梅雨入りまえとあと

仲宗根浩

五月、最初から清明のための墓掃除を午前中に終え午後から一族揃って墓の前お食事。地震のため毎年来ていた熊本組はいない。友人からのメールでまた大きい地震が来るとのデマのため水や食料品を集めているひとがいたり、家に帰ったら冷蔵庫の扉が開かないように養生されていたり、浴槽に水がいっぱいはられていたり、と。大きい地震が来るとデマが流れた日はなにもなかった。

五月の連休、一日だけ子供と休みが合う日があったので最近地元で話題となっている瀬長島に行く。見事に混んでいる中、なんとかお目当てのものにたどりつき、そのあとお嬢さんは引き潮の海岸で遊ぶ。それを眺めながら、海岸からは那覇空港から離陸する飛行機を眺める。離陸は見えるが着陸が見えない。海岸から道路に上がるとぎりぎり見えた。

引越しはしたが自分の部屋がまだに片付いていない。片付けが終わらない。奥さんと娘の部屋はベッドも組み立て終わりそれぞれの部屋で寝ているがこちらはダイニングに置かれたソファーで一ヶ月以上経っているのに、まだ寝ている。片付けが遅々として進まないと端からは見えるようだが牛歩のごとく進んでいるのを気づいてくれない。夜中に整理片付けをやっていると眠れないと苦情。三枚しか処分できなかったCD。もっと減らすことができると思っていたがCD-R、DVD-Rを忘れていた。それ以外オーディオ用のケーブル類。要らないものがどんどんわいて出てくる。そのうちに梅雨に入ったがしばらくすると雨が降らない暑い日が続く。夜は熱帯夜でエアコン大活躍。

そのうち街は静まりかえった。延々と終わることがないトラックの障害レースみたいに同じようなことが起こる。一年を一周とすると生まれて五十三周。復帰して四十四周、陸上の三千メートル障害と同じでルールは変わることはない。熊本に転校した小学校の焼却炉の前で「沖縄人のくせに」と同級生から言われた。どんな経緯かは忘れたが言われたあと何も言わず黙って無視したことだけは覚えている。