しもた屋之噺(116)

杉山洋一

みさとちゃんの「瀧の白糸」二回目の公演を終え、漸く就学児となり会場で演奏を聴けるようになった息子を連れ、先ほど帰宅しました。前回の公演は、まんじりともせず画面に見入って、殺陣の場面が強く印象を残したようで、帰りしな繰り返し話してくれましたが、今回は、また見たいとせがむので連れてゆくと、始まってすぐに「またこの映画なの!」と落胆を顕わにした後、ずっと眠りこけていたそうです。今回面白かった場面を尋ねると、記憶にないと至極真っ当な返答が返ってきました。

ところで、みさとちゃんの「瀧の白糸」は、演奏する程に面白みが増して飽きることがありません。奏者それぞれに違った旨みが感じられる筈ですが、指揮する立場からすれば、演奏の度に映画を相手に鬩ぎあう臨場感と心地よい緊張はこの曲独特のもので、同期に夢中になるより寧ろ、映画と音楽が互いに影響し合ってきざはしを一段一段昇るのを確かめる感覚に近いと思います。前回の演奏から久しぶりに楽譜を開くと、それぞれの素材が実に無駄なく、有機的に書かれていることに感嘆しました。

本番前、ふらりと楽屋を訪ねてくれたみさとちゃんと雑談しながら、作品が全体の構成から音の選び方まで、思いがけず論理的に書かれていることに気がついたと話すと、「そうなのよね。でもそれは実は偶然なの。実際のところ、どうやって書いたのか記憶にないのだけれど」と彼女らしく答えてくれました。偶然であっても、透徹とした客観性は最後まで貫かれていて、映画に媚びずに、一定の距離を常に保ち続けて相手を見据えていて、「だから旨く映画と音楽が融合するのかなあ」。そんな話をしていると会場の呼出しベルが鳴って、「ここにわたしのバッグを置かせておいて!」と慌てて客席に走っていきました。何と言っても今回は演奏家の皆さんが白眉で、ほんの少し顔を向けるだけで思った通りの音を返してくれるのです。ですから本番中も驚くほど魅力的な音が沢山あって、冥利につきると思っていましたが、実際のところ「瀧の白糸」は指揮者は殆ど何もしないので、演奏者と作曲者の技がより際立ちます。

この一週間前まで、まるでジャンルの違う「ファルスタッフ」にかかりきりでしたが、「ファルスタッフ」の初演と「瀧の白糸」の原作、泉鏡花の「義血狭血」は図らずも1年違いで発表されていて、「ファルスタッフ」と「瀧の白糸」の現代語からの距離感に、ちょうど似た部分を感じました。実は日本語の方がよほど変化が早い印象を持っていたのですが、近代から現代にかけての変化は、見たところ同じ程度で、なるほど「義血狭血」を読む感覚で、現在のイタリア人はヴェルディのオペラを聴き、読み下しているのかと、ずいぶん乱暴な論法で溜飲を下げたのです。

この夏は地方に出掛けている時間が長く、インターネットでニュースを読むより、毎朝気に入った新聞を買って、くまなく読む習慣がついたのですが、膨大なインターネット情報を選んでいるより、新聞を一紙読みきる方が、ずいぶん充実感があるのに驚きました。休み時間には、本も駅の本屋で買い込んだりして随分読みましたが、特に印象に残っているのが溜池山王駅の本屋で購入した内澤旬子さんの「世界屠畜紀行」だったのは、実はイタリアに住み始めてすぐの頃から、屠畜について気にかかっていたからでもあります。

留学して二年目くらい、仲の良かった近所の八百屋の親父に、とびきり美味くて安いステーキを買いにゆくからと連れて行ってもらった肉屋は、街外れの野原にぽつねんと建つ看板すらない普通の一軒家で、細い道路を隔てて向い側には、2、30頭の肉牛が牛舎で飼われていました。不思議な肉屋だと訝しがりながら友人の後をついてゆくと、玄関の扉の前に地下室に降りる細い階段があって、そこから胸を突き上げるむっとした生肉と血の強烈な臭いが漂っていたのを覚えています。友人に分らないようにそっと息を止め階段を降りてゆくと、天井からぞんざいに吊り下げられた血も滴る枝肉が並ぶ中で、赤く染まった白いツナギの作業服姿の、肉屋の主人が黙々と枝肉を切り分けていました。

