冬らしい夕日は、まるで辺り一面を覆う摺りガラスを通して眺める焔のようです。
ちょうど摺りガラスが不安定なレンズの効果を生むのでしょう、遠景は心なしかめらめら蜃気楼のように揺らいでいて、寒さにかじかんでいます。その先には仄かに青味と赤味を含んだ濃い乳白色の厚い夜の帳が空いっぱいに広がっていて、この頭上をすべてすっぽり闇で覆って、すべてを飲み込んでしまうまで、もう間もなくです。
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12月某日 ミラノ自宅
3週間ぶりにミラノに戻ると、息子が随分色々な曲を練習している。ショパン「バラード4番」やらシューマン「ノヴェレッテン」、ハイドン「変イ長調ソナタ」、「クープランの墓」、ベートーヴェン「狩」、シャリーノ「アナモルフォジ」と一緒に、ドビュッシーの「白と黒」、「ヴァイオリンソナタ」まで稽古している。
それは良いのだが、昼食を食べに上がってくる度に古い日本のアニメが見たいと言い張り、勝手に「ハイジ」をつけるので困惑する。二十歳にもなる息子と二人、黙々と「ハイジ」を眺めて食事を摂るのは流石に苦痛で、3話ほどで罷めてもらった。息子曰く、「赤毛のアン」も「母をたずねて」も「ハイジ」も、当時の日本のアニメはどれも「理不尽」だと云う。「理不尽」の意味を正しく理解しているのか知らないが、子供の目線になれば「理不尽」というのもわかる。我々が客観的に俯瞰して「不条理」と一言で片づけてしまうところも、当事者にしてみれば、そんな達観した表現ではやりきれない。息子には当時のアニメ番組は展開が際立って遅く、台詞より「ウフフ」という含み笑いや哄笑に時間が割かれることに不平を洩らしていたが、なるほどタイム・マネージメント世代には辛かろう。
冬になり庭の樹がすっかり落葉して気が付くと、高みに二つばかり、誰が造ったのかずいぶん立派な鳥の巣が設えてあって、傍らには盃型をした慎み深い小さな蜂の巣らしきものも見受けられた。
もう何年も前から庭に棲みついているリスの家族は、相変わらず樹の洞と、その奥の太い雑木の折れた先端あたりをねぐらにして暮らしている。先日までは、母リスは母乳をねだる赤ん坊を腹に抱えたまま餌を催促に来ていたが、最近は子リスたちも成長し、餌は未だかいと率先してこちらの様子を伺いにやってくる。解せないのは父リスで、相変わらず所在が判然としない。繁殖期だけ母リスを訪問する塩梅だから、どことなく人間臭い。あまり詮索するのも野暮なので特に観察はしていない。
12月某日 ミラノ自宅
朝ポルタ・ジェノヴァ駅まで散歩をする。昨晩の23時42分発モルターラ行最終電車を最後に、155年の歴史をもつこの駅は旅客営業を廃止した。何でも昨日は、最終日を記念して蒸気機関車と古参の厳めしい電気機関車が牽引する特別列車が、ミラノ中央駅からポルタ・ジェノヴァ、モルターラまで運行されたそうで、家にいれば珍しい光景が見られたはずだが、昨日は朝から日がな一日学校だったし、最終日だけ人で溢れかえる様子を冷やかしに行くのも気が引けて、駅には足を向けなかった。
早朝訪れた駅の待合室には、ホームレスとおぼしきアフリカ系の若者ら三人が所在なさげに佇んでいた。ぼんやり携帯電話に目を落とすもの、軽く眠り込んでいるもの、それぞれ大きな荷物を傍らのベンチに置いていて、彼らは特に言葉を交わす様子もない。もう列車が着かないと理解しているのかも怪しげな奇妙な時間とともに、彼らの周り数メートル四方だけ切り取られて、昨日までと変わらない空気が流れているようだ。
ホームでは清掃員の男が一人で箒がけをしていて、昨日の記念式典の後片付けをしていたのだろう。こちらの姿を見つけると「電車はないよ、ホームに入らないで」と大声をあげた。信号機は未だ点灯したままで、「黄色線まで下がって列車をお待ちください」と、自動アナウンスまで定期的に流れていた。踏切で記念の線路の写真を撮る中年男性に気が付き、通りがかりの中年女性たちが「昨日が最後の列車だったのよね」と少し寂しそうに話していた。
