水牛的読書日記 2023年6月

アサノタカオ

6月某日 そろそろ寝ようかなと食卓でぼんやりしていたら、「文学ってなんのために存在するの?」と春から大学生になった娘に聞かれた。ここでヘタを打つようでは、編集者としても親としても失格だ。3年に1回ぐらい、子を通して人生から真剣勝負を挑まれるような正念場が訪れる。学問ともジャーナリズムとも異なる「文学」の意義について、夜更けまで話し合った。

6月某日 神奈川・大船のポルベニールブックストアで店主の金野典彦さん、本屋lighthouse の関口竜平さんのトークに参加。関口さんが著書『ユートピアとしての本屋』(大月書店)で書いている「出版業界もまた差別/支配構造の中にある」というテーマについての話に考えさせられた。出版編集に関わる者として考えるだけではなく、行動しなければ。

6月某日 ZINE『ケイン樹里安にふれる——共に踏み出す「半歩」』を読む。マジョリティの特権を「気づかず・知らず・自らは傷つかずにすませられる」ことと鋭く表現した社会学者で、昨年急逝したケイン樹里安さんをめぐるエッセイのアンソロジー。

6月某日 東京での仕事の打ち合わせからの帰り道、神保町のチェッコリで購入した韓国 SFの作家ファン・モガの『モーメント・アーケード』(廣岡孝弥訳、クオン)を読む。近未来的なVR技術を用いて記憶の世界をさまよう「私」の孤独。小さな物語の中で人が人と共にある痛み、そして希望までを見事に描き切っている。素晴らしい小説だった。同じくチェッコリで購入した韓国の作家、チャン・リュジンの小説『月まで行こう』(バーチ美和訳、光文社)も読み始める。

6月某日 早朝の新横浜から新幹線に乗車し京都へ移動。車内で一眠り。京都駅からJR、京阪、叡山鉄道と乗り継いで恵文社一乗寺店で、文化人類学者の今福龍太先生のトーク「〈歴史〉は私たちのなかにある——思想家・戸井田道三の教え」に参加した。在野の思想家・戸井田道三(1909~1988)に10代半ばより学校という制度の外で教えを受け、親交を結んだ今福先生による評伝『言葉以前の哲学——戸井田道三論』(新泉社)が出版され、その刊行記念イベント。「知の伝承」について思いを馳せる充実した時間に。会場では先生も関わるスモールプレスGato Azulによる詩やエッセイ、旅の写真などの手製本の販売もあり、盛況だった。

トークの後半では、本書の編集を担当したぼくが聞き役を務めて「漫談」をしたのだが、戸井田の著作の編集担当の一人だった久保覚に言及したことから、彼と梁民基が編訳した『仮面劇とマダン劇』(晶文社)や詩人・金芝河の民衆演劇論などにも話が及んだ。翌日の夜の京都で、先生と僕は韓国の民衆文化運動の研究者であり紹介者でもあるその梁民基に縁のある方に偶然出会い、大変驚いたのだった。

6月某日 京都滞在2日目。某所で、今福龍太先生と文化人類学者の和崎春日先生との対談「歩きながら考える、さまよいながら出会う」に参加。和崎先生はアフリカ・カメルーンなどでのフィールドワークの経験をもとに「生きることの気迫」について何度も語っていた。「知」の根拠を、狭義の学問ではなく学問外の「生」においていることが何よりもすばらしい。学び続けたい《歩く人》の知がここにある。忘れかけていた人類学への純粋で熱い気持ちが胸にこみあげてきた。

6月某日 京都から戻り、地元の図書館で和崎春日先生のアフリカ都市人類学の論考を探して借りる。和崎先生の父・和崎洋一の『スワヒリの世界にて』(NHKブックス)も。テンベア(さまよい)の思想とは何か。

