園芸や農業の心得がある作曲家の知人は数名いるが、その中にばらを育てる名人がいる。かつてわが家でもばらを育ててみようと思い立ったことがあったが、水をあげすぎたか、日当たりが悪かったか、とにかくうまくいかなかった。ばらの名人にそんな話をしたかどうか記憶が定かではないのだが、ある本番のあとその方が自宅で育てているばらを持ってきてくださった。それはザンクトフローリアン修道院の、それも作曲家アントン・ブルックナーのばらの苗だとおっしゃる。これはこれは大切にせねばと、力を入れて育てたつもりだったが、だんだん苗から力がなくなり、とうとう枯れてしまった。
そんな苦い経験があったので、貴重なばらをくださった作曲家に申し訳なくて仕方がなかった。ある時ふと、「あのばらどうしましたか?」と尋ねられたので、正直に話した。するとそれから数ヶ月後、立派に育ったブルックナーのばらをお贈りくださった。「これなら大丈夫だと思います」とおっしゃるので、「今度こそ花を咲かせて~~~!!」と祈る気持ちでいたのだが、家のベランダの方向が悪いのか、水のあげかたがへただったのか、どんどん元気がなくなっていってしまった。大切なばらが日に日に弱ってゆくのを、オロオロと見守るばかりだった。
ばらを助けるにはどうしたら良いのか。マンション共用スペースに鉢ごと置かせてもらうか。近所の公園の植え込みに勝手に挿すか。中央分離帯の土に挿すか。最後に閃いたのは、図書館の植え込みである。よく利用する図書館の植え込みには、さまざまな種類の花が咲いていて、なかでもばらが色とりどりに花をつけているのも思い出したのだ。「あそこなら、ブルックナーのばらが助かるかもしれない」そう思ったわたしは、図書館の職員さんに無理を承知で話をつけにいった。
「突然すみません。本とは関係ない不躾なご相談なのですが…」と切りだした。「わが家に弱ったばらがあるのですが、こちらの花壇でしたら助かるのではと思いまして。もちろん私が自分で水をあげに参りますが、こちらにばらを植えるのをお許しいただけないでしょうか?」
わたしが話しかけた方は、まさしく図書館のばらに水をあげている人だった。「いいですよ、こちらで水もあげますので。いつも適当に水をあげているだけなので、お持ちいただいたばらが元気になるかどうかお約束できませんがよろしいですか」とおっしゃる。親切なお言葉に感激して差し入れのお菓子を買い、いったん帰宅するとすぐさまばらを抱えて再度図書館へいった。お菓子は固辞されてお渡しできなかったが、ばらは預かってもらえた。その後図書館へは頻繁に様子を見にいったが、わたしの期待に反してばらは立ち直る気力がすでに失われた後だったようにみえた。しばらくすると枝切りをしてもらっていたが、その起死回生のチャンスでも蘇ることはできなかった。
ばらをくださった作曲家に「その後ばらはどうですか?」と聞かれた時の恥ずかしさと情けなさといったらなかった。図書館の職員さんにもお手数をかけてしまったし。だがその後、図書館に行くたびに、ばらの職員さんがいらっしゃるか探す癖がついた。先日お会いした際には、私の知りたい情報をリファレンスサービスで調査しておいてくださることになった。図書館のばらのひとは、おだやかで人当たりもやわらかだが、じつはおそろしく有能な方なのではないだろうか…。あと数日経ったら結果を伺いにまた図書館に行かなくては。