今、僕はシリアのことをいろいろ考えて本を書こうという気になった。8年にわたる「シリア内戦の分析」をする。というわけではない。僕が、25年前の7月19日に初めてシリアに行ってから25周年という記念日なのだ。
久しぶりに25年前のノートを開いてみた。まだ、ハーフェズ・アサドの時代。驚くほどアナログの時代。インターネットもなければ、デジタルカメラもなかった時代を信じる方が難しい。今は、スマホ一台ですべてが補えるのだからすごい進歩だと思う。だからこそ、民主主義も進歩したはずなのに、シリアの今は内戦が続く。そんなことを徒然なるままに筆を執ってみる覚悟をして、25年前のノートを読み返してみるとなかなか興味深い時代だったんだなあと改めて感じた。
1994年8月
ダマスカスの工業省に赴任して間もない夏。ウマイヤッド・スクェアにバスがさしかかった時、アラビア語で書かれた垂れ幕がやたらと張ってあるのが目に付く。一緒に乗っていた職場のシリア人女性に聞いてみるが、「明日までに調べておくわ」。きっと政治的なスローガンが書かれているのだろう。
アパートに帰ってラジオ・ダマスカスを聞く。このころFM放送で英語放送をやっていた。国会議員の選挙があるらしい。一般庶民のシリア人はあまり新聞を読まない様だが政治には本当に無関心だった。
少し昼寝をして町をうろつく。確かに町中がポスターやら垂れ幕やらでお祭りの様ににぎわっていた。テントが張られていて、裸電球とシリアの国旗がたくさんぶら下がっている。椅子がならべられていて、奥には大統領と1994年1月に不慮の事故でなくなった長男のバーセル(バッシャール現大統領の兄)の写真がかざってあった。トルコ風民族衣装に身を包んだ給仕が、ちらほらと集まってきた近所の老人達にアラビアコーヒーを振る舞っていた。実にのどかな光景のなかで日が暮れていく。心地よい夜の風が吹く。
突然車のクラクションが鳴り響く。子供が走ってくる。そして肩車された若者がやってくるとみんなは拍手喝采で迎え入れる。今度は、ひずめの音がしたかと思うと馬にのった男達がやってくる。こういうときは、絶対ロバではだめだ。彼らは、候補者の名前を叫ぶと、「あんたが一番!あんたが一番」とたたえる。小さな子供達も選挙運動に参加していた。ポスターを広げて候補者の名前を叫んでいる。若者は、興奮していろいろと説明してくれるが、僕にはさっぱり理解できなかった。
結局「おまえも一緒に来い」と言われて子供達と一緒にトラックの荷台に乗せられた。トラックは急発進すると次の目的地へと向かった。トラックの運転は手荒かった。しっかりとしがみついていないと振り落とされそうだった。曲がる度に子供達は荷台を転がり回っていた。商店街に入ると通行人が手をふって応援してくれる。やがて車は高速道路下のテントへ到着した。ここにはお歴々がそろっているらしかった。
中国人かといわれ、「いや、日本だ」と答えると、「じゃあ空手ができるんだ」。子供達が寄ってくる。カメラを見つけるとサウルニー(私を撮って)とせがむ。大人がやってきて子供達を叱りつけ追っ払ってくれる。うるさいガキどもを追っ払ってくれるのは実にありがたいのだが、必ず「さあ!俺を撮るのだ」とくる。結局、フィルムの無駄遣いはさけられない。当時はデジカメなんかなかった。
「コーヒーを飲むか」。彼らが差し出してくれたのは、カルダモンの香りが効いた濃いコーヒーだった。まるで九州人のようにお猪口で回しのみをするので、一気にぐっとやってしまわなければならない。僕は進められるままにこのコーヒーを3杯も飲んでしまったので胃が痛くなった。
「ところで、君たちの候補者は一体だれなんだい」
「マハディーン・ハブーシだ。彼にたのめばなんでもやってくれるさ 」
「そうさ。本当だよ」小さい子供までが付け加えた。
選挙運動はだいたいこんな感じで進んでいった。公約を宣伝カーでふれまわるようなことは決してなかった。夜、しかも決められた場所で有権者にコーヒーを振る舞う。灼熱の太陽が没した後に人々は集まり、お茶を飲み、トルコ風の剣の舞を楽しむ。
投票日
この日は投票日だった。投票はだいたい小学校などを利用して行う。俺はいつものようにカメラを持ってカファルスーセの町をうろついていた。近所の就学前の少女がついてきた。小学校の前にさしかかると、調子の良さそうな連中が「おいで」と言ってくれる。シリアの小学校は高い壁に覆われておりそれはまるで刑務所のようだった。運動場もない。
「それは、子供達が脱走しないようにさ」
「じゃあ、やっぱり刑務所だ」
女の子に「さあ!一緒に行こうか」と言ったが怖がって中には入ってこない。中では警官の立ち会いのもと、投票が行われていた。何ら緊張感がなく皆楽しそうに選挙を手伝っていた。女性の選挙管理委員もいる。みんな歓迎してくれて写真を撮らせてくれた。すると警官がやってきて俺に職務尋問をした。そして「俺を撮れ」と言ってポーズをとった。写真を撮ってやると、二人の警察官が俺の両脇について、「さあ!出るんだ」と言って外へ連れ出された。
俺が連れ出されると、入り口で待っていた女の子が「どうだった?」と駆け寄る。「まあまあだよな。写真もとれたしね。君もそのうち刑務所に行くんだ。でもそんなに怖がることはないよ」と諭した。
翌日のシリアタイムスの一面には、「投票は自由と秩序、そして正義の名の下におこなわれる。投票率61.18%、158人が新人。女性議員は28名。民主主義の自信にあふれた結果である」と賞賛した。
そして25年経ったシリアの民主主義の行くつくところはどこなんだろう。答えを求めて若者たちは戦っている。