人工衛星が飛んでいる下でザ・フーの映画を見る

仲宗根浩

子供のころ、人工衛星タンメーとみんなから呼ばれていたタンメー(おじいさん)の家に父親に連れられて正月のお年賀やお盆に毎年行っていた。人工衛星タンメーは三線をよく弾き、自作の人工衛星の歌をよく歌っていたから人工衛星タンメーと呼ばれるようになった、と聞いた。その歌はどんな歌だったのか、時代から考えるとスプートニクから始まる開発競争の頃の歌だったのかはわからない。タンメー愛用の三線は父親が形見として貰い今は兄が持っている。人工衛星タンメーはうちのおじいさんのいとこになる。こちらでは親戚の範囲が広いので、戻って十二年になるがいまだにどのような関係か把握できていないところが多い。飛翔体騒ぎで人工衛星、人工衛星とテレビがうるさかったので、人工衛星タンメーのことを思いだした。そういえば今年最初に出た葬式が人工衛星タンメーの家に嫁いだおばさんの葬式だった。

去年公開されたザ・フーの映画「アメイジング・ジャーニー」のDVD、チャック・ベリーのチェス時代のコンプリート集の第二弾「You Never Can Tell 1960-1966」が届いた。フーのほうはデラックス・エディション!四枚組!映画本編より先に三十年もお蔵入りになっていた1977年のライヴ・アット・ギルバーンをまず見る。キース・ムーンのドラムはよたよただ。タムをまわしてもスティックはヘッドにヒットしていない。それでも叩き続ける。「ババ・オライリー」でシンセサイザーのシーケンス・フレーズが流れる。キース・ムーンのスティックはビートを確かめるようにタムタムの上をヘッドに触れることなく無音でまわり続ける。ここからグッときた。涙が出そうになった。このライヴの翌年キース・ムーンはあっけなく死んでしまう。ザ・フーを初めて見たのは中学生のとき。その頃夏休みや冬休みになると名画座ではビートルズの三本立てやウッド・ストック、バングラデッシュ・コンサートの二本立てとかをかけていた。レコードでしか聴いたことがない洋楽をスクリーンで実際に演奏をしている姿を見ることができるのはこういう映画かNHKで放送していたヤング・ミュージック・ショー、あとたまにあるフィルム・コンサートくらい。こっちが興味があるのはライヴ映像だからビートルズの映画は「レット・イット・ビー」の屋上ライヴ(この映像も近々完全な形で出るようなはなしもあるけど、このライヴをおもしろくしているのはビリー・プレストンの参加の賜物だろう)しかおもしろくない。パッケージ化され、時間もかっちりと決められアドリブ、アンコールさえ許されない契約にがんじがらめにされたビートルズの前期のライヴは全然おもしろくなかった。いつの間にかビートルズのレコード、CD類は一枚もなくなってしまった。で、四枚目は1969年のロンドン・コロシアムでのライヴ。「トミー」の全曲ライヴ映像。映像は粗い。でもかっこ良すぎ。数日経って映画本編を見たら、これがまた抑制のきいたいい内容だった。これでまた泣きそうになる。

チャック・ベリーの「You Never Can Tell 1960-1966」は相変わらず、HIP-O Select の丁寧な仕事。レコーディングの年月日、参加メンバーの詳細なクレジット。スタイルはより多様になり洗練されている。詩人としてのチャック・ベリー、表に出ない作曲者としてのジョニー・ジョンソンの関係を教えてくれたのがキース・リチャードが制作した映画「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」だった。HIP -O Select からはジェイムス・ブラウンのシングル・コンプリート集も出ている。今、このレーベルのこの二人のコンプリート集でR&B、R&Rの基礎の基礎を勉強中。