いつの間にか年を越して

仲宗根浩

更新された「水牛のように」を読むと自分の文章、読点の間違いに気づく。出てしまったものはしょうがない。間違いは間違いとしてわかるようにしておこう。

十二月、いきなり暑くなる。勘弁してください、仕事中、これ以上汗をかきたくないんです。そんな中、十二月七日オフ会お誘いのメール。うっ、急すぎる。確かにこちらは連絡いただければ金と時間、工面して行きます、と申しました。が、飛行機も早割りだとなんとかなるものの、一応ネットで東京往復の最安値の料金を調べるが無理だと諦め、仕事先の忘年会に行く。五十名以上が集まる宴会。ちょっと耐えられなかったので、頃合を見計らって逃げる。歩いて四十五分、家の近くの飲み屋で深夜三時頃まで飲むなおす。

そのうち内地が寒くなると沖縄も寒くなる。暖房をいっさいつけてない家の中ではパジャマの上からスエットとパーカーを着てしのぐ。大晦日の日の最高気温十三度と予報。風が強いので外で二十一年ぶりに行った歯医者さんに知覚過敏と診断された歯を風に向かってさらしてみたら、風の冷たさで歯がしみた。

今年は七月からやたら葬式が多く、最後の葬式がひいじいさんの実家の葬式。別の仲宗根の家に生まれたひいじいさんは、うちの仲宗根に養子できた。墓もうちの墓のとなりのとなりにあり、盆には必ず亡くなったおじさんが来ていた。ここでの親戚の幅は広い。別の法事で、戦前のことを知っているおばさん(といってもうちのおばあのいとこの娘)から、そのひいじいさんにわたしが似ていると言われた。昭和二十年に死んでいるので写真は無く今その顔を記憶しているのは何人いるだろう。うちの母親もひいじいさんの顔は知らない。方言でひいじいさんはウフータンメーと呼ばれている。ウフーは大きい、タンメーはおじいさん。

仕事納めが三十一日、仕事始めは一日。学校というの出て大晦日からお正月の三箇日休みというのを経験したのは十年くらい前一度しかない。そのときは奥さんの実家でお正月を過ごした。新年、最初の休みは四日。五日から子供たちは学校が始まる。

一月一日が誕生日のお師匠にお祝いのFAXをしなくては。