八巻さん、暑いです!私だけじゃないとわかっているけど、そして誰に訴えればいいのかもわからないけど叫びたい。暑いです!
ペットショップの店員さんから「夏は外に出さなくていいです。熱中症にかかったら一発で死にます」と釘を刺されているので、チワワのロンと私は冷房の効いた部屋でほとんど籠城生活です。
いったいこの気温を夏と言うのでしょうか。もはや夏という季節ですらない気がする。夏と秋の間に「酷」という季節を新設するべきだと思うのです。そう、八月は「酷」。「獄」でも「極」でもいいですけど。
さて、こんな気候ですから、「お部屋で読書」の時間はおのずと増えるわけですが、最近、永井荷風の『濹東綺譚』を読みました。ずっと読んだものと思い込んでいたけれど、読み始めたら初読でした。どうして勘違いしたのでしょう。たぶん、若い頃、新藤兼人監督が映画化した『濹東綺譚』(1992年)を観て、「何なの、この、おっさんに都合のいい話は。気持ち悪い」と思った記憶があるので、そこで引いてしまって小説まで辿り着かなかったのではないかと。津川雅彦が演じたからか、主人公の中年男がギラついていて、あの映画については、キモいおっさんのキモい願望というイメージが拭えません。いま観直したら変わるかもしれないけど。どうだろう。
今回小説を手にしたのは、調べものがあったからなのですが、小説自体は一気読みしました。面白かった。玉の井の風景や移り変わる季節の描写の細やかさ、初老の男と私娼お雪の会話が洒落ていて、まるで古いフランス映画みたい――と私は思ったけれど、お雪の「わたし、借金を返しちまったら、あなた、おかみさんにしてくれない?」という台詞をどう捉えるかで印象は大きく変わるでしょうね。
山本富士子がお雪を演じた1960年版の映画『濹東綺譚』のように、その台詞を、男を信じる健気な女のそれとして読めば、不実な男と裏切られた不幸な女の話になってしまうし、私のように、さすがにお雪もそこまでおぼこくはないでしょ、ちょっと思いついたことを口にしてみただけでは?と捉えれば、男のほうも女のほうも、互いに自分に都合のいい夢を相手に投影したひと夏の戯れ、という話になると思います。おとなのおとぎ話みたいな。
とは言え、私は『断腸亭日乗』も『ふらんす物語』も未読の荷風文学入門者なので、自分の好みに引き寄せて解釈しているかもしれません。八巻さんはきっと、『濹東綺譚』だけでなく、永井荷風をたくさん読まれているでしょうから、今度お茶したときにでも意見を聞かせてください。
それともうひとつ、『濹東綺譚』を読んでいて思ったこと。私はKindleで読んだのですが、永井荷風の文章には、現代では使われない言葉が頻出するので、辞書機能にだいぶ助けられました。古典や歴史物を読むときなどは、Kindleは本当に便利(分厚い本を読むときも)。意味を知りたい語にカーソルを引くと欄外に自動表示してくれのですから。
ただ、よく辞書の改訂の際、どの語が消えて、どの語が入った、と話題になりますよね。紙の辞書は紙幅が限られているから、新しい語を入れるために使われていない語を削らなければならないのはわかるけど、これからの時代はデジタルの辞書をベースに考えたほうがいいのでは、と思います。だって、デジタルなら、増やすに任せることができるでしょう?使われない語をどんどん削ってしまったら、辞書があればこそ読める書も読み進められなくなってしまう。そもそも用いられる頻度をもとに辞書を編纂していいものだろうか?という疑問も湧いてきます。死語もその時代には生きていた言葉なのに・・・。
八巻さんは、この夏、どのようにお過ごしですか。私と同じ籠城派?図書館が近いとおっしゃっていたから、図書館で涼んでいるのかな。秋になったら、冬眠から目覚めたクマのように這い出て、美味しいものでも一緒に食べに行きましょう。車でお迎えにあがりますので!
2025年8月29日
長谷部千彩