メキシコ頼り(24)オアハカのゲラゲッツァ

金野広美

メキシコでは日本の七五三にあたる、子供の成長を願うための大きな行事が3歳の誕生日に行われます。私の友人のデルフィーナが「妹の孫のフィエスタ(誕生会)が7月24日にオアハカであるので行かないか」と誘ってくれました。折りしも7月27日はオアハカのインディヘナの民族舞踊の祭典であるゲラゲッツァも開かれるので、これも見ることができると二つ返事で招待を受けることにしました。

オアハカにはデルフィーナのいとこのマウロの車で行くことになり、7月23日の夜、彼女の息子2人とマウロ夫婦の総勢6人で夜0時半メキシコ・シティーを出発しました。2時間ほど過ぎ、私がうとうとしていると、車が急にストップしました。なんとタイヤと車体をとめてある5本の軸のうち3本が折れたのでした。運転手のマウロはすぐ電話で連絡をとっていましたが、なにしろあたりは何もない真っ暗闇、星だけがきれいに光っているだけです。

4時間ほどすると修理人が車で着きましたが、部品がないとかでマウロと一緒に行ってしまいました。そして程なく別のマウロの親戚の修理工だという人がやって来て直してしまいました。マウロも帰ってきて、さあ出発しようとした時、その親戚の人がもう片方の車輪もとれそうなのに気づき、それからまた部品を買いに行ってしまいました。そして待つこと3時間、やっと両方の車輪が直り、車が止まってから8時間後にようやく出発できました。

くねくねした山道を車はすごいスピードで走ります。マウロの運転があまりに荒いので生きた心地がしなくて、早く着いてくれないかと願っていると、2時間後、またしても車がストップ。なんと今度はエンジンから煙が上がっているではありませんか。エンジンオイルが空っぽになっていました。「もー信じられなーい」でもこれで車から降りることができると内心はほっとしました。この車まだ新らしそうだったのに、メンテナンスが全くできていなかったのです。

メキシコでは車はとても高いのです。給料は日本の半分以下なのに車の値段は同じくらいです。そのため大半の人は月賦で車を買うため、返済に追われてメンテナンスにはお金をかけない人が多いのです。おまけに運転が荒いので道路にはトペといって小さな山型の障害物がたくさん作られています。トペの前ではブレーキをかけてゆっくり通過しないと頭を天井にぶつけてしまいます。何度も何度もブレーキをかけなければならないため車は早く痛みます。だから余計にメンテナンスが必要なのですが・・・・。

おまけにメキシコでは免許証は買うもので、日本のように自動車教習所のテストに合格しないと受けられないものではありません。運転は親に習い、メンテナンスの知識も十分ではありません。友人の話によると、たいがいの人は定期点検などせず、車は故障するまで乗り、故障したら親戚の車に詳しい人に直してもらうというのです。なんとも恐ろしい話です。私はもう二度と個人の車には乗らないことに決めました。

このように散々な目に会いながらも、バスとタクシーを乗り継いで着いた彼女の妹さんの村は、オアハカのパトロナル・デ・サンティアゴ・アポストルという、山あいにある人口300人の小さな村で、緑にあふれたとても静かな美しい村でした。夕方6時に着いたためフィエスタはすでに始まっていました。白のスーツを着たこの日の主役のオスカル君はとてもかわいい子で、みんなに祝福され、はしゃぎまわっていました。バルバコアというトウモロコシの実をつぶしてゆがいたものの上にやわらかい肉がふんだんにのったお祝い料理をいただき、ビールをいっぱいご馳走になりました。祭りのときには呼ばれて演奏するというギターを抱えた親子が、にぎやかなバンダやコリーダ、ランチェーラを演奏し、私もみんなと一緒に踊りました。
村の半数は親戚だといわれるくらいの村なので招待客の数も半端ではありません。多くの人が入れ替わり立ち代り朝まで飲み、食べ、踊り明かすのだそうです。しかし、私たちは前夜ほとんど寝ていないので、11時ごろにはひきあげさせてもらいました。

