刺され考

新井卓

ちょっと大変なことになってるーーベルリンの隣人から、そう連絡があった。日本に一時帰国して二週間あまり、うっかり閉め忘れた浴室の換気窓から鳩たちが入り込み、わたしたちのアパートでパーティを開いていたらしい。部屋じゅう糞だらけ、棚のグラスは落とされて床には破片が散乱している、という。隣人は赤ん坊と二人暮らしの母親で、人が触れたものが気持ち悪いからバスも電車も乗らない、という極端な潔癖症の彼女が、できる限り掃除をしておいた、というので申し訳なくて頭が下がる思いだった。

そういえば春になってから毎日、玄関の外のドアマットに小枝が散乱していたのを階下のこどもの悪戯に違いない、と決めつけたのは、鳩の巣作りだったのかもしれない。鳩の巣は呆れるほど適当なつくりなのでそれと気づかなかったが、いま思えばそのあたりからわが家をマークしていたのかもしれない。

ドイツにいると、よほど南部の山あいにでも行かない限り自然に脅かされる「あの」感覚はなく、すっかり油断していたところにささやかな自然の侵入を許してしまった。いま久しぶりに川崎に帰り、近ごろめっきり見かけなくなった空き地の草叢や多摩川のほとり立つだけで、この列島の自然がいかに絶えず押し返していなければ押し負けてしまう強靭な存在であったか、はっきりと意識する。

「あの」感覚とはどんなものだろう、たぶん虫刺されに近い感じではないか、と考えてみる。虫刺されの感覚と症状はわたしたちの皮膚でおこる。皮膚は〈わたし〉と他者、外界を隔てる境界だがその境目はやわらかく、無数の感覚受容器が配置されている。境界は外界から個体を守る防壁であるとともに外界に向かってひらかれた唯一の窓だから、その窓からいろんなものが入り込んでくるのは防ぎようがない。

感染とか汚染が望まない訪問客としても、それらと交感するたびわたしたちの身体は変容する。出会いとわたしたちが話してきた言葉によって、わたしたちの身体が作りかえられるのと同じように。

いまこのテキストを、廿日市の清流のほとりで書いている。清冽な水に傾いた陽があたり美しいけれど、わたしの皮膚は過去何度かのブユの訪問を思い出してわずかに緊張している。このあるかないかの絶えない緊張は、確かにわたしの身体のありかたと確かめる。

刺されの遍歴について。十歳のころ、父に連れられて出かけた丹沢でマダニに噛まれたことーーその小さな虫はその頭を深々とわたしの皮膚に食い込ませ、無我夢中でわたしの血を求めていた。おどろいて引き剥がそうとすると頭から下がちぎれてしまい、後日医者に頭を取り除いてもらわなければならなかった。ヤマビルは見た目の衝撃力がすごいが、やはり無理に剥がそうとせず、慣れてしまえば大したことはない。山で何度かやられて生態を調べるうち、なんと孤独で忍耐強い生き物かと畏怖を覚えさえしたし、夏に出回る寒天でできた和菓子みたいな卵の写真にもちょっと感心した。

清らかな水辺にしか棲息しないブユは、どういうわけか少し神秘的であると思う。あの小さな虫が(ちなみに熟れた果物にわくコバエとは親類らしい)わたしの皮膚や免疫反応に及ぼす影響の極端さに毎度驚かされる。原発事故のあった年の夏、飯舘村でブヨに刺されたわたしの二の腕はラグビーボール大に膨れ上がり、痛痒さにしばらく眠りを妨げられた。目に見えない、と言われつづけた放射能汚染は感じることができないのに、こんなにちっぽけな虫に大騒ぎするわたしの皮膚/身体に驚かされたものだ。

オハイオのモーテルで南京虫にやられ、大小のハチはもちろん、インドサシバエとか、フィンランドの核廃棄物最終処分場の森で巨大な蚊の大群に襲われ頭全体をぼこぼこにされたことのあるわたしの刺されの遍歴はーーいろいろ思い出してちょっとむずむずしてきたーーわりあい豊かなほうだろうか。それにしても、こうして振り返ってみれば刺されの記憶はどれも鮮明で、その前後の旅やさまざまの記憶を強化してさえいることに気づく。

ベルリンに帰ったら、徹底的に部屋を掃除しなければいけない。鳥にアレルギーのあるわたしの身体はどう反応するのだろう。ドイツには森がない、とか、本当の自然がないなどと放言してきたわたしへの戒めとあきらめようか。