ぴったり似合うものを探して

若松恵子

本屋さんを覗くと光野桃の新刊が出ていて、7年ぶりのファッションエッセイ『おしゃれの幸福論』を買ってきてさっそく読んだ。90年代半ばから、ファッション誌に登場する彼女のエッセイを見つけては、ぽつぽつ読んで、ファッションの嗜好はまるで似ていないにも関わらず、どこか魅かれるものがあって、本が出ているのをみつけては読んできた。彼女の人生とともに綴られてきたエッセイ集が何冊も私の本棚に大切にとってある。
初期のエッセイには、彼女がミラノに住んでいた頃の想い出と共に「洗練」や「成熟」が描かれていて、彼女の綴る文章に、遠く憧れの思いを呼び起こされて、それが気持ち良くて、読んでいたような気がする。
そのうち、彼女は、ずっと書きたかった「小説」を書くことに専念すると宣言して、エッセイの仕事を減らし、長い時間をかけて2冊の小説を上梓した後、仕事に区切りをつけ、夫の転勤についてバーレーンに行ってしまった。雑誌に登場したその頃の記事によると、仕事を引退するつもりだったようだ。小説家としては成功することはできなかったが、彼女が書いた2冊の小説は、独特の形をもって、忘れがたい味わいを残した。
その頃は精神状態が悪くて、バーレーンに行ったあとつらい毎日を送っていたという事が帰国後に書かれたエッセイには綴られている。
バーレーンから帰国した彼女は、母親の介護やつらい精神状態を何とか乗り越え、執筆活動を再開した。再び彼女の姿を雑誌にみかけるようになり、友人のような親しみをもって私も再び彼女が綴ったものを読んでいる。
6歳年上の彼女は、私よりほんの少し先を歩む人だ。最新刊の『おしゃれの幸福論』では、これまでのスタイルが似合わなくなってくる年齢を迎えて、縛られていた価値観から自由になって、新しい自分の魅力をみつけることの大切さを語っている。相変わらず、自分をみつけきれない苦しさについて、彼女は語っている。ぴったり似合うものを探す旅を彼女は今も続けているのだ。彼女の紹介するコーディネートを参考にしようとして読んでいるわけでもなく、どこか魅かれて彼女のエッセイを読んでいる。いつも、いつも、「こうありたい」と決意している彼女のきまじめさにどこか共感しているからなのだろうか。