くりさんが沖縄に来た。

仲宗根浩

七月、相変わらず暑い。最高気温は32度か33度。猛暑日というのはないけれど暑いものは暑い。なんなんだこの湿気。家の中も32度。そんな暑さの中、自分用のパソコンが壊れた。起動しなくなった。OS以前に起動しないBIOS。ハードディスクでは無さそう。ハードディスクは取り出し、バックアップ用の外付けケースのハードディスクと入れ替えるとちゃんと認識される。データはなんとか復旧できそう、と軽く考えていたら、アクセス拒否ばかり。知り合いのプログラマーにアクセス拒否の解除方法を教えてもらい、無事データ移行完了。ふ〜。

六月末にメールが来た。沖縄旅行に来るとくりさんから。くりさんは私が大学でちょいとおもしろそうだな、と入った筝曲研究会というサークルの講師兼OB。この人に筝の手ほどきを受けた。そのとき初めて、人から楽器の弾き方を教えてもらった。中学生の頃からギターを弾き始め、たまたま家にピアノがあったので白鍵だけ弾いたり、黒鍵だけ弾いたり、ギターのコードをピアノで弾いて遊んでいただけの輩にはそれは新鮮なものだった。でもくりさんはこちらが先生と呼ぶのを嫌がった。だからずっとくりさんと呼んでいる。今回の沖縄旅行は奥さんの還暦祝いで、仕事が一切絡まない旅とのこと。珍しい。こちらが学生の頃、くりさんは師匠の沢井先生の近所に住んでいた。くりさん宅に何度もお邪魔して酒を飲み、麻雀をし(麻雀の手ほどきもくりさんに教わった。博打の才能が無かったので弱かったけど)、いろいろ遊んでくれた。真面目に音楽の話をしたり、他愛のないことで喧嘩したりといろいろ迷惑をかけたけど、今思えばあれ以上の濃厚な付き合いをした人はいない。沢井先生からは何度も破門になった、というくりさんだったけど、こちらがくりさんの家に入り浸っていたので沢井先生の引越しの手伝いや、年末の忘年会にはお筝屋さんの矢野さんの、「あいつらも呼べ!」の一声で私を含めた筝曲研究会の野郎共は召集され、9時間に及ぶ酒とカラオケの渦に巻き込まれたりした。

今回の沖縄はたまたま、こちらの休みと合ったのでどこで合流するか、ということになり宮古島から来るメンツもありこっちは飛行機の時間を知らされていたのでバスとモノレールを乗り継ぎ那覇空港で合流した。合うのは十四年ぶり。向こうは白髪だったりこっち頭髪が無かったりと見た目の違いはあるものの、話せばすぐ昔の調子になる。空港からはくりさんが手配したレンタカーの運転手に徹し、普天間飛行場、嘉手納飛行場、昼酒ポイントを案内、車中では昔と変わらない馬鹿な話。宿の那覇まで送り届け本格的な宴会に突入。こっちは那覇には疎いのであらかじめリサーチしたところを案内、しこたま痛飲。翌日は水族館に行く、というのでその帰りに家の前まで来てくれ、車に同乗し再び那覇まで。自宅近くに、こちらの日常では顔を合わせない方々が実際にいる、という不思議感を抱きつつ十年くらい前に行ったきりの栄町市場を案内し痛飲。今回来た還暦付近の皆さん、一日中痛飲上等の方々ばかり。七月初め、こんな台風のような方々が来たと思ったら、八月の初めには本物の大きな台風九号が近づいている。