山と山はめぐりあわないが、人と人はめぐりあう
 ——スワヒリ語のことわざ

6月某日 尹紫遠・宋恵媛『越境の在日朝鮮人作家——尹紫遠の日記が伝えること』(琥珀書房)を読む。これはすごい本だ。当たり前といえば当たり前だが、文学研究者・宋恵媛さんの編集によってこの日記資料が書籍化されていなければ、忘れられた作家・尹紫遠の声に自分が出会うことはなかった。

6月某日 詩の本を読む。大木潤子さん『遠い庭』(思潮社)、管啓次郎さん『一週間、その他の小さな旅』(コトニ社)。管さんのエッセイ集『本と貝殻』(コトニ社)も。

6月某日 小川てつオさんの『新版 このようなやり方で300年の人生を生きていく——あたいの沖縄旅日記』(キョートット出版)が届く。読み始めたばかりだが、いのちの律動がそのままことばになったような文章に打たれる。編注などの構成もふくめてすばらしい本だと思う。

6月某日 今月2回目の関西出張。早朝の新横浜から新幹線に乗車し、大阪へ移動。地下鉄、近鉄と乗り継いで河内天美駅へ。

午前中、阪南大学の総合教養講座での講義をおこなう。テーマは「韓国文学との出会い——編集者としての個人史から」。安宇植編訳『アリラン峠の旅人たち——聞き書 朝鮮民衆の世界』(平凡社)を、学生に紹介した本の中に紛れ込ませた。こういう地味な名著にもいつか出会ってほしいと思う。この本の1章「市を渡り歩く担い商人」の聞き書きを担当しているのが黄晳暎。フランス語で書く作家ル・クレジオがノーベル文学賞受賞講演で深い敬意を捧げてもいる韓国の大作家だ。

もちろん、最近の日本で刊行された韓国の小説や詩の本もたくさん紹介した。チョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房)や文学アンソロジー『完全版 韓国・フェミニズム・日本』(斎藤真理子編、河出書房新社)を題材に「フェミニズム」について話していると、顔を上げて真剣なまなざしをこちらに向ける学生が何人もいた。《後から来る者たちはいつだって、ずっと賢い》という、チョン・セラン『保健室のアン・ウニョン先生』(斎藤真理子訳、亜紀書房)に記されたことばを思い出さずにはいられない。自分よりずっと賢いこの人たちに、いま伝えられることを伝えておかなければ、とみずからに言い聞かせる。大学では、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだことがきっかけになり、就職の予定を変更して韓国の大学院に進んだ卒業生がいるという話も聞いた。いまは、家族の問題を研究しているそう。本には人生を変える力がある。

6月某日 雨の中、大阪市営地下鉄、モノレールを乗り継いで吹田の国立民族学博物館へ。打ち合わせの後、久しぶりに常設展をゆっくり鑑賞、最近関心のあるアフリカ文化と朝鮮半島の文化を中心に。

6月某日 大阪の滞在先から歩いて行ける針中野の本のお店スタントンへ。以前、詩人・山尾三省展を企画し、展示をしてもらった。いまも三省さんの詩文集『火を焚きなさい』『五月の風』『新版 びろう葉帽子の下で』(野草社)などを販売している。韓国文学もいろいろそろっている。

スタントンでは、「金井真紀の仕事展」を開催していた。ギャラリーで金井さんの人物イラストの原画を、一人ひとりと静かに対話するようにしてじっくり鑑賞。金井さんの著書『日本に住んでる世界のひと』(大和書房)を購入し、崔命蘭さんの物語から読みはじめている。

6月某日 京都・蹴上でひと仕事を終えた後、地下鉄とJRを乗り継いで奈良駅へ。車で奈良県立図書情報館へ向かい、開催中の企画展「韓国文学への旅——現代韓国文学とその周辺」の棚を見学。想像以上に企画展を見に来ている人が多い。すると、以前広島・福山の本屋UNLEARN のイベントで挨拶をした青年と偶然再会した。最近、韓国文学を読みはじめたとのことでうれしい。

