水牛的読書日記(3)「牛」と「らば」と「烏」、生きのびるうつくしいものたち

アサノタカオ

 「女こそ牛なれ」

 歌人の与謝野晶子がそう書いたのは、1911年、明治・大正の「新しい女」たちが集った雑誌『青鞜』創刊号の巻頭詩、「そぞろごと」でのことだった。「水牛的読書日記」なる文章をつづる自分にとって、見過ごすことのできないことばである。
 「そぞろごと」において、「山の動く日来(きた)る」「すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる」などの強烈なメッセージを次々に繰り出し、同時代の女性たちの自由と自立を鼓舞した晶子は、「元始、女性は太陽であった」と訴えて青鞜社を立ち上げた評論家、平塚らいてうの先輩にあたる。晶子もまた、婦人参政権など女性問題について数多くの評論を執筆した。

 「女子が男子と同じ程度の高い教育を受けたり、男子と同じ範囲の広い職業についたりすると、女子特有の美しい性情である「女らしさ」というものを失って……よろしくないというのです。
 私は第一に問いたい。その人たちのいわれるような結論は何を前提にして生じるのですか。」

 2018年のこの国では、東京医科大学など複数の大学医学部が入試において女子受験生らを一律減点するなど不正に扱ってきた事実が明らかにされ、性差別・性暴力に対する抗議と怒りの声が高まった。いまから100年以上前の晶子の問いかけは、とりわけ教育における男女差別の問題をいち早く指摘した点など、現代でも通用する鋭さをもつ。
 しかしその女性論は、今日的な視点から読むと、社会背景をめぐる慎重な考察を抜きにして個人主義的な自助を強調するきらいがあり、素直にうなずけない箇所もある。そして太平洋戦争時には、かつて「君死にたまふことなかれ」と反戦を歌った彼女の思想は、心情的な戦争協力へと傾いた。
 しかし、読者としていつも心がけていることがある。先達の言論に関しては批判すべきは批判しつつ、けれど高をくくってあっさり退けることはしたくない、ということ。「山だ!」「おなごだ!」「目を覚ませ!」「動け!」「太陽だ!」「進め! 進め!」と吠え、体制派の男たちから糾弾されてもなおひるまずに吠えた胆力によって、まだ名付けられていないフェミニズムを拓いた彼女らの功績を決して過小評価すべきではないとも思う。歴史の声に、耳をすませたい。受け取るべきバトンが、きっとあるはずだ。
 さて、「女こそ牛なれ」を含む与謝野晶子の詩の一連は以下の通りである。

  「鞭を忘るな」と
  ツアラツストラは云ひけり。
  女こそ牛なれ、また羊なれ。
  附け足して我は云はまし。
  「野に放てよ。」
 
 「また羊なれ」と続くのだから、ここでいう「牛」は先々月に紹介したあの「孤独な、連帯する、動じない水牛」(エドゥアール・グリッサン)の思想とは異なるものだろう。鞭打たれ、こき使われ、飼い慣らされる「家畜」といったところか。
 鞭を忘れない主人は、女嫌いの男たちである。封建的家父長主義に隷属させられ、自己が自己でないものにつながれる「牛」であり「羊」である女たちの「ゴルディウスの結び目」を晶子は詩によって一刀両断し、「男女平等主義」と「人類無階級的連帯責任主義」に向けてわれらを解放しよう、と呼びかける。
 さあ、女を、自分自身を野に放ちなさい。精神の自由へと超えていきなさい。砂漠のような荒地でおたけびをあげる誇り高い野牛のヴィジョンに、晶子は女性解放の未来を透視した。

