最初に目に入って来たのはサンダルのような履物だった。
居酒屋によくある安物のあれだ。
ぼくの靴が見当たらない。
下足箱から店のサンダルを出されて、飲み屋に来ていたことを思い出した。
大勢で来ていたはずなのに、いまはぼくひとりだけだ。
勘定を済まさなければいけないのだが、なかなかレジが先に進まない。
女子店員がいらいらしているのがわかる。
勘定が合わないのだ。ぼくの番になっても、何度も計算し直している。
いつまで待たせるつもりだ。
女子店員に代わって、老いた主人が対応してくれていたのだが、
ついつい声を荒げてしまった。
すると店の奥のほうから、哲学者然とした男が現れて、
ここは君のような者が来るところではないと、諭すようにいうのだった。
さっきから若い男子店員が、黒い小さな旗を振りながらにやにやわらっている。
出入禁止?ということなのか。
精算を終えて一刻も早くこの店を出たい。
けれど、ぼくの靴が見当たらない。
替わりに誰のものだかわからない、白い靴を履いて帰るようにいわれる。
またひとり土鳩の色のスカーフをゆらしつつくる険しき目をして
小学校四年の秋、父が勤めていた会社のアパートから一軒家に引っ越した。
学区外になったのだが、そのまま通学していた。
子どもの足では、遠い道のりだった。
少しでも楽をしようと思って、いくつかの近道をこころみた。
二年後にはオリンピックを控え、ぼくの住む清水の町も、景気が上向いていた頃のことである。
家の南に、東海道新幹線の工事、北に東名高速道路の買収が進んでいた。
それまでは、小さな里山をふたつほど越えるか、回り道をするしかなかったのに、
新幹線が通ることになり、工事現場を抜ければ、早道が可能だった。
その日、一度自宅に戻ってから、午後母と一緒に登校することになっていた。
雨が降り始めていた。
ほんとうにこれが近道なのかね、母は何度もぼくに聞いた。
雨は止むどころか、土砂降りに変わっていた。
工事現場の、雨でぬかるんだ道なき道に足を取られて、白いハイ・ヒールの母は癇癪を起し、ぼくは泣きべそをかいた。
こんなところへ連れて来るんじゃなかった、ここはユメの超特急が走る場所、ぼくの大事な隠れ道、舗装路までのつなぎの道。
三者面談の時刻に間に合い、担任の教師と出会った母は、急ににこやかな顔になった。