ぐっすり眠った次の日、デルフィーナたちと別れ、私はゲラゲッツァが開かれるオアハカセントロに移動しました。ここにはホテルで働くベトという友人がいるので彼のホテルに直行。そして同じく友人のエリもやってきて1年半ぶりの再会に話がはずみました。

ゲラゲッツァは年によって開催日が違うのですが、今年は7月20日と27日の月曜日に2回づつステージがあり、この期間中は他のインディヘナの村でも小規模の民族舞踊の祭典が開催されます。華やかなパレードが通りを練り歩き、フェリア・デ・メスカル(ここの名産のお酒メスカルのお祭り)が開かれ、広場では市がたち、メキシコ各地からだけでなく海外からも多くの人がやってきてとてもにぎやかになります。私もベトたちと街を歩き回り、広場では踊りの輪に加わりながら夜遅くまで飲んで、食べて、踊って楽しく過ごしました。

次の日の朝、ゲラゲッツァ会場があるフォルティンの丘に行きました。1万2000人が入る会場は満員で1時間前に着いたにもかかわらず、席を確保するのに苦労しました。1人でうろうろしていると年配のメキシコ人の男性が「ここが空いているよ」と教えてくれ、その男性の隣に座りました。会場では楽団が演奏を始めていたので観客はすでに盛り上がっていて、踊っている人もいました。

今年は12の地域からそれぞれの村に伝わっている踊りが披露されました。サン・パブロ・マクイルティアンギスの「エル・トリート・セラーノ」という踊りは、女性が牛に扮し、男性を打ち負かすというユーモラスな踊りで、男性が舞台から落とされるたびに大きな歓声がわき、マッチョの国でのせめてもの抵抗の踊りのようでなかなかおもしろかったです。また、ビージャ・デ・サーチラからはダンサ・デ・ラ・プルマという大きな直径1.5メートルはある丸くて平たい羽飾りをつけて踊る踊りがありました。これはスペインによるアステカ帝国征服の様子を表したもので、ピョンピョン跳びながら踊るものですが、あとでこの羽飾りを持たせてもらいました。あまりの重さにバランスをとるだけでも大変なのに、これで踊るのだからすごいなあと感心してしまいました。

黒地に色とりどりの花模様をあしらった素晴らしい刺繍の衣装が目をひく、シウダ・イステペックの踊りの音楽は、にぎやかなマリアッチで演奏するワルツで、優美な中に輝く太陽のような明るさのある興味深い踊りでした。このほかにも収穫の喜びを表現したものや、男女の恋のかけひきを表したものなど、それぞれにカラフルな民族衣装と相まってとても美しく楽しいものでした。そして、各踊りの最後にはパンや果物、帽子など、各村で採れたり、作られたものが舞台から客席に投げられ、観客は立ち上がって掴み取るのに一生懸命でした。私は何もゲットできなかったのですが、となりの男性が、獲得したパンをひとつくれました。ほのかに甘くて素朴な味わいのあるおいしいパンでした。

この男性は毎年ゲラゲッツァを見に来るそうで、「インディヘナの伝統舞踊も民族衣装もメキシコの宝で、メキシコ人の誇りだ」と熱っぽく語りました。しかし私は彼の言葉を聞いたとき、思わず反感を覚えてしまいました。それは、メキシコ人が彼らの伝統芸能や美しい手工芸品をメキシコの誇りだというのなら、なぜインディヘナに対する根深い差別を放置しているのかと聞きたくなったのです。

ゲラゲッツァの日だけインディヘナはメキシコ中の、そして、世界からやってきた観光客の注目を一身に浴びて踊ることができます。しかし、次の日からはまた、過酷な日常が待っているのです。彼らがきらびやかに、そして晴れ晴れとした表情で踊れば踊るほど、私はとても悲しくなってきました。そして舞台が終わった時、私一人が祭りの余韻の中、トボトボと歩いていました。