即興と演奏と作曲、音楽する3種類の作業のうち、即興はその場でやってはいるが、何をしているのかわからないまま、記憶にも残らないで過ぎていく。相手を聞きながら、時を見計らって、自分の音をあしらっている。
ピアノ演奏は、頼まれた曲を弾くだけで、他人から見ると、やり方が毎回違うらしいが、自分ではわからないし、計画も方法もなく、その時指が感じた音を出している。作曲家だからといって、構成を考えたり、スタイルを決めたりしたくない。指遣いが決まれば、間合いと強弱はその時々で微妙に変化するし、初めて見る楽譜のように、新しい発見があるかのように、一歩ずつ進んでいくつもりになれる。
でも、一番興味があるのが、作曲で、これが一番やりたいが、だんだんできなくなっていくことでもある、と感じている。新しい響きや方法を求める時代は、1960年代で終わった。記譜法も精密になれば、演奏者の自由を縛るだけだから、新しい記号を使わないで、使う記号の数を少なく、曖昧な広がりを持たせようとしているが、なかなかうまくできない。
コラージュではなく、短い断片をそれぞれ変化させながら組み合わせて、いわゆる自律分散的に、不規則に変化した断片と断片の間のスレ合いが、ささやかで終わりのないズレを生み出すように。
先日初めて相手のいない即興をやってみた。と言っても、相手の代わりに使ったのは、20年前に書いた即興の素材をよく見えないままに、そのように見える形を相手に弾いてみることだった。
ここまでで使ったのは、あしらい、見計らい、ズレとスレ、断片化、揺らぎといった誤読寸前の試行だと言えるだろうか。何かがまだ足りないような気がする。