図書情報館の乾聰一郎さんからのお誘いで、関連イベントにて「『知らない』からはじまる」と題し、韓国文学についてトークをおこなった。韓国・済州島との出会いについて話すのははじめてのことで言葉足らずの部分もあったと反省しているが、熱心な聴衆に支えられて話を終えることができた。

トークでは、在日コリアンの朝鮮語文学研究者・翻訳家の安宇植の業績を紹介したのだが、翌日、乾さんがさっそく同館所蔵の安宇植の著作や翻訳書を集めて展示コーナーに並べてくれた。いずれも、90年代以降の学生時代に熱い気持ちで読んでいた本たち。先人や先輩の仕事をバトンを渡すように伝えていきたいと常に願っているので、こういう配慮は本当にうれしい。

ところで、会場で配布している図書企画展のブックリストの資料が大変充実していた。歴史、社会、芸術、音楽など文学以外の他ジャンルも網羅していて、韓国に関するこんな本もあるのかと発見があり、眺めていて楽しい。資料にはチェ・ウニョン『わたしに無害なひと』(古川綾子訳、亜紀書房)、キム・エラン他『目の眩んだ者たちの国家』(矢島暁子訳、新泉社)の書評も掲載。別の日におこなわれた晶文社「韓国文学のオクリモノ」などを企画した編集者(現・亜紀書房)の斉藤典貴さんのトークで配られた資料、作家別の翻訳書リストも素晴らしい。これらの資料から、さらに読書の輪を広げていけそうだ。

トークのあと、夜の町をさまよっていると奈良 蔦屋書店に遭遇。想像以上に大きなお店でびっくりした。

6月某日 京都駅から近鉄特急に乗車し、三重・津の久居へ。 HIBIUTA AND COMPANY で「本のある世界と本のない世界——声の教えから」と題してトークをおこなった。ブラジルの日系社会でおこなった文化人類学的なフィールドワークを経て、声の文化と文字の文化のはざまで編集という仕事をはじめたみずからの出発点について振り返ることができた。紹介したのは、3人の人類学者の講義録、今福龍太先生の『身体としての書物』(東京外国語大学出版会)、山口昌男先生の『学問の春』(平凡社新書)、そしてレヴィ=ストロース『パロール・ドネ』(中沢新一訳、講談社選書メチエ)。いずれも編集に関わった本たちだ。

HIBIUTAでは、代表兼月イチ料理人・大東悠二さんの渾身のパスタをいただいたり、ソントンさんが主催する本の会をのぞいたり(そこでえこさんが紹介していたク・ビョンモの小説『破果』〔小山内園子訳、岩波書店〕を読んでみたいと思った)、詩人・水谷純子さんが主催する「詩の会hibi」に参加したり、愉快な1日を過ごした。翌日、大阪への帰路でHIBIUTA発行の『存在している 書肆室編』を読む。所収の村田菜穂さんの「気が付けば本屋」から。

6月某日 阪南大学での講義2日目、テーマは「在日コリアン文学との出会い」。自分が編集を担当した関連書について解説し、在日コリアン文学の背後にある歴史への向き合い方について語った。「韓国文学との出会い」「在日コリアン文学との出会い」という2回の講義で紹介した本が大学図書館の特設展示コーナーに配架されるようだ。斎藤真理子さん『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)から、テッサ・モーリス=スズキ『批判的想像力のために』(平凡社)まで17冊。学生の皆さんと本との良い出会いがありますように。

6月某日 大阪→京都→奈良→三重→大阪をめぐる旅から自宅に戻ると、韓国の作家パク・ソルメの小説集『未来散歩練習』(斎藤真理子訳、白水社)が届いていた。不思議なタイトル。別の小説集『もう死んでいる十二人の女たちと』(斎藤真理子訳、白水社)には震撼させられたが、こんどの本はどうだろう。

韓国を楽しむ雑誌『中くらいの友だち』の最新12号をどこかで買わなければと考えている。