136 閉館

藤井貞和

あたりの書架がまぶしかったから、
少年は、
中城(なかじょう)ふみ子歌集を盗み出した。
乳房を喪失する少年の図書館。
ぼくは自由の女神にさよならする。 「ノミ、
すら、ダニ、さへ、ばかり、づつ、ながら」。 
ああ、定型詩と「さよならだぜ」。
黒雲が覆う自由の女神、
かえらないだろう、ふたたびよ、
ぼくらの図書館に。 ノミ、
カエル、ヘビ、ダニが、
詩行から詩行へ跳躍する、
ぴょいぴょいのうた。
閉館。 光がとどかない館内に、
短詩をまた送っちまって。

(古いメモに、「なんという広津さんの思い隈〈ぐま〉。かくあるべきがほんとうなんですと、ナショナリストの推理作家の手を握り、広津さんは静かに泣いていたと、週刊誌が報じている。苦労したという直木賞作家の記事の傍らで」と。短歌から自由律へ向かう途中で、小説が光ったということだろう。『乳房喪失』〈一九五四〉は中城の歌集。広津さんは広津和郎。推理小説作家は松本清張。「ナショナリスト」云々はよく分からない。直木賞作家もだれのことか、わからない。松川事件の最高裁判決〈二審へ差し戻し〉は一九五九年八月。)