週末の飲んだくれた帰り道、私は友人から突然やや厚めの封筒を受け取った。家で読んでみてくれと言う。友人も別の誰かから受け取ったらしい。アルコールが入っていたこともあり、ことの顛末や封筒の中身については何も聞かずにそのまま友人と別れた。
翌朝、その封筒を開けてみると、右上をゼムクリップでとめられたA4サイズの紙の束が出てきた。断章と顔文字がずらりと横書きに並んだワープロ原稿だった。表紙には「グロッソラリー ―ない ので ある―」とあり、下のほうに「忽滑谷源八郎(※ぬかりやげんぱちろうと読むのか?)」と記名してあった。
なぜ私にこのような原稿を託したのか判然しないまま、とりあえず少しずつ読み進めてみることにした。細かい内容には触れまい。ただ、断章はバラエティ豊かで、口語体もあれば文語体もあり、扱う分野も多岐に渡っていた。アフォリズムもあるし実験的な試みもしている。体裁の整合性が取れているとは言い難いが。
そうした奔放さや顔文字の多様から、若いかもしくは複数の書き手によるものかとも思ったが、「わし」と表現しているのを素直に受け止めれば、年配の人間による作品としておくのが穏当だろう。しかしよくここまで書いたものだと感心もした。
さて、タイトルにある「グロッソラリー」とは何のことか。外国語を含む辞書類には一切載っていない。インターネットでかろうじて一件だけ引っかかった。種村季弘氏の『ナンセンス詩人の肖像』である。早速購入し「グロッソラリー」について調べてみた。氏の定義では、「霊媒や意識不明者の発する言葉」とあり、また「グロッソラリーは『グロッソ』(舌の・言語の)と『ラリー』(エルlとrの音の区別がつかず、まさにラリること)の結合語である」としている。
その他のナンセンス関連の本を渉猟したが、「グロッソラリー」については上記の説明しか得られなかった。おそらく言葉としては存在していながらも、使われる機会が極端に少なく、決定的な意味はないのだろう。外国語スペルが見つからなかったのもその証拠と言えよう。忽滑谷氏は酒への言及も多いことから、酔って意識が混濁した状態で書いたと言いたかったのだと推測できる。
また「ない ので ある」のダブルミーニングについて、「ないからある(無という有)」と「ないのである(無)」という具合に作品内容を両方に位置づけたのだろう。こうした曖昧性、意味が複数取れる表現、更には意味の所在が明らかでないものも本文に散見される。また、断章と絵文字のバランスが必ずしも妥当でないこともある。著者の持ち味と解釈しておく。しかし断章の文字数をほぼ統一している点がある一方で、前掲のように不統一な箇所もある点は疑問に残る。何でもありという考えなのだろうか。
前置きはこれくらいにして、まずは読んでみることをお薦めする。忽滑谷氏が健在であることを祈りつつ。
しかしなんで飲んじまうかなあ。酒は飲んでも飲まれるな、か。いいこと言うね、先人は。わしにとって先人とは、おやじしかいない。おやじも言われてたなあ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。おやじにとって先人とは、わしのじいさんしかいない。じいさんも言われてたなあ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。じいさんにとって先人……。
運命は自分で切り拓くもの。努力は必ず報われる。継続は力なり。これらの決まり文句は概して成功者がのたまうので、凡人には今一つぴんとこない。成功の大半が運によるものだとしても同じことを言うのだろうか。人間はよくできたできそこないである。できそこないを束の間ながら勘違いさせるために、運の動きや正体が秘匿されている。
1月1日:深夜2時かないしはそれ以外の時間に、僕は産まれる。胎内にいる時点でへその緒が首に巻きついており、縊死か無念と医師たちを恨んだが、寛恕の心で許す運びと相なった。実は産まれるかどうか結構迷ったのである。いずれクレプトマニアになりはすまいかと嫌な予感がよぎった。僕の予感はよく当たることで有名である。
でもむなしいね。真理と真実を語るってのは。とうとうここまできたか。まあとにかくあれだ。星は輝きミミズはうねる。三文芝居でニンジンぶらさげちゃあ元も子もないのは、最初からわかりきっていた驚天動地だ。おこがましいったらありゃしない。なんたって足指の香りが夜逃げ前日であれば、わしだって一方ならぬ思い入れがある。
ずらんかどっかれ 男それし
びすんかどっかれ 花けしい
血さげもあんらに らもげしし
まきにしおつたら 夢けんじょ
精さつつべよせ ほはたるく
並外れた屈辱や挫折を我が物としてしまうと、人間の性質というものがわからなくなり、自分という人間もどう動いていいのか何を言えばいいのか硬直状態になる。しかし神経戦の多いちまたにあっては、不感症は有力な武器の一つになり、あらゆる局面で勝利をおさめるかもしれない。当人には勝利の実感もなく何の意味もなさないが。
