調整のできていないカメラの視野を太陽は猛烈なスピードで横切り、視界からするすると逃れつづける。太陽の、というより地球の回転エネルギーの眩暈のするような無尽蔵さを思ってよろめき、それから震災の翌年、小名浜で金環日食の撮影をした日のことを思いだした。一時間、二時間と汗みずくで赤道儀と格闘するうち、南中の時刻を迎えた。一年でもっとも青白い夏至点の太陽の放射には、きっと冷たさが隠されているのだろう。すっと汗が引く感覚があり、ややあって身体の底から、けもの的な力強い何かが湧き上がってきた──オデュッセウス一行がごとく、牛を一頭盗んで丸焼きにしてぺろりと食べてしまいたいような気持ちに駆られたが、そういうわけにもいかないので、撮影が済んだら最寄りのスーパーで焼肉セットを買おう、と心に決めた。

ひと足先にベルリンに帰った連れから、翌朝、アイスキャンディーを片手に夕陽を見つめるこどもの写真が届いた。なんだか太陽をリレーしたみたい。テンペルホーファーフェルトの一角で夏至を祝う野外コンサートがあり、みんなでエレキベースとフルートのドローンを聴いた後だという。
テンペルホーファーフェルトは空港の跡地で、広大な敷地と滑走路をそのままに、今ではベルリン市民の憩いの場になっている。遮るもののないコンクリートの平原に吹く風はどこか海風に似ている。夏至祭がなくても沈みゆく太陽をドローンで見送る、大きな空のあるベルリンに暮らすのは悪くないのかもしれない。古い家々が軒並み更地になり、そこに四軒も五軒もやたらと窓の小さい、ぬりかべのような新築が立ち塞がる川崎の庭から、夏至の太陽を仰ぐのも悪くないのだろう。どこにいたとしても、太陽に正対するとき、この恒星とわたしを分かつのは宇宙の真空だけだ。