犬狼詩集

管啓次郎

  39

読むことがこれほど問題になった海岸はない
文字の海岸だ
文学の海岸だ
外国と外国語がさまざまなかたちで漂着する
陽光と砂と波の無限の演奏の中で
移民たちが生きるための説話を探している
そのころぼくはある言葉を発話してそれとは
まったく違うことをいうとか、同時にいくつもの
相反する意味を伝えることなどに没頭していたので
紫外線を浴びすぎることもまったく気にならなかった
そのうち自分が自分自身のメタファーでしかないような
人生に飽きてしまい、歩き出すことにした
海岸線とはそれ自体無限
一歩毎につま先がさす方向を変えるようにして歩きつづけた
魚の頭を嚙んでとどめをさす漁民たちに会った、その先に
ダイアモンドの頭を光らせて巨人が眠っていた

  40

歩くことは穴に落ちることで
穴はときどきポータブルな海溝の深さをもっていた
まるで底が見えない怖さを反転させて
太陽ばかり見上げるようにした(見つめることができないものを)
水面下の一定のレベルで
マンモスが泳ぐところを想像してごらん
そんなふうに大きくひとつに群れた魚たちが
決然と一方向に泳いでゆくのだ
生命の回遊する層はいつでも頭上にある
そこでは聖アントニオが歴史的な説教をしている
やがて星から落ちてくるかけらを木の葉と思いこんで
にやにや笑う魚たちが上陸を計画する
それでぼくも水から上がることにした
熱い砂を裸足で歩くときがきた
その苦痛を乗り越えたとき空が紫色に光る
この苦痛を覚えておくため足首に墨を刺した