ノヴァラで開かれている「l’italia dei primi italiani」の展覧会にでかけて、息子はアンジェロ・モルべッリが特に気に入ったそうだ。希求してやまなかった国家統一が漸く実現し、晴れてイタリア国民となったばかりの画家の描く、建国されたばかりの眩いイタリアの姿。
息子は、訪れた記念にヴェニスの風景画で知られるグリエルモ・チャルディ(1842-1917)の「潟湖(せきこ・ラグーナ)1882」の端書を買ってきた。コバルト色の海面に小さな帆掛け船一艘が浮かび、パイプをくわえた漁夫のあたりから、船上で魚でも焼いているのか、うっすら白く細い煙が伸びている。その白煙の先端は、ヴェニスらしいうつくしい曇り空に溶けていて、「潟湖」と湖に譬えらる姿そのままに、すっかり凪いだ水面には棚引く白雲が映りこんでいる。ヴェネチア生まれのチャルディが描く色斑点画(マッキアイオーリ)は、柔和なヴェネト訛りの伊語のような優しい響きに満ちていて、ジョルジョーネやティツィアーノから受け継いだ光の表現や、薫り高く立ち昇る輪郭をなぞってゆく。それはマリピエロのオーケストラ曲のようでもあるし、ヴィヴァルディやガブリエリのようなヴェネチア楽派の光と影を思い起こさせるだけでなく、マデルナのように、各素材の個性を際立たせながら、空間で素材を自在に遊ばせているようにもみえる。
ポルタ・ジェノヴァ駅は1870年開業だから、ちょうど「色斑点派」が隆盛を誇っていた頃にあたる。当時はここから今はなきセンピオーネ操車場、ファリーニ操車場を抜けて、その頃は共和国広場に建てられていた旧ミラノ中央駅まで鉄路が繋がっていたそうだ。息子が小学校を終えるころ、ポルタ・ジェノヴァ駅から自転車を2台列車に載せては、アレッサンドリアやアッビアーテグラッソ、ヴィジェーヴァノまでしばしば足を延ばして日帰り旅行を愉しんだことを思い出す。病後間もない息子の体力回復に必死になっていたのも懐かしい。
12月某日 ミラノ自宅
山本君からメールをとどいて、中村和枝さんが「Vuelo」を再演してくださるという。折角の機会だからと長年胸に閊えていた懸案を解決すべく楽譜を引っぱりだしてみたが、政治犯として獄死する直前、未だ見ぬ息子への思いを綴るエルナンデスの名詩に曲をつけたこと以外、どのようにして書いたのか、さっぱり解らなかった。尤も、喉に刺さっていた小骨の原因は、漫然とした繰り返しだったから、取り除いてさっぱりした。当時、息子が生まれてまだ2歳くらいだったから、幼稚園にも通っていなかっただろうし、息子を抱きかかえたりして作曲していたに違いない。喜びと不安がない交ぜになった瑞々しさ、初々しさと言い換えてもよいかもしれないが、少し羨ましくもある。この頃の息子と言えば、家人の弾く「展覧会の絵」に合わせて踊ってみたり、広場の階段を鍵盤にみたてて、颯爽とピアノの弾き真似をしてみたり、よく笑う子供だった。
12月某日 ミラノ自宅
ピアノのヤコポが、ガールフレンド手作りのクッキーを持参。「クリスマスだからね」。ジェノヴァからやってきたマッシモは、お歳暮にとシエナの伝統菓子パンフォルテをプレゼントしてくれた。パンフォルテは、一般的に日本人の口には合わない気がするのだが、きんつばを10倍くらい凝固させたものに、シナモンをはじめ香料とナッツ類をふんだんに練り込んだ、かなり癖が強く風味の濃い菓子で、92年、シエナで初めてドナトーニの教室を訪れた際に勧められた。「これを食べたらレッスンしてあげる」と、言われるがまま口に運んだものの、全く美味しいとは思えず困惑していると、クラス中の皆がどっと笑った。