  * **

 「この世のらば」

 ゾラ・ニール・ハーストンの小説『彼らの目は神を見ていた』(松本昇訳、新宿書房)の中で、かつて奴隷だった老婆が語ることばである。ハーストンは1891年生まれ、アフリカ系アメリカ人の女性作家の先駆者、ちなみに与謝野晶子や平塚らいてうの同時代人だ。
 1920〜30年代のニューヨークで起こった黒人文化運動「ハーレム・ルネッサンス」の渦中を彼女は生き、小説のみならず人類学や民俗学の仕事も残し、やがて人びとの記憶から消えていった。白人社会の人種差別に抵抗した運動家や作家、男たちの名前は「レジェンド」として後世に伝えられたにもかかわらず。
 1970年代に入って彼女の再評価のきっかけをつくったのが、『カラーパープル』(柳沢由実子訳、集英社文庫)で知られる後輩の黒人作家、アリス・ウォーカーだった。ハーストンの著作は、いまから20年以上前のことだが、大学生の時代に熱心に読んだことがある。ちょうどその頃、新宿書房から作品集の翻訳が次々に刊行されたのだ。
 そして興味を惹かれて読んだアリス・ウォーカーのエッセイ(『母の庭を探して』[荒このみ訳、東京書籍])を通じて、彼女たちが亡きハーストンの本の復刊を企画するかたわら、フロリダでこの忘れられた作家の足跡を探して墓石のない墓所を発見し、お金を出し合って新しいお墓を建てたということも知った。思い起こすたびに、胸の熱くなる文学史上のエピソードだ。
 
 「黒人であり女であるとは、この世でもっとも低い場所に押しこまれていることなのだ、白人から圧迫され、黒人の男たちから圧迫され、つまり黒人であるということは「この世のらば」であるということだ……。「この世のらば」という表現は、いまでも黒人の女たちに共感をもって使われている。繰り返しこの言葉が発せられるのをわたしは聞いた。……
 けれども、なんとしなやかな「らば」たちであることか。いのちの力をあふれさせた、うつくしい「らば」たちであることか。彼女らのしなやかさと力強さと美しさの源泉は何か。」

 ハーストンのことばを引きながら、こう語るのは『塩を食う女たち——聞書・北米の黒人女性』(岩波文庫)における藤本和子さんだった。あいかわらず藤本さんの著作をこつこつと読み続けているわけだが、先月取り上げた『ブルースだってただの唄——黒人女性の仕事と生活』の前作にあたるこの本もまた、本当にすばらしい。
 タイトルにあるように聞き書きの本だから、主人公は語り手の黒人女性たちで、聞き役に徹する著者の声が舞台にあがることはあまりない。
 だが『塩を食う女たち』には、「生きのびることの意味——はじめに」という、やや長めの藤本さんによる序文が収録されていて、聞き書きをする自己の内にある問いについて省察している。歴史的な苦難の中で、人間らしさを失わず生きのびるとはどういうことなのか。女であるとは、黒人であるとはどういうことなのか。知るだけでなく、自分は何を学ぼうとしているのか。
 聞き書き家としての藤本さんの「耳」は、出会った一人ひとりの黒人女性たちによるほかならぬ個人の語りを、個人の語りとして尊重しながら、その中で集団的な歴史がなにごとかを語りだすあり方に注意を向けている。
 「声」の個体発生は、系統発生を繰り返す。いまここで黒人女性たちが発する喜びや悲しみは、単に個人的な感情を吐露するものではない。それはきっと彼女の母親たち、祖母たち、共同体の無数の祖(おや)たちがかつて経験した喜び、悲しみを、凝縮した形で一から語り直し、生き直していることばである。語り手は「代弁者」として、声のバトンを運んでいるだけ。
 「けれども、なんとしなやかな「らば」たちであることか。いのちの力をあふれさせた、うつくしい「らば」たちであることか」。黒人女性たちの語りの中で、生きのびることをめぐる個人の意志と集団の意志がふと重なる瞬間を、藤本さんは「うつくしい」と表現しているのだと思う。そんなふうに、ぼくは理解している。
 『塩を食う女たち』を読みながら、聞き書きをする藤本さんの背中越しに、たとえばユーニス・ロックハート=モス、39歳の「強さや勇気」「しなやかなところ」があるひとりの黒人女性の体験談に耳をすませる。
 彼女は西アフリカ、ゴレ島へと旅をした。セネガル、ダカールの先にあるちいさな島。それは、「ルーツ」への回帰の旅だった。フェリー乗り場で、針金のように細い体のアフリカ人の女が大きな薪の束を頭に乗せて運んでいるのを見かけたユーニスは、自分でも試してみたいと思ったが、薪の束を持ち上げることすらできない。その場にいた、大きな体の白人の男にも持ち上げるよう頼んでみたが、できなかった。
 そのとき、ユーニスの心にある「理解」が訪れた。アフリカ人は無力なのではない。黒人の祖先は、白人社会で言われるような愚か者でも怠け者でもない。逆に特別にすぐれているからこそ、大西洋の中間航路を横断する海の旅と奴隷の時代と解放後の歴史を生きのびることができたのだ、と。「それなら、あたしもきっとすぐれているのだ。個人としても」。
 その後、ユーニスはアフリカの内陸部、ニジェールあたりの砂漠を旅したようだ。あたりには、牛の死体がごろごろ転がっていた。この不毛の地を自分は無事に横断できるのだろうか、強く感情を揺さぶられたまま、旅するユーニスはこんなことを思う。

