記念日

さとうまき

今年は、JIM-NETができて5周年。2004年6月、バスラから医者が来日して話を聞いているうちに、みんなで力を出し合ってイラクの小児がんの支援をしようよということになったのが6月9日。それから5年間よくも続いたと、大概、5周年記念パーティを盛大にやるものだ。しかし、気がついたら「今年は5周年だなあ。何かやらなければなあ」と思うも時すでに遅し。会場も空いていないし、記念出版といっても今からじゃ到底間に合わない。確かに、5とか10というのは歯切れがいい年であるが、残念ながらチャンスをのがしてしまうのである。

イラク戦争がおきて、すでに6年がたつ。5周年というわけには行かなかったが、6という数字にこだわれば、小学生が入学して卒業するまでが6年間。そこで、イラクの子どもたちがこの6年間の戦争をどう乗り越えたのか、あるいは、途中で命絶えた子どものことも伝えたいと、絵本『おとなはなぜ戦争をするのII イラク編』(新日本出版)を作った。親子で読んでほしい。

イラク戦争が始まり、緊急人道支援を行っている時に出会った子どもたちは、6年もたてば成長している。びっくりしたのは、バグダッドの音楽バレエ学校に通っていたスハッドちゃんだ。お父さんは、学校の守衛をしていたので、音楽学校に住みこんでいた。最初は、学校の脇の小屋に、お父さん、お母さんと兄弟5人で暮らしていたが、バグダッドが空爆され、小屋は爆弾で炎上してしまったので、その後は校舎の中にある、小さな部屋をあてがわれて暮らしていた。 イラクといえば、今はイスラーム教が強くなっており西洋音楽なんて、あまり考えられないかもしれない。レオタードを着て踊るバレエなんていうのも、どうなのだろう。しかし、2002年から2004年にかけて私がバグダッドを行き来していたころは、子どもたちはピアノやバイオリンを演奏し、「くるみ割り人形」を踊っていた。

バグダッドは、アッバース朝の頃に音楽の理論家もたくさん出現したようだ。しかし、2002年、イラク人の音楽家にとって音楽は神にささげるものではなく、サダム・フセインにささげるものに堕し、子どもたちはといえば、サダムを称える歌ばかり歌っていた。

2004年以降バグダッドは治安が悪くなった。特にシーア派の民兵組織は、イスラームに厳格でない人々を粛清し始めていた。アルコールを販売するものは殺す。イスラームで威厳のシンボルになっているひげをそる散髪屋は殺す! パンやも殺す? 医者も殺す?? さすがになんでもかんでも殺していくようなやり方は住民にそっぽを向かれてしまった。

そんな時期なので、音楽を学んでいて、日本とも関係があることがわかると、宗教的にもけしからんし、金持ちだと思われ、誘拐されて身代金を請求されることも考えられたから、一切連絡を取らなかったが、最近治安がよくなって、いろいろな情報が入ってきた。スハッドちゃんの家族は、音楽を今でもやっているというのである。遠くから車の送り迎えつきで通ってくる他のクラスメートに比べて、この一家はとても貧しい。今のイラクでは、音楽を続けていくことは難しいだろうと思っていたのが、なんと、最近ではオーケストラに入って、五つ星ホテルで演奏をしたりすることもあるそうだ。バグダッドはここ数年間、世界で一番地獄に近い都市といわれてきた。そんな中でも、音楽をやっていたということが、とても僕には感動的だったのだ。彼らが、送ってきてくれた写真は、5人兄弟で、バイオリン、オーボエ、ウード、カーヌーンという西洋とアラブの楽器を取り混ぜて演奏している姿。一体どんな音が奏でられるのか、ますます聞いてみたくなったのだ。

ふと思い出したのだが、僕が海外で活動を始めたのが、ちょうど今から15年前。僕はイエメンで内戦に巻き込まれたし、友人はウガンダで内戦に巻き込まれていた激動の時代。ということで、この本は、15周年特別記念出版ということで。