指揮レッスンにやってきたイスラエル人のアリスから「日本でもクリスマスは祝うのですか、日本人の宗教って何ですか」と尋ねられた。「ユダヤ教は今はハヌカの最中で、サンバビラ広場のお祭りに参加してきたばかりなのですが、先日オーストラリアのボンダイビーチでテロ事件があったばかりで怖くて…」。無関係の第三者からすれば、何故わざわざサンバビラ広場なんてミラノの真ん中の人目のつく場所でハヌカを祝うのか理解が出来ないのだけれど、彼らからすれば、主張することそのものがアイデンティティに繋がっているのもわかる。「本当にあんなテロがあると怖くて」と繰返しているので、おずおずと「でもイスラム教の男性が勇敢にも犯人の銃を取上げたよね」と話しかけたが、聞こえなかったのか、聞こえないふりをしていたのか、相変わらず紅潮した顔で「世界中で反シオニズムが広がっている」と話し続けた。居合わせた他の学生たちも、どう反応したものか言葉に窮しているようであった。特にピアノのグレディスがどうも居心地悪そうにしていたから、後でそっと言葉をかけると、アルバニア人の彼女の父親はイスラム教徒で、母親はギリシャ正教徒だという。「尤も、どちらも教会やモスクには通っていないけれど」。
持参したみかんを休憩中に彼女たちと一緒に食べているとグレディスが、「子供の頃、お母さんがみかんの真ん中の白い果心を残して、きれいに皮を剥いてくれてね」と話しはじめた。「果心にオリーブ油を垂らして灯をつけてね、蠟燭にしてくれるの」と懐かしそうに話した。
半ば強引ながら、今日のレッスンで息子は1911年版のペトルーシュカを最初から最後まで通した。もう2回くらい通せば、見通しも良くなるだろう。そんなこと考えながら、のんびり自転車を漕いで自宅に帰宅中、バンデネーレを過ぎたあたりで、突然右の路地から勢いよく車が飛び出してきた。
必死にそれを避けたと思いきや、今度は2、3メートル先で年配の女性が横断歩道を渡っていて、観念して必死にブレーキをかけ倒れたところ、息子の顔が頭を過った後、ふわっと身体が浮いた気がした。
酷い転び方だったからしたたか躰を打った筈なのだが、膝を軽く打撲し左手も軽く痛んだものの掠り傷すらなく、気味が悪いほど無傷で、横断歩道の女性にぶつかることすらなかった。件の乗用車から若い男が駆け出してきて「すみませんでした、大丈夫ですか」と声をかけられたが、息子が家で待っていることばかりが気になり、とにかく家に辿り着きたい一心で「大丈夫です」と答えて自転車に跨った。そこで漸く、背後で車が渋滞していることに気が付き、ここが往来の激しい通りだったと思い出す。本当に何も起きなかったのは俄かには信じられない。あの、「ふわっと誰かに支えられるような不思議な感覚」は、子供の頃、交通事故に遭った際に一度、高校の頃、新島で溺れかかった時に一度体験している。根が楽天的で、良い厄落としが出来たと内心喜んですらいるのは、流石に不謹慎か。
12月某日 ミラノ自宅
「兎に角、何事も無く無事にこの歳を迎えられた事に私は感謝しかありません。貴方がこの歳になる迄、私が生きて来た事も信じ難いほどなのですから。せめて今日はおいしいものをたべてください」と母よりメールが届く。夕刻、中央駅前の事務所で久しぶりにCと話し込む。27年はドナトーニ生誕100年でしょう、と切出すと、「もちろん大切なのはわかるけどね」、「もっと大切なのは今生きている作曲家の作品でしょう」と言われる。確かに実際はその通りなのかもしれないけれど、「どちらも同じように心を砕いてゆくべきではないのか」と自らの裡の誰かが呟く。「そうでなければ、文化は途切れ途切れにしか伝えてゆくことができなくなってしまう」。
息子は今朝早くフィエーゾレまでルッケジーニのレッスンを受けに出かけ、帰りにフィレンツェでFusaro Antonioの羊毛の帽子を購い、「お誕生日おめでとう」とプレゼントしてくれた。円安は進行し、現在1ユーロ184円69銭をつけている。
12月某日 ミラノ自宅