痩せ型で少し頬もこけた主人は口数も少なく、不気味に感じたのは雰囲気に呑まれていたからに違いありません。友人は挨拶もそこそこに、嬉々としてどの肉でステーキを十枚、自家製ソーセージ十何本とごっそりと頼んでいましたが、「今朝屠ったばかりで、きっと旨いよ」と応えつつ、厚切りのステーキを一枚一枚切り落としてくれました。初めて嗅ぐ強烈な臭いに食欲などとうに失せていたのですが、折角だからお前も買っていけと強く勧められ、仕方なく2、3枚血の滴る生臭い肉の塊を包んで貰って持ち帰りました。帰りしな細い階段を昇って外に出ても、生臭い臭いは身体や服にすっかり染み付いていて、吐き気すらこみ上げてくるのを我慢して友人の車に乗り込むと、牛舎の方からか、「パン」と乾いた銃の音が辺りに響きました。

祖父が生前網元で、子供の頃から魚を食べて育ってきたせいか、元来肉食に特別な愛着もなく、ただ生臭い肉片を冷蔵庫に残しておきたくなくて、その日の夕食に早速塩コショウをして調理したのです。正直なところ自分では臭くて食べられないのではないか、そんな危惧すら持っていました。ところがどうでしょう。口に入れた瞬間、今まで食べたこともないほどの美味しいステーキの味に、思わず鳥肌が立ったのです。信じられないような肉汁と旨みに、官能的なほどの感激とえも言われぬ罪悪感との間で、人生が引っ繰り返る程の衝撃を覚えました。

あの時あの肉片を嫌悪感を持って口に運び続けていたなら、或いは後に菜食主義者になっていたかも知れませんが、ともかくあのステーキは理屈抜きで自己嫌悪を覚えるほど美味だったのです。それ以来、ことあるたびに屠畜について考えるようになり、自分たちが日々頂いて暮らしている命について考え、あの体験に深く感謝するようになりました。もう少し大きくなったら、普段スーパーマーケットのパックの肉片しか知らない息子にも、ぜひ同じ体験をさせてやりたいと思っています。

そうして「世界屠畜紀行」を読み終えたとき、ふと今まで自分が余りに無知だった、原発との関わりともどこか似通っている部分を薄く感じていました。今回数ヶ月に亙り地方都市に通っていると、東京では見え難い様々な社会の構図が浮上って見えることもあり、たくさんのことを学びましたが、その中で、原発問題は思いもかけず自分たちの仕事から遠い存在ではないことも知りました。何れにせよ自分のように外国で過ごす時間の長い人間が考えたところで、誰に対しても無責任な発言しか出来ないのは明白で、自分に与えられた仕事を、せめても誠実に精一杯に勉めるより仕方がないと思っています。

先述の通り、今回日本で仕事をするなかで、日本の演奏家の飛び抜けて高い技術や意識の高さに改めて感激しましたし、演奏家や作曲家だけなく聴き手の存在も含め、音楽文化に関わり支えている全ての人に対して、心からの敬意を新たにしました。これだけ生活が豊かになったなら、ともすれば意識が希薄になって白けてしまいそうなところを、常に謙虚で弛まない向上心を持ち続けていることに強い感動を覚えたのです。それは自分にとって何にも代え難い未来への希望を体現していて、日本での無数の出会いにこれほど励まされるとは思いもかけませんでした。ミラノに戻ってその感謝の気持ちを些末であれ社会に対してどう還元してゆけるのか、そう考えれば襟を正さなければならない気もするし、不謹慎とは自覚しながらも、沢山の思い出を旅支度に詰めつつ少しばかり胸を躍らせてもいるのです。

(8月28日三軒茶屋にて)