感謝感謝。へそのゴマで感謝。どんどん食い込むおかちめんこ。フランスはいいねアメリカは。知らなくてもいいことがこの世にはある。宇宙の平泳ぎってのは物干し竿ですかい。そうきた日にゃあ四角四面な甘ったれを応援しながら、追いかけて追いかけて追い越すしか間に合わせの老人用おむつはないわい。風はだいたい左から吹いてくる。
企業で働くのは、単に生活と趣味のためである。社訓、愛社精神、ホウレンソウなど余分なものを作られたり求められたりするのは迷惑千万。心の最深部から同調する人は少なくないだろう。カネが欲しくて働いて眠るだけ。一生ラットレース。働くのを一段とつまらなくすることに無意識裡の力を注ぐのは、この国の企業の特徴である。
ぱぎゃがまはらのチルデンコンシャは、うったけほるしながら、ちょちょまるけさらで、やーかーさぎたしるめ。うんば。ダモスしゅうしゅうなかはりつて、いいきょるはんきょりじゃっぱ。しでかんおすみてぱぎゃがまはらのチルデンコンシャは、そってれやってれキゼラマしょうたる。けけけどんしゃんりきにき。ちんたる。
1月1日:「産まれる」という動詞は受動態である。この受動態、時には「迷惑の受動態」と呼ばれる。「見られる」「食べられる」「やられる」などがそれに該当する。僕は少々迷惑だった。それは僕の体の色と関係している。「赤ちゃん」というほど赤くはなく、元より暖色は好まない。そこで「青ちゃんです!」と大人げない反論を試みた。
まずは実験してみていただきたい。日本に暮らす架空の人物になろう。大切なのは食品選び、摂取する順番、咀嚼、女房の実家には気を遣うこと。大反響をいただいた一件のスナックに入ると、戦場ジャーナリストといえども、目の前で人が殺されるのを目撃することはない。その理由を、熟年夫婦の夜の生活をリサーチしたからとしている。
ダボシャツにももひきで白でまとめたってか? 世知辛い世の中、芸術家以外はそうはいかねえ。歩いてりゃ「どこへ行くんですか」、自転車乗ってりゃ「ご自分のですか」。そのくせ「手錠、きつくありませんか」て、気遣いの時が違うだろ。家にいりゃ「生きてますか」とくる。ああ生きてるよ。死ぬ前にせめてその制服を着させてくれや。
さほど親しくないのに、相手を強く抱きしめる人は、信じられない程度の独占欲はおろか破滅への願望を気づかない場所に持っている。裏切られるためにある期待とやらにまた裏切られたにもかかわらず、全幅の信頼を置き続けている人。期待は破滅の類縁関係にあることに、実際に破滅するまで気づかない哀れな人。彼らに花束を。
私は薄味のほうが好きです。
スフェリコンじみた鳴き声のカラスでさえ、消しゴムがけんか四つにうんざりした時なんざ、最後はやっぱり万引き、もとい、正式名称、万有引力のせいで、4時間もストーリーを捏造されて一本とられた。出し抜けの行動ってのは、最後が五里霧中だからどこへでも転がっていけて、畢竟、成功らしきありかを見つけられるのも知らんとはな。
1月1日:言葉が通じなかった。叫んだはいいものの「元気のいい赤ちゃん」との解釈が下された。せめてすれっからしの嬰児とでも呼んでもらえたなら、僕の心中の平和を保てたというものだ。この段階では、まだ首までしかこの世に出てきていない。へその緒もほどけ、ようやく出産の体裁が整った。母なる女性の苦しげな声を耳にした。
まったくどうしたもんかね。早いもんで世も末だよ。世紀の初めが断末魔。赤子の誕生みたいなもんか。ありがたいありがたい。そうは言っておきながら、ひねくれもんが主役に抜擢される道理じゃ。わしゃあどこへ行くのかねえ。古本まつりでせどりながら便意を催す事態へまっしぐらかい。いいにおいのする下衆になんか負けるか。
【死語のランキング】
第1位:KY
第2位:チョベリバ
第3位:やってみそ
第4位:くりそつ
第5位:いらっしゃいまほー
自殺が残された唯一の幸福への道だとしたら、尊重する気持ちを禁じ得ない。この最期の幸福を頭ごなしに否定するのは、殺すことより残酷である。一部の人の間で、死はロマン化されているが、隣り合わせになったら嫌でも悟るだろう。死とは、無感情で泥臭く、手加減を知らず、聞き入れる耳を持たず、どこか爽快感があるということを。
人を見た目で判断してはいけない。外見だけで性格や能力や家柄、はたまた貯金や財産などわかろうはずがない。細かいことを把握してしまうほどの眼力の所有者が、この世にいるわけがない。一人ひとりに個性があり、まさに十人十色。フラット化や没個性が指摘されており、個人の情報に乏しい昨今、人を見た目で判断して何が悪い。
少なくとも普請中ではもうないな。ませいぜい準備中ってところで手を打とうや。おっぱじまったら大逆転かもしれん。そう思いたいね。わしなんか温厚の中でも温厚ななしのつぶてじゃが、近頃の若いもんはそりゃあ寒がりで、そんな有様を目の当たりにした日にゃあ、この歳になってニイタカヤマに登っちまうかもしれん。