犬狼詩集

管啓次郎

  61

二人のどちらがより立派に食事をするかが娘たちの賭けの対象だった
数年も腐らないマージャリーンがパンに分厚く塗られる
透明な坂道の甃石としてキウィとグアヴァが選ばれた
透明な鳥たちが芳香と判断する匂いが町をみたす
個体の識別には消えない署名が必要だった
鮫の歯を上手に利用してそれで墨を入れる
椅子と椅子のあいだでみずからの背中を橋とした
きわめて幾何学的なデザインだがそこにも血が流れている
四月の夕方が鈍く重く曇った
筆圧の重圧にカモメが低く飛ぶことがある
長い首をした鳥が狐の腹にくちばしをさしこんだ
痛みと音がむすびつかないようガラスを舐めてゆく
指の一本一本に蒔絵の唐草紋様をつけていった
粉骨という作業もあるとマニュアルには書かれている
視覚を触覚に翻訳するスーツで2hの訓練を受けた
所有の解消のためにもぐらたちが見えない署名を集めている

  62

Animaliaは地名ではないがあえて地名のように捉えていた
その土地を走り回ろうという欲望に抗うことができない
貝殻を拾ってみると意外にぽろぽろと崩れた
その丈夫さによって緯度を判断することができる
Simple life を選ぶかterra firmaを選ぶか、かれらは集団で迷っていた
森で彫り出した二枚の板を合わせて舟を作ろうと思う
シンボリズムとして強い色を選ぼうとするとき赤と黒に行きついた
身体をきちんと制御するために白砂糖をぜんぶ床に捨てる
文化のすべては借り物で特に言語はそうだと料理人が話していた
ヴァイオリニストから転向した胡弓奏者はフィンランドに移住する
一個の胡桃の最良の使用法は便箋代わりにすることらしかった
宛先を書くのが至難の業で試みてもたぶんどこにも届かない
一度通り二度と通らないすべての道路がなつかしかった
広大な小麦畑の中で車を停めると夏の嵐のようにさびしくなる
感覚が鋭くなるからと諸感覚の分離を試みたことがあった
だがだめだ、こぶしのような雹がきみの車の屋根をでこぼこにする

  63

かなりの時間をかけて分水嶺の東へと移動した
方角の迷いを解決するためにキツツキの巣を訪ねる
Juke box を見かけるたびJudentumを思っていた
どの川にも岸辺の石に腰をおろす人がいる
魚との交感を知らなければ川のすべては鏡だった
川底の小石がゆでられる卵のように踊っている
水源の池があると聞いて険しい斜面を登っていった
足が滑るたび迷信だと思いつつ火打石を鳴らす
秘密の祭壇が山頂の草地にあった
草はみずから火を放ち灰になって年ごとの更新を果たす
アンドラできみに会うといったのに着いたのはネヴァダ州の一角だった
その地名を消せ、さもないと、連想が野生化する
音楽が不意に聞こえるたび時間が撹拌された
鰹とシイラの論争にフェニキアの衰亡を思うことがある
犬が起き上がるたびに希望をことわざ化した
もう帰ろう、あの山頂へ、しずかに焼かれた草地へ

  64

舞踊家が詩を書くとすべてのスタンザに「踊る」という動詞が出てきた
私(画家)はピンクと緑の配合だけで跳躍を表す
彼女(舞踊家)は進行方向を迷わず句読点はすべて省略した
絵筆を洗えば洗うほど鮮明な叫びをあげる
始まりを記念して植樹したところすぐ林ができすぐ森に変わった
生息環境の維持によって個体数を魂の数と一致させる
遍歴を表すのに俳諧の言語はきわめて不十分だった
雲の写真を並べることで土地と土地の差異を表現する
鼓動に独特なシンコペーションを与えるつもりだった
稚鮎やフカの鰭を食べ罪だと思わないやつらは芸術を語るな
小学生に課せられた最初の課題は盛大な焚火を作ることだった
空が部分的に燃えているのを予定された損失と見なす
「降りる」という語で「宿る」を意味したけれども同時に死を含意させた
早朝の無人の地下街で「無原罪のお宿り」が高らかに告げられる
おれもそろそろ左耳だけにトルコ石を飾ろうかと思った
そのために欠けている銀の台を大西洋の海底に探す

  65

刻み目を入れた魚を干す風が山にむかって急上昇するようだった
塩の身に対する情愛が太陽の手をやわらかくさせる
スープ(湯)を薄味に保ち乾燥した実をいくつも入れた
波打際に舞う砂粒のような味わいが一日を明るくする
野生動物といってもまさかイリエワニまで想定していなかった
飼育中のヒグマが外に出て空から降る雪を鼻先と舌で受ける
魚を獲るという意図が環形動物に対する知識を豊富にした
文字にも文書にも文彩にもおさまりきらない言葉がある
行為の禁令という観点からするとき世界宗教は完璧だった
波打際の水中に舞う砂粒は存在の始点/終点のいずれに近いのか
生涯の洗練も摩滅も落雷のエネルギーで一気に解決したかった
溶岩が流れこむ海岸への道路を竹箒で掃き浄める日系の老人がいる
アスファルトが沼のようにやわらかくて歩けそうになかった
風の強さは南極大陸の標高三千メートル地帯に匹敵する
Ventoux という名は風を実体と捉え形容詞化したものだった
滑空のための翼を借りられたならそこから飛んでみます

  66

芝生の上の壊れた家具の散乱がテリトリーの崩壊を思わせた
新しい何かが生まれるためには瞬間の切断が必要だ
時間が水のように連続するとは誰にもいえることではなかった
Ce の綴りをツェと読むかチェと読むかをなぜ問題にしないのか
砂といっても生物由来と鉱物由来では手触りがまったくちがった
生物に時間を足せば石、鉱物は生物に常時とりこまれている
朗唱により空間を埋めて明朗さをきみにあげたかった
自動販売機にお礼をいわれても答えられないのが悲しい
翼龍の整然たる進化が列柱の整列を歪ませた
目的を欠いた行進だったため悲壮感と笑いがない
アーネムランドとトレス海峡のいずれも訪問する計画を立てた
南が少しずつ転回して「南と北」になる
ジュゴンを夢で見たときその目の位置が思い出せなかった
Norfolk とNorwichの違いがずっと気になって仕方ない
遠くのものをめざすときだけ詩は必要なmomentumを得た
疎ましいものを考え抜くときのみ美に必要な錆が得られる