気まぐれ飛行船(2)

若松恵子

「柘植ディレクターは『きまぐれ』は音楽番組ですと断言した。」という言葉が1979年7月発行の『FM fan』のなかにある。79年6月30日に東京新宿のツバキハウスできまぐれ飛行船5周年を祝うパーティーが開かれた。その様子を伝える記事のなかの柘植有子さんの発言だ。

この記事を見ながら、「きまぐれ飛行船について、音楽番組ですか? トーク番組ですか? とよく聞かれましたけれど、音楽番組として作っているからという気持ちがいつもあった。」と柘植さんは話してくれた。「インタビュアーに”トークばっかりの回もありますよね”と、つっこまれたりしたのだけれど、たとえ1曲しか掛けなかったとしても音楽番組なのだという気持ちだった。」という。

今は、ダウンロードすることで多様な音楽を手に入れることができるようになったけれど、かつて、聴きたい曲があって、レコードを手に入れることも出来なくてラジオにリクエストして掛けてもらって聴くという時代があった。ラジオが唯一音楽を届けてくれる魔法の箱だったのだ。

「片岡さんは、ラジオからエアチェックして自分の好きな曲だけを集めた特別のテープをつくるリスナーの気持ちが分かっていたから、イントロにかぶせて曲を紹介したり、途中でフェードアウトしたりすることが決して無かった。可能な限り、1曲をきちんと初めから終わりまで掛けた。」と柘植さんはいう。
オンエアのなかで、録音しやすいように、まず先にまとめて紹介して、曲を続けて掛けますと言って、レコード会社から苦情を受けたこともあったそうだ。「曲が終わった後、テープを止める間をとってから話し始めるので、放送事故にならない程度に編集で間を詰めたこともある」と笑いながら話してくれた。

番組で掛けた曲が順番に記載されているキューシートを柘植さんは長い間保管していたという。事務所を引っ越す時に残念ながら処分してしまったという事で、もう見ることは叶わないけれど、『FM fan』に載っているほんの一部の曲目を眺めるだけでも充分楽しい。ある回に掛った曲を探して、その並びで聴いてみるという遊びをいつかしてみたいと思う。

「たとえ1曲しか掛らなかったとしてもきまぐれ飛行船は音楽番組」という言葉は胸に響く。たしかに、この1曲が聴けただけでも満足。そういう曲と出会える番組だったのではないかと思う。ラジオというもの、音楽というものを両方深く理解している人たちがつくっていたことが、番組の魅力につながっていたのだと思う。

これは、大名曲ばかり掛ったということではなくて、例えば1978年11月27日の「蔵出しおもしろLP大会」で掛けたミセス・ミラーという人はイギリスの有名な大音痴おばさんで、オーケストラをバックに朗々と歌うはずれ具合が大爆笑だったというが、そういう奇妙な曲も掛る稀有な番組だったのだ。中華街で見つけてきたという美人歌手「李成愛」の特集をしたり、柘植さん持参のレコードにスクラッチが入っていて困った時に片岡さんは「スクラッチが入っていないのはつまらない」と言っていたという。

もちろんビートルズの1962年のオーディションテープを紹介したり、日本語でロックをやる人やレゲエをいち早く紹介するという正統のすごさもあった。
「番組を通して片岡さんに色々な音楽を教えてもらいました。LPのおもしろさを教えてくれたのも片岡さん。それまではヒット曲を集めたベスト盤を買っていたけれど、LPはアーティストが自分の音楽をどのように聴いてほしいかが表れていて、流れがあるから本来は全部最初から最後まで順番に聴くのがアーティストへの礼儀だということを教えてくれました。」と柘植さんは言う。番組の中でLPを1枚ずつ紹介するコーナーもあった。「スイート・ハーモニー」(マリア・マルダー)「欲望」(ボブ・ディラン)「MENTANPIN Ⅱ」(まんたんぴん)「島田祐子メルヘンをうたう」(島田祐子)「スマイル」(ローラ・ニーロ)…取り上げられたLPの題名を見ていくだけでもうれしい。

冒頭で触れた『FM fan』の記事に、片岡さんの言葉が紹介されている。
「いかにも”作っている”という感じの番組にはしたくない。自由な感覚で選曲し、話をしていく、そこからリスナーが感動とまではいかないが、ちょっと幸福な気分になってくれたら、それで最高です。いま、スタッフ全員で南の島にでも行き、そこで買ったレコーとその島の話題で番組を作る、そんな夢を抱いているんですよ」
夢の番組は実現されたのだろうか? 片岡さんがこんなことを想いながらマイクの前に座っていたというだけでも充分だけれど。