製本かい摘みましては(56)

四釜裕子

間奈美子さんのアトリエ空中線10周年記念展 「インディペンデント・プレスの展開」(東京渋谷・ポスターハリスギャラリー 2009.11.13-12.6)へ。これまで手がけたおよそ120点が並び、11月28日には書肆山田創設者である山田耕一さんを迎えたトークショー〈瀧口修造の本と書肆山田の最初の10年〉が開かれた。山田さんは浅草に生まれ、療養先の諏訪で手にした『明暗』以来、本を集めるようになり、詩集については処女詩集をことごとく求めていたそうだ。やがてコレクターから版元へ。10人の詩人へ直接詩集を出したいと手紙を書いたという。本は作家のものであるからわたしはなにもしていない、詩のことはなにも知らない、と繰り返す山田さんだが、間さんと聞き手となった編集者・郡淳一郎さんの問いに応じるかたちで逸話がつまびらかになってゆく。

間さんの本づくりのはじまりは、一枚の紙を折っただけのものに書下ろしの詩がある書肆山田の「草子」シリーズにある。1973年から78年にかけて『星と砂と日録抄』(瀧口修造 1973)や『レッスン・プログラム』(岩也達也 1978)など8冊が刊行されており、瀧口修造がアンドレ・ブルドンからおくられた二つ折りの「詩集」がそのかたちのアイディアのもとで、「草子」の名は浅草生まれ(浅草っ子)の山田さんにあやかってという説もある、と、笑いながら山田さんがお話しになった。この展のために刊行された冊子はこの「草子」の”子”で1030ミリ×728ミリの一枚の紙だ。表裏にこれでもかこれでもかと小さな文字が並んでまったくもー読みにくいな……と眉間にしわを寄せながら読みたいから読む。そこには間さんの〈レコードから詩書づくりへ〉という関心の移動のこと、そしてそれら(”インディペンデント”という呼び方すら!)をなんなく走らせる間さんという身体のひたすらを感じる。バサバサと4回開いて読み、4回折って(帯をかけて)は棚に戻す。

「折り」とうことでいえば瀧口修造の”黒い詩集”こと『地球創造説』(書肆山田 1972)は黒い紙に黒い文字で刷られているが、紙を折るときの竹ベラのあとが本文紙についたものをことごとくハネたので50部刷り増ししたという。印刷は蓬莱屋印刷所。山田さんと蓬莱屋さんの関係は間さんとハタ工芸さんの関係にも等しいのだろう。展の冊子にハタ工芸会長の畑登さんが寄せている。〈ナミチャンの仕事は、儲からんしややこしいし、かなわんわ〉。〈人間が頭で想像できるものは実現可能という向こう見ずな直感を得てしまう。以来、今日に至るまで、できない筈はない、と職人さんたちに無理を言い続けることになった〉(間さん)。それはご自身にも言い続けていることなのでしょう。そしてこれから何十年かのち、間さんも言うかもね、「わたしはなにもしていない」。