断片から種子へ

高橋悠治

要素から全体を構成する あるいは全体を分析して構成要素にたどりつく このやりかたでは 全体は閉じている 範囲が限られ 細部までコントロールされた一つの構成は 予測をこえないし 発見の悦びがない

ひらかれた全体を異質な断片の組合せで構成するやりかたもある 1960年代にヨーロッパで「管理された偶然」と言っていた音楽のスタイル その時代には 図形楽譜のさまざまなくふうもあった でも 組み合わされた全体が 紙の上に見えているなら どんな順序で断片をひろいあげても 全体の枠の外には出られないだろう

「断片」はこわれた全体の一部を指すことばだから 創造のプロセスが停まらないようにしたければ 「断片」をつぎあわせるのは いいやりかたではないかもしれない 異質なものが出会うコラージュには衝撃力がある 絵なら 画面の上で自由に視線をさまよわせることができるが 音楽ではそうはいかない

音の流れには方向がある それまでのできごとの残した記憶は消えない できごとの時間順序を変えると 結果はおなじではない 後に起こったことが近く感じられて 先に起こったことの効果に影響する 音楽では コラージュは 絵のような効果はもちにくい 

すぎてゆく時間のなかを通りすぎる音は 響きの痕跡が記憶のなかで一つの瞬間と感じられる それをメロディーといってもよいだろう メロディーが完結することはない 音は呼吸で区切られるが その長さはさまざま 余韻でもあり 予感でもある 瞬間のなかの音は この区切りのなかで 作り変えることもできるが 音楽は立ち止まらない 練習するときは どこかで立ち止まって ちがうやりかたをためすが いつまでもこだわっていると 決まった手順のくりかえしになってしまう 作曲するときも 細部へのこだわりと先へすすむ流れとの両方を考えて作業をつづける そのバランスをとるのがむつかしい

ウィリアム・ブレイクの「虎」をきっかけにピアノ曲を書く 日本語に訳してみると 詩はこわれる リズムや響きは別のものに置き換わり ことばの意味もずれていく それでも音楽をはじめるきっかけにはなる その音楽は いったんはじまると ブレイクからも虎からもどんどん遠くなる

  虎  ウィリアム・ブレイク

 虎 虎 らんらんと
 夜の森に燃える
 なにが 不滅の手と眼で
 おそるべきつりあいをかたどったか?

 はてしない深み はるかな高みに
 眼は炎と燃えたか?
 はばたく翼はなに?
 炎をつかむのはだれ?

 力と技がどのように
 撚り合わせたか
 心臓が脈打つと 
 なんとすごい手 すごい足

 金槌は何 鎖は何
 頭脳をきたえたかまどは
 鉄床は何 きつくつかんで
 死ぬほどしめつける

 星たちが光の槍を投げ
 空を涙でぬらすとき
 結果にほほえむのはだれ?
 子羊の造り主か?

 虎 虎 らんらんと
 夜の森に燃える
 不滅の手と眼が
 あのおそるべきつりあいをかたどるとは

ゆったりと呼吸でき うごきまわれる空間があれば 先の読めない流れのなかでひらけた空間に いままで見えなかったものが現れ 見えていたものは隠れる メロディーが自然に移りかわり ただすぎていくばかりだった時間のなかにも めぐりながら変化する季節の風景が浮かぶ 作曲や作品の演奏だけでなく 即興でも ありきたりのパターンのくりかえしや組み換えだけでなく 流れのなかに移ろうかたちが見え隠れするのが感じられるかもしれない 音楽家はもともと音楽の三つのやりかた 即興と作曲と演奏のあいだを行き来するあそびができる人たちだった

種子を風がばらまくと そのうちに隠れていた花があらわれる 待つ時間は 何も起こらなくても たいくつはしない 音楽を運んでいくのは 音だけではない 沈黙もたえずうごいている 

時間順序のなかで 不ぞろいでそれぞれの顔を持った瞬間をどうやって折り合いをつけるのか