島だより(12)

平野公子

わたくしは何事にものめりこむ割にはせっかちなところもある。あれっ、逆かもしれない。

ジグゾーパズルの謎解きをやっているような画家たちへの資料調査をひとまず棚あげして、「もし小豆島に小さなミュージアムができたなら」という仮説をたててみた。そこでどんなことができるだろうか、イヤどんな美術館だったら作る面白さがあるのだろうか、というところから妄想仮説資料(資料については事実確認をしながら)をたのまれもしないのにせっせと書き出し、それをわたくしからの報告として、役所のメンバーにとりあえず保存していただくことにした。一年掛けたら何か見えてくるかもしれない。その後2年掛ければ小さな美術館をつくることも可能ではないだろうか。

地方には大きなりっぱな美術館がたくさんある。小豆島は小さい。資力もない。でもどこにもない、ここでしかない美術館を作れる気がしている。残されていた絵のおかげだ。

島に相応しい美術館は海が見えて天井の高い50坪ほどの2階建で充分。一階の半分はオープンキッチンとブックカフェ。島の人が島の食材でつくるごはんと飲み物。持ち出して海辺で食べるのも可なり。境のないあとの半分は企画展や講演会や読書会や音楽会や映画会に使う。二階の半分が100年前から島にスケッチにこられた画家たちの常設展。あとの半分は島民たちの絵画教室スペース。
 
仮説企画展のひとつ 小豆島と小磯良平のかかわりを第一に取り上げてみたい。

小磯良平(1903-1988)は神戸生まれ。東の安井曾太郎、西の小磯良平といわれる近代洋画界の巨星のおひとり。生涯の作品/資料の多くは神戸小磯良平記念美術館(生前のアトリエがそのまま併設)に所蔵されている。あいにく小豆島にのこされている絵は一枚もなかったが、調べた図録で知るかぎり7、8点の小豆島スケッチは記念美術館に所蔵されているはず。そもそも小豆島西村に小磯が建てた小振りなアトリエ(1961-1976)は現存している。小磯58歳から73歳にあたる時期だ。同郷で中学時代2年先輩であった古家新が1961年に水木にアトリエを建てているところから、おそらくその誘いがあったのではないかと推察できる。

小磯のアトリエを見に行った。そこは海を見渡せる小高いオリーブ畑のなかに建つ、こぶりな木造2階屋だった。よくぞ残っていてくれました。嬉しい。小磯良平のアトリエを建てたひとり大工の方はすでに亡くなっておられたが、近くに90代の方が当時の様子を覚えておられるとか。ヒアリングに行ってきます。