今日は学校の授業のあと、カラブリア出身のガブリエレが、実家で採れたオリーブ油を二瓶携えて挨拶にやってきた。1年ぶりに会うガブリエレは血色も良く、表情も柔和になっていて嬉しい。パートナーのアレッシオも紹介してくれたが、とても温和で好感のもてる男性であった。彼と出会ってガブリエレの生活も落着いたのかもしれない。以前、付き合っていたパートナーは服飾関係で、モデルとしてそのままファッションショーに出てもおかしくない身なりと雰囲気であったが、当時ガブリエレの精神状態が良さそうに見えなかったので、気にかかっていた。早速夕食で、頂いたばかりのオリーブ油をたっぷり使って、オリーブ油の香りを消さないように気を付けながら、ほんの少しのニンニクとアンチョビー、トマトを合わせて軽いパスタを作ると、涙がこぼれそうになるほどの美味しさであった。
昨日は米軍がナイジェリアの「イスラム国」に向け、熾烈なミサイル攻撃を実施。本日は、目の前に迫ったゼレンスキー・トランプ会談に向け、ロシア軍がキーウに大規模攻撃を実施。首都キーウの3分の1が停電中との報道もある。そんな中、イタリアの新聞もフランスのラジオも来年度の日本政府、軍事防衛費の増額について報じている。総額9兆353億円で過去最高金額。前年度予算比で3,8%増。
日本政府、核軍縮担当幹部が「実は我が国も核武装すべきだと思っている」とした発言に対し、中国など周辺各国が強く反発している。果たして、核不拡散運動は単なる白日夢だったのだろうか。ヨーロッパでも、軍の再編成、徴兵制復活の兆しがあって、ドイツでは既に若者らが反発を強めているとも聞く。「こんな時世にあって、もし戦争に巻き込まれたら、お前はどうしたいか」と息子に尋ねたところ、「周りの皆が戦死して自分だけ生き残っていたとしたら、自分一人で生きていても仕方がないから、自分も戦争に行くよ」と言われて、衝撃すら覚える。
無論、彼は戦争の実感など皆無で、実際にその状況に身を置けば違う言葉を発するに違いないと信じてはいるが、親としては、どんな状況に置かれていても、彼には生きていてほしい。非国民で無責任な親と罵られようが、何とか人を殺めずに逃げ切ってほしいと切実に願っている。カルヴィーノが「アメリカの講義」で語っていた「軽さをもって逃れよ」。石像にさせられてしまうから、メドゥーサの顔に直接顔を向けてはいけない。盾に映ったメドゥーサの顔を垣間見るだけで充分なのだ。
アナさんが自宅から持ってきたシンビジウムが、ふっくらと見事なつぼみをたくさん蓄えていて、今朝あたりから、少しずつ綻んできて、絢爛である。蕾のところに蜜がふきだしていて、子供の頃、母がピアノの上に置いて育てていたシンビジウムの蜜をしばしば舐めては喜んでいたのを思い出す。
12月某日 ミラノ自宅
書いている音符に名前を書き入れると、突如として現実感に襲われ、なんだか恐ろしくなることがある。先月フェデーレのレッスンを通訳しながら、フェデーレが「和音や音そのものには意味はないでしょう。しかしそれらを記憶を通して組合せ、巧妙に文法を構築してゆけば、意味すら充分に表現できます」と話すのを聞き、「自分とイタリア人の音楽の根本的な差異はこれだ」と思う。イタリアで暮らし始めた当初、彼らに共通する音楽言語、音楽体系が理解できずに苦しんだのをよく覚えている。フェデーレがこのように話すのは尤もだが、自分にとっては、「某かの手続きを通して導き出された和音や音」の裡には、一種のアミニズムとして何かがすっと宿ってしまう気がしてならない。これがとても日本的な発想なのはよく承知しているし、イタリア人にいくら説明しても、恐らく正格には共有できない感覚であろうし、自分のアイデンティティ、存在の根幹に関わる部分であることも認識している。その上で、結局、違う感覚を持ったイタリア人のなかで暮らすことを選んだ…。
ところで、隣の部屋から聞こえてくるシャリーノに対して、燃え盛るオレンジ色をした巨大な夕焼けを見つめるような、鮮烈な郷愁を抑えられない。シャリーノの音楽の本質はハーモニクスでも特殊奏法でもなく、彼の独特な音楽への強烈な触感が我々の裡に駆り立てる何かではないのか。
ベネズエラ沿岸船舶係留施設を米軍急襲。ロシア大統領私邸をウクライナ攻撃との報道。真偽のほどはわからない。
(12月31日 ミラノにて)