島便り(15)

平野公子

昭和45年建立壺井栄文学碑は坂手向かいが丘にある。坂手の海が一望できる広い敷地には花や樹木の多い気持ちのよい場所だ。碑文は生前壺井栄が好んで色紙に書いたというもの。

 桃栗三年
 柿八年
 柚子の大馬鹿十八年

碑文としては、最初いささか面食らったのだが、栄の文章にたくさん触れ、島の柚子をいただき、前方180度に広がる海に接する日々が日常になったいまは、柚子の大馬鹿十八年 がなんとなくすっと無理なく身体にはいってくる。

島の柚子はとても酸味と香りが強く、緑の実は固い。東京のスーパーなどで買っていた柚子とはかけ離れていたものだった。柚子の樹は9年でやっと花が咲き、そのあとまたまた9年かかって実がなるそうだ。知らなかった。ほんと大馬鹿だ。

私の家の回り自生に近い樹々は柚子ほどではないが、それに準じる大馬鹿もいそうだ。長い時間がかかって実をつける山椒の樹は、実をつける、つけないの樹に別れる。実がついている樹でもよくよく味わうと、味が一様でない。辛みのほどよい味、紅葉しても使える樹は少ない。となりの畑のオリーブの樹々も一本ずつ実の色や大きさや育成速度がちがう、匂いまで違う気がしてきた。花も実もある樹は存外少ないということなのか。

壺井栄は1899年(明治32年)8月5日香川県小豆郡坂手村に醤油樽職人の岩井藤吉の五女として生まれ、なんと11人兄弟です。当時醤油屋は醤油を醗酵させる樽を作る職人を抱えていたようです。栄えの小さな頃はたくさんの職人を抱える樽の親方であった父親でしたが、働いていた醤油屋がつぶれ、そこから一家に貧乏な暮しが押し寄せてきたようです。

栄の小学校から十代にかけての生活や労働は小説に姿を替えてでてきますが、どれを読んでもまず家族へのとくに祖母、父母への信頼というか愛情の強さには清々しさを覚える。なかでも私が注目したのは祖母との関係です。祖母が暮らす隠居小屋で栄はいつも一緒に寝たようです。祖母の昔語りを聞きながら、世間の事も祖母の一生も祖母を通しておはなしとして栄の耳に心の奥深くに積もっていったのではないかと想像します。栄のあの語るような物語運びはここから生まれていたのだと言ってもいいかと思います。

小豆島に来てから、私がまず気がついたのはこの島は木、鉄、石、作物をあつかうにしろ、なんと腕のいい職人が残っている島なのか、ということでした。サラリーマンではありません。芸術家はひとりもいないかもです。が、どの分野でも、老いた職人がいます。栄の祖父は船大工でした、若くして海にのまれてなくなりましたが、その息子つまり栄の父親は樽職人として生計をたてます。いまの時代、さすがに木の船も樽も職人はいないのですが、どうもその気質が脈々と残されているのです。