空知川は石狩川の支流である。トップ川も石狩川の支流だ。トップ川の支流がソッチ川という渓流で流れも速い。トップ川が一足先に石狩川に注ぎ込み、少し下流で空知川が流れ込む。この合流点の少し川上の河原で、中学生のころクラスの仲間とキャッチボールをした。すっかり忘れていたが、それぞれの川の位置関係を地図で調べて、ああ、ここだ、と思い出した。
河原までは自転車ですぐだった。集団行動がまるで苦手なわが人生において、徒党を組んであちこち移動していた唯一の時期だ。中学2年のほんの一時期。教師を試し、親を試した反抗期。それ以前もそれ以後も、そしていまも、集団はまるでダメだ。たぶん、あれは生まれて初めて「みんな」に受け入れられたときだったのだ。
初めておなじ年齢の女の子たちといっしょになった小学校時代は悲惨だった。思ったことをすぐに口にする性格は、相手が女子だろうと男子だろうと、おかまいなし。理不尽と思ったらずけずけ言って抗議する。教師に怒鳴られても、従順になどならない。ふりができないのだ。男の子から「ナマイキダ!」とさんざんいじわるされて、女の子からは敬遠された。ごつい男の子に毎日のように泣かされる女の子を正義感からかばうと、その女の子のお母さんから「ありがとう、よろしくね!」なんて感謝されたこともあった。小学4年くらいだったかな。
でも5、6年になると、集団となって群れる、湿気の多い女の子たちから、後ろ指をさされるのがじわじわと堪えた。そんなひとりぼっち感から解放されたのが中学2年のときだったのだ。突然元気になった。元気にならないわけがない。河原でキャッチボールだってなんだってやる。
でも、いま思い出してみると、せいぜい5人までが限度だった。人数がふえると手に負えなくなる。女王のように君臨する力がないのだ。だって、そこからいつのまにか自分がいなくなるのだから。ひとりになりたくなるのだ。漢の武帝の詩が身にしみる。
なんでいまごろ川のことを思い出したかというと、ある理由から国木田独歩の「空知川の岸辺」という短編を読んだからだ。(青空文庫よ、ありがとう!)空知太はさておき、「歌志内」という地名は忘れようにも忘れられない。三井住友系の炭鉱町で、そこに母の実家があったのだ。
独歩の「空知川の岸辺」に何度も出てくる「歌志内」も炭鉱が閉山されてからは人口減に見舞われ、幼いころに母や兄とよく降り立った駅「文殊」もいまはない。はかなく無残な石炭文明。