最近、アラブ音楽なるものを聴き始めてみた。
アラブ音楽との最初の出会いは、3ヶ月くらい前に遡る。アラブ文化史の研究者(中町信孝さん)による『「アラブの春」と音楽』(DO BOOKS)という本を読んだ友人が、熱烈にプッシュ。本の中で紹介されているアラブのポップミュージックをあれこれyou tubeで聴かせてくれたのだ。アラブの音楽というと、悠久の、砂漠の広大さを思わせる、たゆたうような旋律、くらいのなんとなくのイメージしかない。歌なしの伝統音楽のイメージですらあやふやなのだから、歌詞ののったポップスとなるとますますわからない。
ところが、友人は熱弁を奮う。その旋律に郷愁を誘われるの! しかも歌が生まれる背景にストーリーがあるとか。「”アラブの春”のバックには、若者たちがみんな一緒に口ずさめるアラビアのポップスがあったんだって。Hip-hopもあるけど、他にも懐かしい感じの音楽があっていいんだよね」。
エジプト方言で歌われるポップスは略して”エジポップ”というらしく、友人は特にこのジャンルが推しだという。中には政治的プロテストを刻みつけるような、荒々しい曲調のhip-hop曲もあれば、合間にキング牧師はじめ、各国の政治指導者たちの演説シーンをコラージュして埋め込んだ作りのものある。でも例えば、革命中のタリハール広場で生まれたというシュプレヒコールが歌になったロック曲「自由の声」は、優しい昔懐かしのメロディ。動画に登場する若者たちの姿も笑顔だ。
Twitter越しに、アルジャジーラの中継で”アラブの春”の熱狂を見ていた5年前が思い出され、現地ではこんな優しい歌が口ずさまれていたのか、と70年代風の旋律とのギャップに私も興味を惹かれていた。
日常に紛れて、その後すっかり忘れていたアラブ音楽が記憶によみがえったのは、ヨルダンのアンマンから1年の留学を経て帰国したばかりという、また別の友人の友人に出会った時だった。アンマンと聞いて、「私の親友がアンマンにちょうど仕事で行ったばかり、向こう2年間は滞在するそうで」と初めて会ったその人に切り出したところ、「アンマンにいる日本人なら大抵わかります。お名前は?」と言われる。彼女の名前を伝えると、なんと日本に帰国する2日前にその人と会ったばかりだという。あら、不思議なご縁で、と見知らぬ中東世界でつながった二人の姿を思い浮かべていたら、エジポップにはまっていた友人とアラブ音楽のことも同時に思い出されてきた。
思えば彼女には、この前日に会ったばかり。さらに、私の失恋の落ち込みを心配した彼女は、私を励まそうとLineに「1日1男子」というグループを立ち上げていた。その日に会った男性の写真をLineにアップせよ、というなかなかハードルの高いミッションが掲げられており、私は日々それをこなさなければならなかった。毎日新しい男性に会うようにね、そうしているうちに失恋など忘れるでしょう、という友人の優しさに満ちた企みとも言えるのだが、私は “男子”の写真を送るために、ある程度目の前の男性と距離を縮めなければならない(急に写真を撮れるものではない)。その後、程なく挫折することになるこの試みも、この日はまだ始まったばかりだった。
そこで私はアンマン帰りのこの男性に、アラブ音楽の話題も振ってみたのだ。すると、アラブの美空ひばりと称される歌手の話から、アラブポップスの現在まで、話はとどまるところ知らず。アラビア語を学ぶならばかつてはシリアが良かったが、今となってはヨルダンが最も治安が良いこと、エジプト、モロッコ辺りと比べて、ヨルダンの言葉はローカライズされていない標準語に当たることなど、アラブの見取り図をつかめる話もたくさん聞くことができた。さすが、アンマン帰り。タイミング逃さず「アラブ音楽、とりわけエジポップ好きの彼女にもあなたのことを紹介したい」と、彼の写真を1枚撮らせてもらったのだ。
アラブとアラブ音楽の話題でつながった私たち3人は、昨日、とあるライブハウスで開催されたアラブ音楽会に出かけてきた。そこでは、アラブ全域で開催されるアラブアイドルのオーディション番組、「アラブアイドル」に日本人として初めて出場したという、日本と中東の架け橋になろうとする女の子が伝統的アラブ音楽を歌い上げていた。どこか日本の演歌を思わせる調べ。聞けば、演歌も歌うのだという。彼女のアラブ音楽との出会いの話も興味深かったので、また次の機会に。