 「あの牛にもできなかったことじゃないか、あたしにできるわけがあるのだろうかって。」

 またしても「牛」である。生きとし生けるものたちが、砂漠という過酷な自然環境の中で生きのびることの厳しさに、ユーニスの「いのち」の記憶はおののいたのだろう。けれども、アフリカの大地で自己に生きるための古く新しい道を見いだし、誇り高い精神の野牛となり、「新しい女」として生まれ変わった彼女は、精神の砂漠をたしかに渡りきった。文庫本のページを閉じて、そんな思いをかみしめた。

  ***
 
 「今年は『青鞜』創刊から110年、与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の刊行から120年。節目の年です」

 信濃毎日新聞文化部の記者、河原千春さんがそう教えてくれた。河原さんは同紙で、長野出身の女性史研究家もろさわようこさんに関する連載「夢に翔ぶ——もろさわようこ94歳の青春」、そして「いま、もろさわようこ」を執筆している。粘り強い取材と調査にもとづく力作の記事なので、関心のある人はバックナンバーを探してぜひ読んでほしい。
 さて、今回なぜ与謝野晶子の話からはじめたのかといえば、目下、晶子の評論集を制作中だからだ。それは、もろさわようこさんが編集と解説を担当し、1970年に出版された『激動の中を行く』を再編集した本で、新版は晶子の「女性論」のベストセレクションと言える内容になっている。河原さんにも編集の協力をしてもらい、現在96歳のもろさわさんから、新しい序文の原稿もいただいた。世紀の時間を宿した文のたたずまいに一読、背筋がぴしっとのびた。
 もろさわさんは、1970年代前後より在野の立場で女性史の研究と著作活動をおこない、やがて東京ではないローカルを拠点にして交流施設「歴史を拓くはじめの家」を長野・沖縄・高知に開設している。芯の通った思想と行動のひとで、電話で打ち合わせをした際に聞いた凛とした声の調子からも、そのことを感じた。「平塚先生がおっしゃっていましたが……」などと、歴史上の人物との出会いを懐かしそうに語っていた。
 「おんな」という用語を手掛かりにして人間の歴史の中に「自由・自立・連帯」のヴィジョンを探求するもろさわさんのことばも、未来の世代に伝えたいと願うバトンのひとつである。
 「彼女らの語り声は、わたしたちの背の向こうで、いつか声を与えよと待っている日本の女達の生を掘り起こし、彼女らの名を回復しようとする私たち自身に力を貸してくれるかもしれない」。北米の黒人女性の聞書集の冒頭に藤本和子さんが記したメッセージを心の片隅におきながら、『おんな・部落・沖縄』(未来社)や『南米こころの細道』(ドメス出版)など、出会いを求め、辺地を旅するもろさわさんの著作を読み返している。
 「私が書き残さなければ、女性達の本当の姿が浮かび上がらない使命感ですよ」と信濃毎日新聞の連載記事で、もろさわさんは河原さんに答えていた(2019年2月27日)。
 デビュー作『おんなの歴史——愛のすがたと家庭のかたち』の旧版(合同出版)の巻頭には、もろさわさん自身が若き日に山深い故郷からの旅立ちの決意とともに記した一篇の詩が掲載されている。

  烏よ
  風は梢の緑をうら返すだけなのに
  お前はなぜそんなに騒ぐのか

 女たちの書物の中に、精神の「牛」がいて、精神の「らば」がいて、精神の「烏」がいる。声が聞こえる。隷属の結び目をみずから断ち切った、自己を生きる誇り高き野のものたちの。主人に飼い慣らされることも、「わきまえる」こともしないものたちの。詩は、こうつづく。「声たてている烏よ/お前は知っていたのか/ひとりの女の質素な心が/生きる傷(いた)みに堪えながら/それでもなお生きることを喜ぼうとして……」
 「お前はなぜそんなに騒ぐのか」。歴史を生きのびてきたうつくしいものたちが時を告げる集団的な声に、女性史研究家としての出発の日、もろさわさんもまた耳を澄ましていたのだ。